不在中のオーナー(昔の私のボス)に代わって、老犬ワンネスと過ごした葉山の1週間でした。
波打ち際に座り込んでなにをするでもなく海をみてじっと佇むワンネス。
いつまでもそうしているから、最後には重いお尻を持ち上げて連れて帰る。
部屋のなかではヨタヨタしているのに、浜に来ると俄然足取りが軽くなる。
童心に戻っている。海が大好きなこともひしひし、伝わる。
私もワンネスみたいに海を欲する。山か海かと言われたら、海!と言う。
野山も同じくらい欲しているけれど、憧憬の点では海の訴求力は強すぎる。
ひとときの海との時間を、いっぱい自分のなかに浸らせて、染み込ませておきたい、と頭が喋る。
どうしたらこの冬の海と私を同化できるかな。
美しいものを前にしても、アタマのほうが常にうるさい。
ワンネスはそういうことは考えないんだろうな。
そう考えながら、ただそこにいるワンネスを見る。
ああ、ただそれでいいんだよね。
アタマが忙しかろうがヒマだろうが、海は水平線はここにあり、私は海の傍にいる。
意識するもしないも、関係ない。
ワンネスもここにいて、私もここにいる。
-Oneness-はいつでも起こっている。
葉山滞在中、SHIORIさんの朗読サプリ「セアロ108の言葉」、この2枚のCDを何回転していただろう!
車の中でも、家の中でもそれぞれの作業をしながら丸さんと二人でずっと 流していた。
ふとSHIORIさんの声が聞きたくなって取り寄せたのだけど、彼女の声を通してやってくるミャンマー上座部仏教の日本人僧侶、ガユーナ・セアロ師の言葉が響く。
自愛(自分を愛すること)・自分のために生きること、の大切さについて説いている。(私の主観的印象だけど)
再生ボタンをまた押しては、どんだけ必要なの?とお互いに苦笑いしてる。
聞きながらも、仕事と創作がはかどる。
サプリの名の通り、流して、じわじわと染み込ませたい言葉たち。
うまく生きられていない、と自分にマルをつけることができていなくても。
自分を責めることで手一杯で、そのままの自分を愛することができていなくても。
それは心の現象であって、いのちの実体ではなく。
海と同じように、すでにそこにあるもの、そこにある愛のことを、セアロの言葉が優しく強く語りかけてくる。
この朗読サプリを紹介したい人が、あれこれ脳裏に浮かぶ。
私や丸さんみたいに不器用で、愛ある、愛する人たち。
海と空。
海の青。
次は、物理的に海と同化したいからSUPだなー、SUP!!