kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

PCのプログラムを作る・・・・昔の思い出(1/2)

2010-03-11 06:57:31 | 思い出

これは平成5年(1993年)のころ、情報処理検定試験の1級テキストの1問題です。当時パソコンプログラム作成する言語は、主にBasic,Cobol,Fortran等であった。役所のパソコン室では、Cobol言語で毎日、役所でつかうプログラムを作成していた。

爺が遊びで勉強したのは、上の図のようにBasic言語である。その頃、日本語で理解できるBasic言語ソフトを購入して取り組んだことを記憶している。検定試験は全日本商業高等学校協会が実施した試験で1級・2級・3級とあった。このころ情報学部等は、大学にあまりなかったように思えた。

当時、2年ほど自学で真面目に勉強して試験を受けたことが、今でも思い出される。

1.  プログラムを組む前に、上の図の右側の図解のように、データー判断-処理の流れを、流れ図にする。これをトレースといい、それに従って、右の図のようにBasic言語でプログラムを組んでいく。

2.  1つ1つの言語に番号をつけていく。100,110120、というように10区切り番号は、後で追加言語をしても支障ないようにする。

3.  図の流れのトレースを自分で創作していくことが難しかった。それが頭に残っている。

4.  慣れればそれほど難しくなく、2級・3級ぐらいまでの試験には合格できる。

今は、Basic言語などはPC上では見られず、visual Basicに発展しているようである。

パソコンに取り組むころの思い出として残っている。(116)<o:p></o:p>


新PCへの引っ越し出来た!!・・・アドレス・お気に入り・受信トレイ(2/2)

2010-03-10 09:27:02 | 日記

3 メールの受信トレイ等に保存されている各人のメール文を保存する方法を調べている。3月4日現在解決していない.

以前は、利用していたのであるが、どうしても思い出せない。

 

 メーカーのサポートに尋ねわかりました。さすが専門家である。

1.    デスクトップに「受信トレイ」というフォルダーを作る。

2.    デスクトップの[受信トレイ」を開いておく。

3.    Outlook Express 立ち上げるー受信トレイ―1つのメールをクリックする。

4.    編集メニューの「すべてを開く」を選択する。すべてのメールがアクセス状態の青色にかわる。それをマウスで、ドラックしでデスクトップに作成した、「受信トレイ」に持っていき、ドロップする。これで、デスクトップ上の「受信トレイ」にコピーされる。

5.    新しいVistaパソコンのOutlook Express を開き、「1から4」までの、逆の方法で受信トレイにドラックすれば完了する。

6.    他のトレイも同じ要領で作成できる。

まだまだ、新PCを使いこなすまでには多くの課題がある、爺も頑張らなくちゃ!!。

この3つの引っ越しに関係する、「各種設定ファイルにバックアップと復元」というテーマで、東葛インターネット普及会で、勉強会があった。PC教室の30台のパソコンでは不足する盛況だった。皆さんの期待が多いのですね。次回それについてアップします。(103)

<o:p> </o:p>


新PCへの引っ越し出来た!!・・・アドレス・お気に入り・受信トレイ(1/2)

2010-03-09 09:15:59 | 日記

今PCはWindows 7の時代である。私は、1月にVista を購入したばかりである。置いてきぼりになっている。自分で選んだPCだから文句も言えない。

XPが2台とVictaの3台をルーターでネットワークで結んでいる。

古い機種は、NECとSONYのXP、新は某社のVista である。古い機種から新しいVista機種 へ、次の項目の移動で挑戦した。

1.    アドレス帳
古いPCの「Outlook Express」の「ファイル」メニュー―エクスポート―アドレス帳からデータをUSBメモリに保存した。次に「VictaのPC」を開き、同じファイルメニューのインポートから挿入した。
挿入は完了し、操作してみた。インストールされていないようだ。Victaのメーカーにサポートを依頼した。エンカク操作で、相手がパソコンに挿入してわかりやすく操作の方法を指示してくれ、難なく解決した。
特に理解の鈍い爺には、ひと安心でした。メーカーのサポートの良しあしが購入の要素にしている事が正解だった。その点から今回のPC購入は満足である。

2 お気に入り
これも、アドレス帳と同じように、XP機種のInternet Explorer の「ファイル」メニューを開き、インポートおよびエクスポート―お気に入り―保存する。次にVistaを開き、ファイル―インポートおよびエクスポート―お気に入り―挿入で、成功した。

  問題は、Outlook Express の引っ越しである。次回に続けます。(110)

