大崎善生『聖(さとし)の青春』講談社文庫、2002年
感動の一冊です。持病の腎ネフローゼと闘いながら、棋界の名人を目指し精進した村山聖八段の伝記風読み物、ノンフィクション小説です。
聖は5歳の時、原因不明ですが発熱しました。ネフローゼと診断されます。幼い頃から病床での生活が始まります。父が息子のためにと紹介した将棋に開眼。抜群の集中力をもった子で、将棋のルールをたちどころに覚え、めきめき頭角をあらわしました。
11歳のとき(昭和55年)に第14回中国こども名人戦で優勝。以後、4回連続優勝しました。13歳のときに家族の反対を押し切り、森信雄7段(当時4段)に弟子入り、紆余曲折があって奨励会入りします。
奨励会在籍2年11ヶ月で4段、17歳。以後、彗星のごとく現れた「怪童」、大型新人として、同僚の棋士と競いました。平成7年のB1級の田丸戦をねじふせA級入り、25歳。
終盤に抜群の読みの力をもっていた聖は、序盤、中盤も手厚く戦えるようになり、名人まであと一息のところにありました。この間、羽生さん、谷川さんとは名勝負に値する数々の棋譜を残しています。
「本能的な感覚のよさに加え、20代になってからは序盤が非常にうまくなりました。研究に基づいた理論的な面と、感覚の鋭さがうまくかみ合って強さとなっていました。村山さんが少し悪いかなと思うような局面での、勝負手を見つけ出す本能的な嗅覚は、真似できない独特の凄さがありました」と羽生さんは述懐しています(p.327)。
しかし、聖は膀胱癌に侵され、手術後肝臓に転移、ついに29歳の若さで、A級在籍のまま、惜しまれて他界しました。病床での最期のウワ言は、「2七銀」(p.379)。
日本将棋連盟は、彼の功績を讃え、9段を追贈しました。
毎回の対局は壮絶としか言いようがなく、著者はその様子を綿密な取材と、自身の体験にもとづく感性で叙述しています。
将棋への執念と病魔との闘いを描いた後半部分は、涙なしには読めませんでした。通算成績は356勝201敗(うち12局が不戦敗)、勝率・653(不戦敗を除く)。羽生さんとは6勝6敗。谷川さんとは4勝12敗(不戦敗の各1を除く)。
「村山聖」の名前は、決して忘れまい。合掌。
本書は第13回新潮学芸賞受賞、将棋ペンクラブ大賞受賞作です。
このサイトも是非見てください。
http://www.kyouiku.town.fuchu.hiroshima.jp/kyonanko/satoshi/satoshi.htm
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます