骨董 作:津田 博司
駄目だ、まったくわからん
思わず途中で断念しそうになってしまった
純文学だったのか、随筆、私小説だったのか、
その区別すらつかないといった具合で、
連綿と難しい日本語が並ぶと
そういう印象しかもてなかったのでありまして、
私の能力では処理しきれない本でありました
小説だったんだろうと思うのだがなぁ
タイトルに引かれてつい借りてしまったわけで、
短編集だったのはいいんだが、それぞれが、
台詞とか、他人との何彼というのではなく、ただただ、
自問自答を繰り返しているかのような
内面描写といえばいいのか、素描といえばいいのか、
風景や、季節について綿密に書き連ねて、
そこに思いや、過去、生き方なんていう哲学めいたものが彩られると
それだけ聞いているとなんだか楽しそうなんだが
これがまた、非常に難しいというか、
結局なんなのか、自分ではつかみきれなかったのでありました
タイトル作である、骨董については、ちょとだけ
思いがいたるというか、そういうことあるなぁと
共感めいたものを覚えることができたのでありまして、
骨董というものをどう定義するか、
あるとき、これは私に出会わされたみたいな、超然としたものからの来意というか、
なんか超絶的な出会いといったものを催すそれ、
それを骨董と呼ぶのは、よろしいのではないかという話に始まり、
これがまた、ずっと毎日眺めて、いいなと思っていたのに
あるとき、それが無くなったと、驚いて騒いでみると
元の場所にあるじゃないですかと他人に言われて、
それが、確かにそれなんだが、昨日までのそれとは異なるという気持ち
これが、骨董を愛するということであったり、
生涯か、身代かが滅びるまで続くという骨董という病を
非常に言い当てているようで、面白く思ったのでありました
その他については、死生観というか、
生き方めいたところへの感想、追想が書かれていて
そうなのかなと思ったりさせられるんだけども
いかんせん、そんなに長く生きていない自分には
まだまだわからない感覚なのではないかと
とりあえず、わかったふりだけして、書いておこうと思うのである
ともかく、読んだのだが、
本当にただ読んだだけになって、非常によろしくない読書をしてしまった
難しい本を久しぶりに読んだが、なんとも後味が悪い
物語や、本のせいではないのだから、よりたちが悪いなぁ
駄目だ、まったくわからん
思わず途中で断念しそうになってしまった
純文学だったのか、随筆、私小説だったのか、
その区別すらつかないといった具合で、
連綿と難しい日本語が並ぶと
そういう印象しかもてなかったのでありまして、
私の能力では処理しきれない本でありました
小説だったんだろうと思うのだがなぁ
タイトルに引かれてつい借りてしまったわけで、
短編集だったのはいいんだが、それぞれが、
台詞とか、他人との何彼というのではなく、ただただ、
自問自答を繰り返しているかのような
内面描写といえばいいのか、素描といえばいいのか、
風景や、季節について綿密に書き連ねて、
そこに思いや、過去、生き方なんていう哲学めいたものが彩られると
それだけ聞いているとなんだか楽しそうなんだが
これがまた、非常に難しいというか、
結局なんなのか、自分ではつかみきれなかったのでありました
タイトル作である、骨董については、ちょとだけ
思いがいたるというか、そういうことあるなぁと
共感めいたものを覚えることができたのでありまして、
骨董というものをどう定義するか、
あるとき、これは私に出会わされたみたいな、超然としたものからの来意というか、
なんか超絶的な出会いといったものを催すそれ、
それを骨董と呼ぶのは、よろしいのではないかという話に始まり、
これがまた、ずっと毎日眺めて、いいなと思っていたのに
あるとき、それが無くなったと、驚いて騒いでみると
元の場所にあるじゃないですかと他人に言われて、
それが、確かにそれなんだが、昨日までのそれとは異なるという気持ち
これが、骨董を愛するということであったり、
生涯か、身代かが滅びるまで続くという骨董という病を
非常に言い当てているようで、面白く思ったのでありました
その他については、死生観というか、
生き方めいたところへの感想、追想が書かれていて
そうなのかなと思ったりさせられるんだけども
いかんせん、そんなに長く生きていない自分には
まだまだわからない感覚なのではないかと
とりあえず、わかったふりだけして、書いておこうと思うのである
ともかく、読んだのだが、
本当にただ読んだだけになって、非常によろしくない読書をしてしまった
難しい本を久しぶりに読んだが、なんとも後味が悪い
物語や、本のせいではないのだから、よりたちが悪いなぁ