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2つの自分

今日は教会に行った。牧師先生の説教を聞いた。その後勉強会にも参加した。
僕には2つの面がある。
ひとつは馬鹿で出来が悪いけれど一生懸命に相手に感謝しながら生きる僕。
もうひとつは自分で上手くやれるのだけど皮肉的な僕。
今日の説教で読まれた聖書の箇所では、弟子のペトロがイエス様が水の上を歩かれたので、
自分も歩いてみたくなりイエス様に頼んで歩かせてもらった。「来なさい」と言われて歩いたのだけど怖くなり沈みかけてイエス様に手を伸ばして捕まえてもらった。
イエス様は「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と怒るのだけど手を伸ばして助ける。

今まで僕は少し教会に通って学んでいるのだけど、
イエス様は出来の悪い人をかわいがるのが好きなように思えて来た。
その一方で、やる事をしっかりやるのだけれど他の人と比べて、相手を見下す人を嫌っていると思う。
僕にはその両方があると思う。

でも僕はブルース・スプリングスティーンのコンサートに行くのだと言い出して、
いろいろな人に助けてもらいながら馬鹿丸出しだけど感謝してアメリカまで行ってライブを観て来てしまう。
また僕は当事者研究をやって僕は大したことをしたと思い、自分に嫌がらせをする人を馬鹿にして自分を保っている。
どちらが楽しいかと言えば僕は馬鹿丸出しでアメリカに行ってしまう方が楽しいのだ。

イエス様は自分がやる事をやれる人でも相手を見下したりしてはいけないと言いたくて、そういう行動を取っているのかもしれないと思う。
でもイエス様は出来が悪い弟子が好きなのかもしれないと僕は思う。
僕はそんなイエス様が好きな、出来が悪くても一生懸命に感謝して生きる人でありたい。
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