かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

変貌する古事記・日本書記

2020年07月30日 | Books



本書は、本屋で見つけた。
及川さんの本は、前、日本神話はいかに描かれてきたかという本で巡り合った。
神話と言っても、後付けの話がほとんどということだが、本書は、タジマモリと、ヤマトタケルにポイントを絞って、元の話と、今理解されている内容が、どのような経緯で、異なってきたかを探る話。
風が吹けば桶屋が儲かる的な話だ。

タジマモリといってもあまりなじみがないが、垂仁天皇が、常世(とこよ)の国で非時香果を探させたが、見つけて戻ってきた時には、垂仁天皇は、崩御されていて、タジマモリも後を追ったという話。
壮大な記紀の中では小さな話に思えるが、タジマモリは、明治になって、お菓子の神様に祀り上げられた。
人間が神様に祭り上げられることは、ないことはないがなぜお菓子に?
そこには、非時香果が何かということから始まる。
それは何かの柑橘類だったと考えられるという。
当時、お菓子というものはなく、果物がそれに代わるものだった(因みに”果”と、”菓”の区別もなかったという)。
橘とタジマモリの発音が似ていることも要因となり、タジマモリは、垂仁天皇のために何かの果物を探しに行ったのではということになってきた。
そこで出てくるのは、乃木大将。
明治天皇のご崩御の際、殉死した。
そして、同じく殉死したタジマモリと共に、奉られる存在に。
そして、菓子大博覧会なる行事が催された際、お菓子の神にさらに奉られ、それが浸透していったということらしい。


全然知らない話だったが、神社もちゃんとあるということで、一度拝みにいきたい。

ヤマトタケルの話は、もっと極端だ。
そもそも草薙の剣の話も、古事記と日本書紀ではややニュアンスが異なっており(日本書紀では、注釈になっている)、著者の考察だと、もともと”クサ”は、臭いから来ており、”ナギ”は、蛇を意味し、八岐大蛇から出てきた剣の”クサナギ”に、草薙という漢字を当てたことから、草薙伝説が生まれたのではないかとの説を唱えられている。
ヤマトタケルも、もともとは、ヤマトタケだった可能性が高いという。
ヤマトの漢字も、”日本”という漢字と、”倭”「という漢字が用いられるが、当初”倭”だったものが、中国ではあまりいい意味ではないと分かってきて、”日本”という漢字が用いられるようになった。
伝言ゲームの果てに、ストーリーが変貌してきたらしい。
金沢の兼六園にヤマトタケル像があるが、これは、ヤマトタケルが東征の際、当地に立ち寄り、当地の人が軍勢に加わり、加賀(賀を加えた)という話が元になっているという。
しかし、記紀にその話は全くなく、後付けである可能性が高い。
本像は、西南戦争の際、当地から軍が出ており、その戦勝記念碑なのだが、ヤマトタケルの西征の話から、ヤマトタケルの像が作られたのではないかとの説も。
因みに、本像は、日本最古の銅像なのだそうだ。
こちらも、解釈が解釈を呼び、いつの間にか、全く違うストーリーになっているのではないか。
そして、元の話がわからなくなっている。

そもそも天皇制は、藤原家支配、摂関家支配、武士の世界の時は、庶民から遠い存在で、江戸後期から、明治維新にかけて、急に、クローズアップされてきた。
そして、これらの記紀の解釈の変貌も、この時代に激しさを増したようなのだ。

今伝わる記紀の話を真に受けると、とんてもない勘違いをしていることになるかもしれない。

面白い本だった。

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