Yoshi Veggie & Salon de Topinambour

自然な暮らしとナチュラルフード、地球の多様な食文化を愛する、旅する植物料理研究家YOSHIのつれづれ

カンボジアのプチなる暮らし

2006-02-08 | Asia&Cambodia
夕べは書き込み途中に、停電でした。いい感じのところですべてがなくなった。
あきらめて部屋に戻ったら天井のファンも動かないから、むっと蒸し暑くて、階下のテーブルで宿主のおじいさんと涼んで過ごしたのでした。

プノンペンで落ち着くはずのこの宿は、外に面した窓があるし(隣と目が合うんだけど)、シャワートイレが部屋についているし、清潔なシーツのダブルベッドだし、そして何より、デスクがついているのが気に入った。6ドルで、当初の予算の2倍だけど、まあ想定内。
宿の前は映画館バイヨンで、「ドバー」「ギャー」という雄叫びが部屋の中まで時折入ってくるし、カラオケカフェからは下手なカンボジアポップス(演歌っぽい)が聞こえてくるけど、このくらいの雑音なら、この町ではもう慣れっこだ。

何度も触れているように、プノンペンに滞在する主な目的は、フランス語の詰め込み学習。
なぜカンボジアでー?ということなんだけど、フランス統治時代の影響を、この国は色濃く残しているのです。
バゲットもあり、コーヒーもあり、カスタードプリンもある。
在フランス人もいるし、フレンチレストランもある。
ポルポト以前の年配の人たちは、英語はわからないがフランス語なら解す、ということも多い。

実際夕べ話した宿のご主人はフランス語の人だった。
彼いわく、カンボジア人はみんな日本人のことを好きなのよ、とのこと。人がいいからな、へらへらして、ノーと言いそびれて、こっちの人たちもすぐに友達扱い、馴れ馴れしくしてくる。自分も含め、いい悪い両方の意味でこれは事実だと思う。でも私はそれでもいいと思っている。
でもご主人が日本人を好きだというのは、そういうことで言ってるのではなかった。インドシナが日本の統治下にあるときの日本人の姿を思い出して言ってるのだ。今もって賄賂などいけないことが横行しているこの国、日本の人たちは統治中、そんなことがなかったらしいのだ。
このことについては、何度か触れている平野久美子さんの台湾、カンボジアについての本の中で深く取り上げられているものなんだけど、実際に年配のカンボジアの人からそういう話を聞くのは初めてだった。
そして同時に、今の時代に生きて、幸運にも平和と繁栄の中でこうやってプノンペンに滞在している日本人である自分のアイデンティティ、とかこれからの日本人の責任みたいなことも、自分に問いかけはじめる。

にしても、外国の言葉を知ることで広がる世界、ってすごい。
ここカンボジアの南国で。

よくしゃべり、笑う明るいイタ系アメリカ人ハワイアンのマルチアーチスト、マイキー兄とは、よしポエムの題材にもなったヴェスナの店で合い席になって意気投合、早速明日クメール(カンボジア)料理教室を一緒に受けようということになった。

このヴェスナの店は、看板もなく、小さな店内にはテーブルが二つ、土を固めた床の上に置いてあるだけ。
そして、この店にふらりと入った人は、大抵誰かと友達になり、ヴェスナと語り合い、この店の常連となってしまう。
マイキー兄も、私もそんな類。
4年前にこの店に入って以来、プノンペンに来ると必ずこの店に戻ってしまう。
この店があるからこの町に戻りたいのかも、とさえ思ってしまう。
バゲットサンドとコーヒーで朝食をとったらさくっと出よう、と思っていても、気がつけば誰かとのおしゃべりで、2,3時間経っていた、なんてことが頻発してしまう。

そんなこんなで、着々と、のんびりとプノンペン滞在をカスタマイズしつつあります。
日本はすっごく寒いらしいです。皆さんお気をつけて。
よし












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