井上ひろしと市川市・・・柏シルバー大学院Aクラス授業内容
この市川で、わたしはどうやら一人前の放送作家に、一人前の劇作家に、そして一人前の小説家になることができました。自分の家を持ったのも市川が初めてでした。そんなわけですから、この松林の美しい街は、私の前半生のすべてでありました。もちろんわたしの夢のほとんど叶えてくれた市川に、いつも感謝していることは言うまでもありません。市川よ、ありがとう。井上ひろし (市川の文化人展パンフレットより)
1. 市川市に一軒屋を購入した理由
「ひょっこりひょうたん島」が、児童文学の山元護久とひさしの共作で、昭和39年4月から始まり44年まで好評放映された。収入も安定し住宅を購入した。
その直前は、「明日はどうなるかわからぬ根無し草の放送ライター暮し」とも縁が切れるかもしれぬ。すこなくとも明後日までの喰い扶持は稼げそうだ」とほっとした(自筆年表「ナイン」収録)ここから作家活動がスタートした。
2. 生い立ち
1) 昭和9年山形県の現在の川西町に、次男として生まれる。本名、井上廈。父は5歳の時逝去。
2) 15歳の時、一家離散。カトリック修道会ラ・サール会児童養護施設に弟と収容された。そこから上智大学外国語学部フランス語科に入学、1時休学、再度復学。浅草フランス座に採用され、ラシオドラマを書き、懸賞に応募。24歳で賞金獲得年額40万円を超えた。
3) 昭和35年、内山好子と結婚、内山家に入籍。
4)昭和42年10月に市川市に転居。才能開花、発想が次々に湧いてきた。(104)
次回に続きます。
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