映画が中心のブログです!

中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

追悼・川崎敬三さん

2015年11月30日 | 日記

     

  

 

 

    今月25日の午後、私の携帯が鳴りました。見知らぬ番号なので少し躊躇しました

    が取りましたら3大新聞の一社からで、「川崎敬三さんが亡くなったという情報があ

    りますので、知っていたら教えてください。ご存知なかったらしかるべき人を教えて

    下さい」という内容でした。私は知らなかったので、もと大映で詳しい人を紹介しま

    したが、翌日また連絡があり、昨日の慌ただしい電話のお詫びを受けたので、「どう

    して私の所に」と問うと、私が本を出しているので、出版社に電話して番号を調べた

    とのことでした。

    本人の希望で死亡を伏せたのだそうですが、後日の原節子さん同様で、ほとんどの

    方が後日になって驚くことになったのです。私的には関係者を加えて素早く静かに

    弔ってあげたかったという気がします。

 

    彼のことは当ブログや、本にも書いているのでWると思いますがお許しください。大

    映が最後に発行した(昭和45年度)社員名簿に彼の名前が見当たりませんが、直前

    まで在社していたし、大映最盛期を支えた忘れられない俳優さんの一人です。昭和

    29年(1954)に「こんな奥様見たことない」でデビューし、和製アンソニー・パーキンス

    などと言われ、一寸ばかりユニークなキャラクターなので重宝されて山本富士子や

    若尾文子・叶順子の相手役としても活躍していました。

    約120本の大映作品に出演していますが、大映の末期には彼が活躍するような作

    品は製作されず、映画と並行して出演していたテレビに活路を見つけていたので、

    テレビの司会者としての彼のイメージのほうが強いかも知れません。

    数年続いたテレビの司会も、番組内でのヤラセが発覚し番組打切りとなり、暫らく

    してまた新番組の司会をやっていましたが、いつの間にかテレビからも姿が消えま

    した。

    私は彼とは個人的な付き合いはありませんが、撮影所ではよく顔を合わせたし、地

    方のキャンペーンで何度か一緒に旅をした事もあります。

    素顔の彼はとてもシャイで、何をやらしても器用にこなす青年というのが当時の私の

    印象です。特に明るい感じではなく、これだけ主役に抜擢されたのに待遇が良くなか

    った・・・などとボヤいていたのを記憶しています。
  

    彼は昭和8年(1933)生れですから今年82歳代でした。自宅で悠々自適で過ごしてい

    ると聞いていたのですがとても残念です。どうか安らかにお休みください。合掌

 

      ↑ 左から私、姿美千子、万里昌代、一人おいて藤巻潤、川崎敬三、田宮二郎

 

 

 

コメント (14)
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