【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

中野京子『怖い絵』朝日出版社、2007年

2010-03-26 00:04:16 | 美術(絵画)/写真
                           
                          


 絵は観るものではなく、読むものという考え方が一般的になってきています。この本もそういうスタンスでできあがっています。それぞれの絵が含意する内容を読み込むというわけです。

 「怖い絵」というのは描かれた絵そのものが怖いというだけでなく、鑑賞眼がそれぞれの背後にある人間社会やその歴史の怖さにまで透徹したところで感ずるそれです。

 筆者はこの本を書こうと思い立ったきっかけのひとつがダヴィットのデッサン、マリーアントワネットだったと言います(p.6)。荷車に乗せられて断頭台にひかれていくアントワネット。何の変哲もないように書かれていますが、想いをめぐらせるならば戦慄が伝わってきます。

 明らかに怖い絵もあります。ゴヤの「我が子を喰らうサトゥルヌス」。またキャンバスに描かれた人間の恐怖がモチーフになった作品もあります。レーピンの「イワン雷帝とその息子」、ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」。

 しかし、本書で選ばれた作品は、そのように直接的な恐怖から遠いところにあるものが少なくありません。ドガの「エトワール、または舞台の踊り子」、ホルバイン「ヘンリー8世像」、ラ・トゥール「いかさま師」。ホガース「グラハム家の子どもたち」では、「絵そのものに怖いところはないのです。ただ、この絵は、たまたま予知夢ならぬ予知絵になってしまった」ということがあるのだそうです(描かれた子どものひとりトーマス君は絵の完成後にあっけなく病死してしまった)。怖くなるのは著者の案内にしたがって作品の読み込みが始まってからです。

 かつて絵画がもった力に現代人は鈍感になってしまいました。「ふつうの人が絵を見る機会などほとんどなかった時代、優れた絵画が心に及ぼす影響がいかに大きかったか、眼の刺激に慣れすぎた現代人にはとうてい想像もつかない」(p.183)、「(グリューネヴァルトは)約4年をかけ、これまでのどんな磔刑図より酷い、見る者に直接肉体の苦痛を感じさせるような、心底恐ろしい作品(グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画)」)に仕上げた。仄暗い聖所でこの絵は物凄まじい吸引力を発揮し、病人たちは思わず絵の前に跪き、手を合わせて祈らずにはいられなかったという」(p.184)。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