違和感がなくなった語句など

私たち世代の人間は、まず使う言葉(語句)で世代間ギャップを感じることが多い。しかしこれも少し聞き慣れると違和感がなくなってくるから「慣れ」というのは必要だ、恐ろしい、という思いがする。
 
例えば、「真逆」、「まったり」、「なので」、等々。他にもいろいろあるだろうが、例えば「真逆」という語は正反対というような意味だし、「まったり」はゆっくりくつろいでいるようすを表す、「なので」は前にのべたことを受けて使う接続詞になっている。かつてこの「なので」は「今日は寒いのでたくさん着てきた」というように使ったのだが、今もこういう使い方は当然するのだろうが、「今日は寒いね。なのでいっぱい着てきたよ」というように言う人がいるのだろう。
 
ちなみに辞書を引いてみた。1989年11月に出た「日本語大辞典」(講談社)と2008年の「広辞苑第6版」(岩波書店)。
「真逆」と「なので」はどちらにも収録されていないが、「まったり」は、日本語大辞典では「おだやかな味わい」と昔の用法が説明され、広辞苑では「ゆっくりくつろいでいるさま」と今の用法も併せて説明されている。
今若者たちは私たち昭和世代の人間からはるか遠い未来に生きているようで、もっともっと多様な語句をもっている。
 
私など、「真逆」は使うことがあるかも知れないが、あとの二つは多分これからも自分からは使うことはないだろうと思うのだが、若い世代が使えばそれほど違和感がなく受け入れるのでは、と思った。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 高木毅大臣 庶民には増税... »