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中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部・番外編の番外 (48) 藤原礼子さん、三田登喜子さん

2015年01月26日 | 日記


           ↑ 左から藤原礼子、鶴見丈二、三田登喜子の皆さん

  

    

     一番上の写真は既にアップしたものですが、今回は京都撮影所の中堅どころの
     藤原礼子さん、三田登喜子さんのことを書きたくて再登場させました。
     このスナップは私が大映京都撮影所で撮ったものですが、毎月行われていた宣
     伝会議に出席していて、会議の途中で、丁度撮影に入っていた「ぼんち」(市川崑
     監督)のセットに、原作者の山崎豊子さんがお見えになるので、会議を中断してセ
     ットに向かうか終わって会議室に戻る際、別のセットの横でたまたま撮った写真で
     す。「ぼんち」の時代ですから昭和35年(1960)のことだったと思います。

     「藤原礼子」さんは、宝塚歌劇団の出身で、当時は大和七海路という芸名の男役
     として大人気だった人です。
     宝塚映画に2本の映画出演の経験がありますが、宝塚を退団して昭和33年に大
     映に入社、主に時代劇に出演しました。昭和35年に藤原礼子に改名していますの
     で、丁度私がこの写真を撮ったころに芸名が変わったことになります。
     準主役クラスで活躍した彼女でしたが、「悪名」で田宮二郎が扮するモートルの貞
     の女房役が彼女の代表作ではないでしょうか。

     それから3年後の昭和38年に若山富三郎と結婚したものの2年後には離婚、映画
     界を引退しています。
     平成2年に東京の自宅で亡くなっているのを、死後1週間後に発見されましたが
     急性心停止だったそうで悲しい死です。享年69歳、生きていたら今年で82歳です。

     もう一人の「三田登喜子」さんは山口県下関市の出身で、昭和26年に大映が創立
     10周年の記念イベントとしてタイアップしたミス‣ニッポン選考で準ミスとなり大映に
     入社、第6期生として演技研究所で勉強しています。
     会社は彼女を時代劇女優として育てたいと考え、京都撮影所へ転籍、デビュー作
     は「雨月物語」(溝健二・監督1953)でした。

     大映での出演作品は約80本に及びます。昭和口37年(1962)にフリーになりました
     が、個人的には大映で、もっと活躍の場を与えてやれば良かったのに・・・と思う
     一人です。
     大映での出演作品は約80本でしたが、大映後はテレビに移って活躍されました。
     昭和10年生れですから、今年で79歳。お元気だと伺っています。

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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
中島様 (タム親父)
2015-01-26 17:36:30
こんにちは。いつもありがとうございます。
藤原さん、三田さんとも私にとってはあまりおなじみではないのですので申し訳ありませんが、何本かの作品でお見かけしたことがあります。
先日、久しぶりで「ガメラ対バルゴン」を見たのですが、若松和子さんが夏木さんの奥さん役、紺野ユカさんが藤山さんの愛人役で、夏木さんが藤山さんと仲間割れして殺されるという役どころでした。姉妹で敵同士の連合い役というのはキャスティングの妙ですね。
それから、スカパーで東映の「宮本武蔵」を見て思ったのですが、雷蔵さんの武蔵、志保さんのお通、長谷川さんの柳生宗矩といったキャストで大映版の武蔵が企画されていたら面白かったのではないでしょうか。そんな企画はなかったのでしょうか?「二人の武蔵」がオールスターで面白かったので、正統派の武蔵も見たかったです。
今回のテーマと全く離れていますが、大映ファンの繰言ということで読み流してください。
福島は毎日寒いです。福岡はいくらか暖かいと思いますが、健康に留意してまたいろいろなお話を聞かせてください。
返信する
こんばんわ。 (中島けん)
2015-01-26 21:24:51
タム親父さん

いつもお立ち寄りいただき、嬉しいです。
今回の二人は地味な存在でしたが、もっと使い方があった二人として、
惜しいなーと思っていた私です。

宮本武蔵は企画では何度か上がっていたようですが、「二人の武蔵」
のみに終わりました。
武蔵役は誰もが出来る役ではなく、意外と難しいのです。
返信する
ありがとうございます。 (タム親父)
2015-01-27 02:41:52
返信ありがとうございます。
やはり武蔵のような、粗暴な若者から求道者へという役柄は大変な演技力が必要なのですね。「二人の武蔵」を見て、「たけぞう」のころならば雷蔵さんは十分にはまると思いました。
話は変わりますが、以前に「片足のエース」のことを書いていらっしゃいました。大映では、教育映画(というんでしょうか?)も結構制作されていましたね。「片足のエース」、「ママいつまでも生きてね」、「君は海を見たか」、「小さい逃亡者」は、劇場ではなく学校の体育館で見ました。経営が傾いてきたことと関係があるのでしょうか。
返信する
中島さまへ (旅の途中)
2015-01-27 13:11:13
藤原礼子さんは、「悪名」シリーズで知りました。田宮さんのお相手役でしたね。

他の作品でもお見かけしましたが品のある綺麗な女優さんです。

早々に芸能界を引退されたのは残念ですね。
返信する
こんばんわ。 (中島けん)
2015-01-27 21:50:40
タム親父さん

宮本武蔵を巡って周囲には色々と個性的な人々が出てきます。
佐々木小次郎、お通、沢庵和尚、又八、朱美をはじめ数えきれない程です。
当然大作になりますし、そう簡単には行かないのが宮本武蔵だと思います。
でも自分なりのキャストを考えただけでも楽しいですね。

経営が傾いてからたまたま製作したのが「片足のエース」で、
これは池広監督が前から温めていた企画です。
その他は、これでも動員が効くと考えて製作したもので、
製作会社としては、バラエティに富んだラインアップと考えて
いました。
返信する
こんばんわ。 (中島けん)
2015-01-27 21:54:17
旅の途中さん

大映の終焉から40年以上が経っています。栄枯盛衰さまざまですが、
藤原礼子さんのように一人ぼっちで死んでいた・・・思い出すたびに可愛想でなりません。
返信する
けんさんの優しさに (bunn)
2015-01-29 08:23:44
けんさん
藤原さんの、、、を拝読して涙でます。
けんさんの優しさに、、、
返信する
こんばんわ。 (中島けん)
2015-01-29 22:07:20
bunnさん

大和七海路として宝塚の大スターだった人ですよ。大映では恵まれず、
結婚も思うにまかせず、そしてあの最後でしょう、気の毒で気の毒で
たまりません。
返信する
藤原礼子さん、合掌。 (秋田美人)
2017-06-15 12:18:58
藤原さんを初めて検索しました。雷蔵様の映画にも結構出演していました。大和七海路さんと似ているも通理ですね。主役でなくても存在感のある人。若山さんより良い人もいたでしょうに・・・・。華やかな世界にいた人の最期が寂しいのは辛いです。
返信する
Unknown (中島けん)
2017-06-16 10:58:59
秋田美人さん

お立寄りいただき有難うございました。
藤原礼子さんは私も好きなタイプの女優さんです。
大映に入って苦労しただろうなーと、この文を書きながら思い返しています。
これからも宜しくお付き合い下さい。

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