kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

公民館の講座の講師なるまで、次のような過程で。

2010-12-21 08:25:15 | パソコン市民活動
家庭の主婦が、退職した男性が、公の公民館主催のパソコン講師になるまでの過程をアップしてみる。爺の参加する会は、講師群全員が、シニア情報生活アドバイザーの認定の資格を持っている。

その資格を取ってからが、講師養成の大事な勉強期間である。

1 シニア情報生活アダバイザー資格取得のための養成講座。1回3時間の講座を7回受講し、筆記試験・実技試験・プレゼン発表(PCでの作品)の認定受験を受ける。

2. この会に入会後、講座の前のリハーサル(事前勉強会)に参加し、勉強する。
 ある会員は講師になるまで100回のリハーサルに参加した。

3. 数か月の後、希望により講座のサポートとして参加する。この時が、講師としての心構えや指導法を身につけていく。サポートは、公民館講座、私立の大学での講座、他の公民館講座、会独特の講座等のサポートを広く担当する。

4. この会独特のPCの勉強会、年に数回(この中には新設講座も含む)開かれる。

5. 3か月毎に,各講座の講師・サポートの担当を希望する。1週間の予定で、それを集計し、講座グループ会議を開催する。サポートは大体希望通りである。講師については全員で経験・研究姿勢・会員の批評等を参考に推薦し、本人の承諾を得て決定する。
 講師になるには大変な研究・勉強の努力が必要である。この苦痛に耐え、それを喜びに切り替わった時に、講師として成長していくであろう。

3*講師に推薦されたら、相当の日数をかけて、既定のテキストを自分のものに作り直したり、指導の仕方の研究に努力する。大変な勉強になる。会員は、退会する人も殆どなく、よく頑張っている。みな、勉強することが好きなものばかりと自負している。

講師の資質を高める勉強会 その2

2010-12-18 08:29:02 | パソコン市民活動
Word やExcelのオプションについて

1. オプションは主として、どこに設定されているか。
2. どんな機能が「おせっかい機能」と呼ばれているか、それを解除するにはどうするか。
3. 便利な機能で、通常は設定を変更するまでもない機能については、そのオプションがどこにあるか。
4. 自分の好みに合わせて設定しておいた方がよいオプションの設定。
これらにつて勉強し、利用できるようにする。この時間のねらいである。

おせっかい機能について
1. Office ボタンをクリック。1番下の行 の「Wordのオプション(1)」をクリック。
2. Wordのオプションの画面が出る。左のボックスに[基本の設定・表示・文章校正・保存・・・」と続いて書いてある。
3. 文章校正-オートコレクションのオプション―入力ホーマットをクリック。上図が表示される。
4. 例3から例8まで表示され、各例の解説が文章で書かれている。実にわかりやすいテキストである。
講師の研究の深さには頭が下がる。素晴らしい勉強会であった。

明19日・明後20日は、留守にします。ブログ休みます

講師の資質を高める勉強会 その1

2010-12-17 06:15:36 | パソコン市民活動
東葛インターネット普及会では、各講座の事前勉強会であるリハーサルはいつも実施している。講師として当然の務めである。その他に、年間計画によって、PCに関する6回の専門的な勉強会を実施している。講師はすべて内部講師である。豊かな経験と知識を持った方が多くいる。

今回は、「Microsoft Office のオプションについて」の平凡なテーマである。平凡過ぎて、殆どの人は関心がない。PCの初期設定に素直に従って、ワード・エクセルを使用している。

しかし、中には、お節介機能が、文章作成を混乱させているものもある。
そこで、PC講師を専門にする講師は、そのオプションについて、大体を理解し使用できるように勉強会グループで立案した。
それに従って今回の担当講師は、PCを使って実験し、それを認識してテキストを作った。

テキストはA4で21ページの厚みである。更にテキストの内容の順序に従って、自習できる練習帳を作成した。講義はテキストで説明し、練習帳にデータを書きいれで実証する。

この一連の事前研究・テキスト作成・練習帳の作成・講義の進行と練習帳(指導の技術)の扱いの指導方法の研究と相当の根気と努力であった。
これだけに対し、報酬はボランテアでる。世間では考えられないことであろう。

受講生も30数名で、会員の過半数である。皆、本当に良い機会(他では考えられない)
で熱心に勉強していた。爺もこの会にいる幸せを心より感じた。
講師さん本当に有難う。


ベルリン歴史転換の日その3

2010-12-16 08:34:29 | 柏シルバー大学院
社会主義はなぜ倒れたか

社会主義は計画主義である。調査によって需要数をはじきだし、それによって生産をする。
それが正しいことであり、結果等を見て計画等を修正しない。正しいことをしているので、それに逆らう者は悪とする。