<o:p> </o:p>


ブログ600回目(10.3.8)になりました・・・御蔭さまで

2010-03-08 08:25:39 | 日記

このサギ草を、創刊号、100回、200回、300回、400回、500回、600回、記念にアップしています。

2010年3月8日が、2008624日初めてアップしてから600回目になりました。

500回は2009112日でした。それから100回アップしました。

読んで下さる皆さんに励まされているお陰です。本当にありがとうございました。

何時まで続くか・・・と、弱い心に襲われながらも今日まで引っ張ってくれました。

この年になって、こんな機会を持たせてくれて大変嬉しく心の支えにもなっています。

今後とも、よろしくお願いします。

しかし、何時も自己反省ばかりです。自分のことだけ、自分よがりの考え方だけ、同じ行動パターンだけの繰り返しで、進歩性がありません。しかも一方通行です。年に免じて儀容赦ご容赦ください。

特に、パソコン等のテーマについては、読まれる殆どの方が既に活用されていると存じます。しかし、何人か初めて出会う方もおありと存じアップしています。(112)           

                                2010.3.8   


ペイント絵画第1シリーズ (その8)

2010-03-07 09:49:47 | ペイント画

モミジを絵画する

画の手前に紅葉のモミジを入れました。

*前回の雲の形が気に食わないので消しました。

1.紅葉の葉の形を、我が家のモミジで改めて観察しました。割合に描きやすいことに気がつきました。気が楽になりました。

2.最前列に描くので、葉は大きく、形がはっきりわかるように工夫した。

3.立体感を表すのに、後ろの葉は、多少濃い色または黒味かかった色を使用してつもりであるが、あまり表現ができていないようである。

3.元本の写真では、モミジの表現がもっと多かったが、画の見立ちを考え少なくした。

どれも一人よがりです。作成している方は、自由に表現されるといいと思います。

参考

 1回目 1月18日、2回目 1月23日、3回目 1月29日  4回目 2月4日 5回目 2月11日 6回目 2月18日 7回目 2月28日(89)

<o:p> </o:p>


某ウィルスソフトがやっとインストール出来た(2/2)。

2010-03-06 09:39:22 | 日記

第2回目は、プロバイダーを変えたので、また、以前使用していた同じウィルスソフトをにインストールしようとした。どうしてもインストール出来ない、原因を調べたら、前回に削除した時、残骸が残ってしまっていた。それが原因だった。それを削除するソフトをソフトメーカーからメールで送ってもらった。残骸のソフトの削除は終わったもの、今度はインターネットに繋がらなくなった。

そこで「システム復元」を実行して、インターネットの接続が正常に出来た直前の日に復元した。インターネットに繋がった。あきらめかけていた気持ちが躍りあがって喜んだ。

当然かも知れませんが、インストールしていた「削除するソフト」は削除されていた。システム復元の強い機能能力にびっくりした。

そのため今も使っている古いパソコン(3台ルーターに接続してある)は、プロバイダーサービスのウィルスソフトしか入っていない。

近くリカバリして、ウィルス関係ソフトは皆無になった時点で、新しく契約したソフト(3台可能)をインストールするつもりでいる。

現在、新しいPCは、プロバイダー自身が任意で実施している「メールと迷惑メール」の監視とデータの保管システムに入っている。このプロバイダに尋ねると、「パソコンまでウィルスソフトで監視はしていない。入れられた方がよい」との話であった。

お金もかかることなので、暫く様子を見て、ウィルスソフト1本に切り替えようと思っている。

これでPCについての気持ちを落ち付きけたいと思っています。(113)


某ウィルスソフトがやっとインストール出来た(1/2)。

2010-03-05 13:13:12 | 日記

成功はパソコンメーカーの良きサポートのお陰である

新パソコンを購入した。体験版として既にPCに入っていた。3年間の契約をした。ウィルスソフトインストールには、何回も苦い経験をしているので、嫌気を持っている。

今回も、解説に従って、ホームページからインストールを実行した。先ず、体験版を説明通りに削除した。説明に従って、契約のソフトのインストールを始めた。すると、マカフーソフトを削除してからやり直してください。嫌な気持ちになった。

またも、厄介物が現れた。前の嫌な経験と結びついてしまった。

新しく購入したPCメーカーのサポートのお陰で、その障害を取り除いたら、予定通りインスタール出来た。心がいっぺんに解放された。PCメーカーのサポートの素晴らしさに感心し、これからPCを買うなら、このメーカーという気持ちが起こった。

以前に、あるウィルスソフトを途中で削除し、再インストールを試みたことがあった。サポートの方と電話で長いこと助言を受けながら、挑戦したが駄目だった経験が強く残っている。そこで、そのメーカーのウィルスソフトのインストールをやめ、プロバイダーの簡単なウィルスソフトでカバーした。プロバイターを変更する3カ月前までは、それを使っていた。(135)

