く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<パラ・トライアスリート秦由加子> フラミンゴの刺繍入り手提げ袋!

2016年10月20日 | スポーツ

【リオ五輪のトライアスロンで6位と健闘、2020年東京の目標は表彰台】

 「健常者、障害者を問わず、優れた運動選手が会心の瞬間に見せる姿の美しさには胸を打つものがあり、そうした写真の幾つもを切り抜いて持っています」。20日に82歳の誕生日を迎えられた皇后美智子さまが、9月のリオデジャネイロ五輪・パラリンピックについて宮内記者会の質問に文章でこう回答された。今回のパラリンピックでは金メダルこそゼロだったが、メダル総数は銀10個、銅14個の計24個に達し、16個だった4年前のロンドン五輪を大きく上回った。

 リオ・パラリンピックではトライアスロンが初めて正式競技として採用された。運動機能障害PT2クラス(下肢切断など)には密かに応援していた秦由加子選手(35)=マーズフラッグ・稲毛インター=が出場。得意の競泳(750m)で8選手中2位につけたが、バイク(自転車、20km)で6位に後退、最後のラン(5km)では後続選手の追い上げをかわし6位をキープしてゴールした。1~3位は米国勢が独占した。秦選手はゴール直後に倒れこんだが、その後インタビューに対して「力を出し切れた」と晴れやかな表情で語った。

 その秦選手から「後援会の皆様へ 応援ありがとうございました!」と、デニム生地の手提げ袋が送られてきた。「YUKAKO HATA」と「JAPAN」の文字の間に4羽の1本足で立つフラミンゴを刺繍であしらったデザイン。添えられたメッセージの前半には「初のパラリンピック出場ということで、日の丸を背負う重みと世界の舞台に立つことへの緊張を感じながらレースに臨みました」とあった。4年ほど前に水泳からトライアスロンに転向して以来、内外の大会で好成績を収めてきたが、やはり五輪は普通の国際大会とは全く違う特別のものだったようだ。

 スタートラインに立ったとき「ずっと目指してきた場所に今まさに自分がいるという実感が沸き、涙が込み上げた」という。「バイクやランの間中、コースの端から端まで声援は途切れることなく続き、世界中の方々が各国の旗を振りながら声援を送ってくれました。青いカーペットのトランジション・フィニッシュエリアに入った時の声援と場内アナウンスは、自分に向けられているとは信じ難い程で、全てが夢のような経験でした」。そして最後をこう結ぶ。「これからも自分の可能性を信じ、挑戦し続けていきたいと思っております」。メッセージの下には手書きで「○○様 応援ありがとうございます。秦」とあった。

 秦選手は13歳のとき、骨肉腫で右足の大腿部から下の部分を失った。以来、スポーツとは無縁の生活を送っていたが、社会人になって水泳を始め、31歳のときにトライアスロンに転向、2014、15年の世界トライアスロンシリーズ横浜大会では連覇を果たした。リオ五輪前、秦選手は「私の姿を見てトライアスロンをやりたいと思ってくれる人がいたら、その人の人生も自分と同じように変わっていってくれると思う」と話していた。それだけに五輪では表彰台を目指した。だが、かなわなかった。このメッセージの中で秦選手は「今の力を精一杯出し切ることはできたと思っておりますが、やはりメダルを獲得できなかったことは悔しく思います」と正直に吐露している。秦選手はすでに4年後の東京を見据えているようだ。


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