つまり、党独裁となり、修正は悪となり、修正主義者の粛清を正当化する。
東独は改革は遅れたが―隣の壁紙論―西の情報TVで知るー民主化要求運動拡大―社会主義のヨーロッパ国の崩壊―東西独壁の解放―東西ドイツ統一―民主主義社会へ

資本主義は、品物を作ってみる。売れない時は原因を考えて修正する。次のものをつくる。原因として、売れないのは、市民の意向や趣味・興味等を考えなかったから。それに気付く。
資本主義の延命―古典的資本主義を修正―社民主義・福祉政策を導入―民意を反映して今日にきている。

誰も知らなかった壁の崩壊
西ドイツのコール首相はポーランド訪問して、ヤスゼルスキーと会談中であった。
壁の崩壊をしり、西ベルリンに、とんぼ帰りであった、

多くの方には、昔話で、知らなかったと思います。爺は、この当時よく知っているので、懐かしく拝聴した、無理のお付き合いさせて申しわけありませんでした。
このテーマアップ終わりました。



ベルリン歴史転換の日その2

2010-12-15 08:45:50 | 柏シルバー大学院
1.壁の崩壊・・・1989年11月9日。東西ドイツの再統一 1990年10月3日
 陸の孤島西ベルリンであった。西ベルリンは東ドイツに囲まれた孤島であった。

2.東西ドイツの境の壁の構築
 1961年8月13日、突如有刺鉄線が張られた。市民が朝目を覚ましたら有刺鉄線が張られていた状態。数回にわたって改築された。監視塔・地雷原・軍用犬が置かれた。
東の労働者・医者・技術者は西へ出稼ぎに。東は年金生活者が町にあふれていた。

3.壁はどのようにして開いたか。
 シャボウスきーという方の一言が、ことの始まりになった。(間もなくビザなしで西独訪問が認められる)待望の発言だった、その気運が市民に行き渡り、行政も抑えられなくなってきた。テレビ等で西ドイツの豊かな生活、新しい珍しいものを垣間見で、例えば、ナイロンの靴下、バナナ等に引き付けられていった。

自然に壁に作られた出入りの扉に、多くの人の列ができた。壁が開いた、

11月12日には、ポツダム広場に、早朝から人の波、東独工兵隊出動したが、花火のような美しさの中で、東西ベルリン市長が握手して、歓迎ムードになった。


ベルリン歴史転換の日その1

2010-12-14 08:16:26 | 柏シルバー大学院
Aクラスで、このテーマについて、当時のNHK解説委員・○○大学教授の講演を聞きました。21年前のことであり、ベルリンが東西ドイツに分かれたのは1945年であった。転換の日は1965年で、知らない方が多いと存じます。興味のある方はお読み頂ければと存じます。

1941年のころ(日本は1941年12月8日、ハワイ真珠湾奇襲攻撃で開戦)日本とドイツとイタリアは世界を相手に戦争を始めた。3国軍事同盟を結んでいた。ドイツとイタリアは日本よりヨーロッパ国を相手に戦争を始めた。

開戦当初は大変元気で、他国を占領していった。ドイツのヒットラーによるユダヤ人のガス集団殺人は大変有名である。そして、米英仏は西から、ロシア(当時はソ連)は東からドイツを占領した。東西ドイツに分断された。ベルリンが東にあるが、これも2つに分断されその境に壁が築かれた。西ドイツは資本主義、東ドイツは社会主義になった。

日本は、後半は負け戦になり、沖縄を初め多くの島々の犠牲、国内でも空爆の大火災等による多大の焼死者、最後に広島原子爆弾、長崎の原子爆弾に原子爆弾を落とされた。皆さんが、ご存じのように実に瞬間的な大量殺人爆弾であった。
1945年18月15日に終戦した。


高齢者のPCベテランがシニアの講師になるには 

2010-12-13 06:00:49 | パソコン市民活動
シニア情報生活アドバイザーの認定試験資格のための講座が実施された。受講生は男性で60歳後半の1人でした。この方はPC経験が20年以上、趣味や業務関係に使用し、また、PC活用のオリエンテーション、社会団体のコンサルタントをしていたとのことである。

この方が、高齢者のPC初心者指導のための資格取得講座を受講している。わたしの担当は、第6回目で、実技模擬(45分)、筆記試験模擬(60分)、プレゼン(15分)練習の担当補助であった。

相手は、シニアPC初心者であることを前提に、学習したり、プレゼンの発表内容を作成したり・・・と、各回の講座ごとに講師から言われている。

プレゼンのテーマは、日常の水道料金、ガス料金、電気料金をグラフ化し、その料金の増減の変化から、生活姿勢を反省し、新生活を作り上げていくことである。

エクセルの基本的操作で作成すれば、割合簡単にでき、初心者にわかりやすいものを、自分のPCの力量で作成した。本人だけがわかって、講師やサポートがわからない用語まで並べている。これでは、認定試験の趣旨にあっていない。東京本部の認定試験でも、PCを30年もしている方が、プレゼンで不合格になっている。理由は、プレゼンの趣旨にあっていないとの理由である。
それを心配し、私案である爺案を作成し、それを受講生の送信した。

