大映時代の鹿児島県指宿ロケの思い出です。
「視界ゼロの脱出」(1963)は、ローカル航空のパイロット(本郷功次郎)が、小児マヒのワクチンを急送するため看護婦(三条江梨子を乗せて、アパッチ機で奄美大島へ向かいますが、サソリ島上空にさしかかったとき、台風観測所からの緊急指令を受けて着陸すると、そこには観測所を占拠したニセ札ギャングの一味(高英郎、大辻伺郎らが待ち受けていて・・・、そんな感じの内容でした。
監督は上原明氏と仲が良かった村野鐵太郎で、カメラマンも上原氏とは縁の深い渡辺公夫。上原氏のお父さんが経営する"指宿海上ホテル"をロケ隊宿舎とし、当時ここの近くにあった旧特攻隊用の滑走路を使い、そこをサソリ島に見立てての撮影です。
ところが途中で思わぬ大事故が発生しました。 滑走路に一寸だけ着陸してそのまままた飛び立って行くタッチ&ゴーを、操縦士と地上とが無線で連絡を取り合い、何度か繰り返し撮影していた時です。私も丁度現場にいて見ていたのですが、何回目かのタッチ&ゴーで飛行機が離陸したとき、黒い物体が落下したのが見えました。 何事かと駆け寄った我々の眼に入ったのはなんと飛行機の片方の車輪だったのです。機上も地上もビックリ仰天。そうなるとロケどころではなくなり、関係官庁に連絡し対策を協議、燃料を海上に捨てて鹿児島市の鴨池飛行場に胴体着陸する方法をとることになったのです。
車を飛ばして約1時間、鴨池飛行場に急行、鴨池に着いたころ飛行機はまだ上空を旋回していて、報道で知った大勢の人が人垣を作っていました。みんなが固唾を飲んで見守る中、無事に胴体着陸に成功・・・。翌日の新聞などの報道はこの件で持ちきりでしたが、指宿ロケはこんな大変な一幕がありました。

本作はまだ未見なんですが、
こんなギリギリの出来事があったとは…
撮影は本当に色々と
ハプニングがあるんですね
それを乗り越えて作られた作品たちは
本当に見ごたえがあると思います!