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顕現日礼拝

前回の礼拝レポートが教会のみなさんに好評だったのでもう一度。
今日1月6日は顕現日。おめでたい日。僕のお母さんの誕生日でもある。
お母さんはおめでたい日に生まれたのだな、顕現日の話をお母さんにしたら喜んだだろうな。残念だ。

今日は大先生の説教。マタイによる福音書2章
僕は4つの福音書をやっと読み終えて、もう一度読み返しているので昨日読んだ箇所だったのでよく覚えていた。
顕現とははっきりと姿を現すことらしい。
僕は何となく聖書を読んでいるので、イエスさまが生まれたのにあまりめでたく書いていないなと何となく思っていた。
それが今日の説教で分かって来た。

当時の王はイエスさまが生まれたのを恐れた。自分の地位がおびやかされると。
私たちも誰かと比べている。誰か軽蔑する人を持っている。あの人よりは自分はましだと。
それが人間。人はねたみ、そねみを持って生きている。

本当は私たちはクリスマスが嫌なのだ。私たちは人を軽蔑し軽蔑される生き方をしている。
そこにイエスさまが来られると困る。自分たちの罪がはっきりしてしまう。
人びとは最初イエスさまの誕生を拒否した。

聖書を読むと決してクリスマスが喜ばれていない。私たちもイエスさま無しの方がいい。でも神さまは星を輝かせてイエスさまの誕生を教えてくださった。
イエスさまを探しに来た学者たちは最初道を誤った。でもイエスさまに会って、帰りには別の正しい道を通って帰ったのだ。
神さまはそんな私たちを見捨てないで最後まで導いてくれた。
この時に初めて私たちにクリスマスが喜びとなった。

私たちは心の中で拒絶している。そういう私たちのためにイエスさまは来てくれた。
私たちも人々とともに生きましょう。
人をおとしめて自分を立てるのではなくて、一緒に考えて信じるのです。

僕は今日の顕現日で初めてクリスマスのありがたさや喜びがわかったのかもしれない。
その日が毎年お母さんの誕生日。お母さんらしいな。天国でお母さんに話すことがまたひとつ増えた。
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