人間が、自分の技術を変える難しさを教えてくれた。以前にも同じような受験生がいた。合格を祈念している。

上野駅から吐き出されて・・・何処へ行く

2010-12-12 07:59:38 | 日記
上野駅の公園口に朝の10時についた。おびただしい人の群れが改札口から吐き出されている。何処へ向かうのだろう。気をつけながら公園の中に歩いていった。

お父さんやお母さんに手をひかれ集団で動物園の向かうの幼稚園・保育院らしい塊が多かった。
美術館(都立美術館改築中)・芸大美術館・博物館・科学館・西洋美術館・音楽会に向けての大人の集団。
上野東照宮、時の鐘等歴史文化財を求めて歩く中高生の修学旅行も目に付いた。

上野公園は、こどもも大人も年寄りも、喜んで迎い入れ、楽しませて、歴史を教えてくれ、動物に触れさせてくれ、芸術に感動させてくれ、憩いと楽しさを平等にもたらせてくれる。

上野精養軒入口「時の鐘」の鐘つき堂が多少の高台に建っていた。
花の雲 金。上野か浅草か 芭蕉の句である。
江戸時代、時の鐘は、上野・浅草等8日所におかれたようである。

歴史的にも大変多くの資料がある、魅力の公園である。


「文楽」の人形遣い・曽根崎心中(2/2)

2010-12-11 07:44:09 | 柏シルバー大学院
2. 人形浄瑠璃「曽根崎心中」の話のあらまし。
遊女のお初と手代の徳兵衛は、深く愛し合う仲でしたが、徳兵衛の主人は妻の姪と結婚させようと、徳兵衛の継母に持参金を渡しました。
徳兵衛は継母から持参金を返してもらったが、九平次にだまされ、返す持参金はない。そればかりか、九平次からは罵倒される。男の一分が立たなくなった徳兵衛とお初は、曽根崎の森に死に場所を求めてさまよい、心中するというのです。

3. 歌舞伎の世話狂言の形式を借りて作られた最初の世話浄瑠璃。
「曽根崎心中」は曽根崎で実際に起こった心中事件をもとに作られた近松門左衛門の代表作。1703年、大阪の竹本座で初演され大ヒット。歌舞伎の世話狂言の形式を借りて作られた最初の世話浄瑠璃である。大好評で、今日まで引き継がれている。竹本座は、これまでの積みあがった赤字を解消し、新たなスタートとなった。

感動を与えたものは??

 心中、殺人、密通などの実際に起こった事件をモデルにした作品は、当時数多く作られていた。「曽根崎心中」が他の作品と大きく違っていたのは、事件を見せもの的に描くのではなく、徹底して主人公ふたりの立ち場から書かれている点にある。愛情や名誉を大切にするからこそ世の中とぶつかるという、若者の純粋さゆえの悲劇を描くことに成功したのだ。主人公たちは、破滅を避けることはできなかったが、それは人間として生きるための情熱的な行為であり、この世でなしとげられなかった思いを天国で果たすという、日本的な「救済」の思想に支えられている。

文楽についての好奇心を呼び起こされた講義であった。

「文楽」の人形遣い・曽根崎心中(1/2)

2010-12-10 08:37:13 | 柏シルバー大学院
Aクラスの授業で、「文楽」の人形遣い・曽根崎心中のテーマについて授業を受けた。
全くの素人であるが、内容をアップします。間違いはお許しください。

文楽とは、(インターネットより)

“文楽”はわが国の伝統的な人形劇であり、世界に誇りうる高度な舞台芸術の名称 です。 文楽というのはもともと、この人形劇を上演する劇場の名前だったのですが、 いつのまにか芸能そのものをさすようになり、現在では正式の名称として使われてい ます。
江戸時代に大坂で生まれた人形芝居で、昔は人形浄瑠璃と 呼ばれた。太夫と三味線が浄瑠璃を義太夫節という音曲で語り、人形遣いが3人で遣う 三位一体となった音楽劇。太夫、三味線、人形遣いを三業(さんぎょう)という。

1. 曽根崎心中について

元禄16年、徳川五代将軍・綱吉の時代。義太夫のために、近松門左衛門が(曽根崎心中)を書く。辰松八郎兵衛が名おやま(人形遣い)をした。
辰松の頃は、一人遣いで、おやまの他、若殿を籠にのせ、6尺の男2人、共の女中2人の計5人も操った。仰向けに寝て、口と手と足を用いた。
この頃は、人形も小さく、目・口・眉・指先は動かなかった。

次回に続く