次回に続く。


一本のペン先から広がる世界・・・井上ひろし(3/3)

2010-03-04 09:14:20 | 柏シルバー大学院

4 エピソード

ひさしの家を訪ねて 好子夫人の母親談

「浅草橋の頃合いましたけどね、何もしゃべらない人でした。」「無口の人なんですね。」と筆者。
「雑誌社や出版社などのが大勢来るが、対応しようとしない人なので、好子が皆してましたね。」

「ひさしが仕事に人を家に呼んで仕事をしていたときは、その接待や食事を好子が引け受けて、私も手伝いましたよ」

市川の建売の社員に案内されて見に来た家族づれの姿が「夏休み」に描写。

まもなく、この近くに新線が敷かれることになておりまして、しかもその新線は都営地下鉄につながります。銀座まで35分か40分で出られるんじゃないでしょうか。空気よし、都心に近し、この辺は穴場でございます。「でも、千葉県というのがね」ブルゾンを粋に着こなした40前後の男だった。((春休み)より)

井上ひろしは、ペン先1本から世界にと広がっていった人間ですね。今まで講義を受けた小説家の多くが、強い個性を持っていましたね。井上ひさしも同じですね。(108)

 


一本のペン先から広がる世界・・・井上ひろし(2/3)

2010-03-03 08:39:04 | 柏シルバー大学院

5) 昭和45年 「ひょっこりひょうたん島」、第9回日本放送作家協会賞最優秀番組賞受賞。

 6)昭和46年 戯曲集「表裏源内蛙合戦」出版。「11ぴきのネコ」で、斉田喬戯曲賞を受賞。

 7)「手鎖心中」(別冊、文芸春秋)で、67回直木賞受賞。

 8)昭和58年 (吉里吉里人)を新潮社から刊行。日本SF大賞、読売文学賞を受賞。

 9)昭和60年、仕事は順調にいっていたものの好子夫人が蒸発。昭和61年離婚。

 10)昭和62年 米原ユリと再婚。市川から世田谷に転居。

 11)平成16年 市川市文化振興財団の理事長を務めている。

3 蔵書は13万冊

 蔵書の多さに、家の床が抜けた話

 仕事部屋の周りが本で埋まっていく。本棚はもちろん一杯で、今度は床に積み上げていく。それが机の周りに迫ってきた。それでもどんどん積み上がって、足の踏み場もない。そのうちに、部屋にいるとギギギ。ギー、って音がするんですね。虫でもいるのかな思ったです。ある日、本の紙袋を仕事部屋にポンとおいた。床がズルズルと傾いて、ドツカーンと落ちたのです。いや、びっくりしましたけど、一方で感動しました。(笑い)「本の運命」(97)

明日に続きます。

<o:p> </o:p>


一本のペン先から広がる世界・・・井上ひろし(1/3)

2010-03-02 08:47:43 | 柏シルバー大学院

井上ひろしと市川市・・・柏シルバー大学院Aクラス授業内容

この市川で、わたしはどうやら一人前の放送作家に、一人前の劇作家に、そして一人前の小説家になることができました。自分の家を持ったのも市川が初めてでした。そんなわけですから、この松林の美しい街は、私の前半生のすべてでありました。もちろんわたしの夢のほとんど叶えてくれた市川に、いつも感謝していることは言うまでもありません。市川よ、ありがとう。井上ひろし (市川の文化人展パンフレットより)

1.  市川市に一軒屋を購入した理由
「ひょっこりひょうたん島」が、児童文学の山元護久とひさしの共作で、昭和39年4月から始まり44年まで好評放映された。収入も安定し住宅を購入した。
その直前は、「明日はどうなるかわからぬ根無し草の放送ライター暮し」とも縁が切れるかもしれぬ。すこなくとも明後日までの喰い扶持は稼げそうだ」とほっとした(自筆年表「ナイン」収録)ここから作家活動がスタートした。

2.  生い立ち

1) 昭和9年山形県の現在の川西町に、次男として生まれる。本名、井上廈。父は5歳の時逝去。

2) 15歳の時、一家離散。カトリック修道会ラ・サール会児童養護施設に弟と収容された。そこから上智大学外国語学部フランス語科に入学、1時休学、再度復学。浅草フランス座に採用され、ラシオドラマを書き、懸賞に応募。24歳で賞金獲得年額40万円を超えた。

3) 昭和35年、内山好子と結婚、内山家に入籍。

4)昭和42年10月に市川市に転居。才能開花、発想が次々に湧いてきた。(104)

次回に続きます。