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中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部・番外編 / 古い写真の思い出 ( 41 )

2013年10月07日 | 日記

     
     ↑ 中洲大橋から見た大映九州支社(垂れ幕がかかったビル)
  
      ↑ 上左が池広支社長と永田秀雅氏    ↑ 支社宣伝課の光景
     
     ↑ 支社の慰安旅行写真で前列中心に池広支社長、後列左から4人目が私


     今回は少しいつもの話とは違って地味ですが、大映九州支社のことを書かせて
     いただきますので、しばらくお付合いください。

     一番上の写真は当時の大映九州支社で、現在の大洋映画劇場の建物と裏側
     が繋がっている那珂川に面したビルの3・4・5階にありました。
     写真では、丁度正面壁面に宣伝の垂れ幕を掲げていて見えませんが、「映画は
     大映」「大映九州支社」のネオン看板が付いています。
     当時、同じビルの1・2階が創業して間もなかったロイヤル本店で、マリリン・モン
     ローが福岡に来た時にすごく気に入って毎日通ったのが、このロイヤルの2階レ
     ストランなのです。

     大映九州支社は3階が営業課と宣伝課、4階が総務経理課と支社長室、5階に
     は会議室・試写室・宣伝課宣材室がありまして、当時の九州支社は総勢が60
     人を越す大所帯だったし、宣伝課だけでも9人でした。
     九州支社の売上は全国売上の12%が割当てで、宣伝費も本社-関西に次ぐ
     12%を持っていて、序列的にも本社→関西→九州→名古屋→北海道という順
     序で、全国会議でもこの順で着席するといった按配でした。

     私は宣伝係長で着任したのですが、前任の船橋係長が本社洋画部の宣伝課長
     で転出した後任でした。
     当時の宣伝課長は伊藤課長で、ユニークな宣伝センスの持主だったのですが対
     外折衝が嫌いで、あの男を呼んでくれと要望されて私の着任が決まったようです。
     そして当時の支社長が撮影所から来ていた池広利夫支社長で、池広一夫監督
     のお父さんです。その次の支社長はこれまた製作畑の浅野支社長で、数年後に
     は京都撮影所の総務部長に転出されました。
     その次がもと本社宣伝部長だった野田支社長で、宣伝会議などよく会っていた先
     輩だったこともあり、とても可愛がっていただきました。

     更に数年を経て支社次長兼宣伝課長として帰ってきたのが、最初に私と入れ替
     わった船橋次長で、また暫らくして船橋氏が本社宣伝部長に転任した時に、私が
     宣伝課長を拝命したという経緯なのです。
     次回こそ撮影所の宣伝課長を熱望していた私に、もう少しでチャンス到来だったの
     ですが、倒産の憂き目にあい、九州支社最後の宣伝課長となってしまいました。

     九州でも邦画・洋画の激しい宣伝合戦が行なわれ、それぞれ知恵・技術を出し合
     いましたが、どこの会社も他の会社を誹謗する行為は一切無かったし、邦画五社
     宣伝部会として毎月の部会と、年に一度の懇親会(最後の写真)を開くなどして和
     気藹々でした。
     合同のボーリング・チームを作って試合に出たことなど、いい思い出として残って
     います。

     
     ↑ 左から東宝、東映、大映(私)の各宣伝課長とユニバーサル支社長

      ↑ 邦画五社宣伝部会懇親会。最後列右から私、二番目が日活・植松課長(後年日活本社宣伝
        部長で去年日活の生き字引としてテレビに出演)、三番目が東映・杉野課長、中段右端が
        松竹・松原係長。最前列中央の白シャツが東宝・渡辺課長。

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Unknown (トド)
2013-10-08 18:08:35
九州支社に下がっている垂れ幕は「尻啖え孫市」(監督:三隅研次、撮影:宮川一夫、主演:萬屋錦之介)のようですから1969年のお写真のようですね。当時からあの辺りは夜になると屋台が出ていたのでしょうか。
返信する
こんばんわ。 (中島けん)
2013-10-08 21:01:47
トドさん
  「尻啖え孫市」は原作が司馬遼太郎、脚本・菊島隆三だし、俳優は中村錦之助を
  筆頭に本郷功次郎・栗原小巻・志村喬と勝ちゃんも信長役で出ていて我々も気合が
  入っていた作品でした。

  河畔の屋台は、この中洲大橋付近には出ておらず、もう少し上流の春吉橋付近に
  出ていて賑やかです。
返信する
Unknown (なおちゃん)
2013-10-11 14:45:43
こんにちは。
写真では、みなさん仲良く楽しそうですが
雷蔵関連本のなかで、宣伝のスタッフの苦労話が
よく出てきますよ。
俳優さんや、映画製作スタッフさんから・・・嫌な顔されたり
いろいろ言われたり・・・と。。。
宣伝あっての、、と思うのですが。。。。
当時はいろいろとあったのでしょうか。。。。。


先日、CSのあるトーク番組をぼーっとみていたら
ゲストの小林薫さんが、好きな作品に
溝口監督の「赤線地帯」をあげながら、
好きな俳優さんも数名あげていました。
(三井弘次、信欣三、田中春男、藤原釜足、伊藤雄之助)
私は、最後のおふたりしか分からなかった(笑)
そういえば、溝口監督のおはなしは
雷蔵関連本にちょこちょこ出ていて。。。
監督だけのおはなしの詰まった本でもあったら~と
思うくらい、ちょっと知りたい監督です。
返信する
こんばんわ。 (中島けん)
2013-10-11 20:57:50
なおちゃん
  いつも有難うございます。
  各社とも映画宣伝マンは仲がいいけど、宣伝合戦は他社に負けじと
  熱戦が繰り広げられます。
  大映内でも同様で、他の支社に負けられないと必死でした。
  特にスタッフ・キャストがどう思おうと、マスコミへの窓口は宣伝部
  しか無いのですから責任重大です。
  当時はプロダクション所属の俳優はおらず、そのあたりまで
  宣伝部が手伝っていたものです。色々言ってもやり甲斐のある仕事でした。

  私は日本映画の監督で一番尊敬している監督は溝口健二です。
  その撮影現場を見てますとシビれますよ。
  溝口作品は「赤線物語」もいいですが、私は「山椒大夫」が好きです。
返信する
兵隊ヤクザ (矢野國臣)
2017-05-27 17:17:56
兵隊ヤクザを始めてみたのは、僕が、高校生の時、原作が有馬頼近で、久留米に縁のある原作者であるので、興味が有った、勝進演じる、兵隊と田村孝弘さんの絶妙なる演技が、子供であった、私にもわかって、とっても印象深い作品でした、もうお二人共,黄泉の世界に行かれて、寂しいですね、
返信する
Unknown (中島けん)
2017-05-28 11:22:22
矢野国臣さん

このブログにお立寄りくださり、まことに有難うございます。
仲良くしていた俳優や、宣伝部の先輩は、ほとんどが鬼籍で寂しい限りです。
どうかこれからも宜しくお付き合いください。

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