グローバル時代の「日本人」

特に最近のラグビーのワールド杯戦を見て「日本人」も変わって来た、と感嘆する。これまでの「日本人」とはあらゆる面で異なる日本人選手が大活躍した。

背丈、顔、肌色、髪型、そして言葉など、まさに日本人的でない選手が「日本チーム」を構成し、世界トップレベルのアイルランドチームに逆転勝利した。
選手たちのコメントも日本語であるようなないような、だから私たちはこれまでの「日本人」意識から脱しなければならないことを痛感する。

まさにグローバル時代の意識改革をしていかなければならないのだろう。
その昔「自己紹介」で「オレは北海道生まれ」とか「新潟県生まれ」などといっていたが、「アメリカ生まれ」とか「オレのおふくろは日本の東京生まれだが親父はアフリカの◎○国出身だ」などということになるだろう。

こうなると「日本人の精神」とか「愛国心」などという道徳的カテゴリーは大きく変わらざるを得なくなるのではないか。今の政治家がいう道徳教育も時代遅れになるに違いない。

私たちもグローバル時代の「日本人」としてのアイディンティなどについて思いをいたさねばなるまい。

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