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「ユダよ、帰れ」奥田知志先生」を読んでの感想 その2

「ユダよ、帰れ」奥田知志先生を久しぶりに読みました。
少しずつ思い出した時に読んでいるのでなかなか読み終わりません。それがいいのかなと思います。
今日読んだのは「放蕩息子の話」
僕の亡くなったお母さんが読んでいた聖書にひもをかけていた章です。
父親から分けてもらった財産を遊んで使い果たして父親の所に帰って来た息子の話。
ルカの福音書でルカは悔い改めた放蕩息子を父親が喜んだのを記したようです。
でも奥田先生の解釈は違う。
父親が喜んだのは息子が悔い改めたからでなくて、ただ息子が生きていて戻って来たのがうれしかったのだと。
放蕩息子は自分にはお父さんに会う資格が無いと言って戻って来たけれど、資格より命が大事、生きていることが大事だと言っている。

僕のお母さんも僕が戻って来て一緒に生きたのがうれしかったのかな。
僕もお母さんと最後一緒に生きて暮らして、お母さんを看取れてよかった。

コロナの時代。命の大切さが言われて来た。
ポストコロナの時代は資格よりも命が大事と言われて来た。
「やまゆり園」での障碍者殺人の話もだけど、今こそ生きているだけで素晴らしいのだと思いたいです。

最近僕はまた自分は何かやらなければ認めてもらえないと考えて来たけれど、また考え直したい。
べてるにもどうにも成らず皆を困らせている人がいるけれど、その人も生きて一緒に生活しているだけで良いのだ。生きているだけで素晴らしいのだ。
僕はそれを考えたいです。
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