小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

龍馬とアメリカ彦蔵

2009-11-12 16:02:08 | 小説
 龍馬とアメリカ彦蔵(ジョセフ・ヒコ)は、面識・交流があったとする説がある。そうであったら、いいなあとは思うけれど、私は少し懐疑的である。
 松岡司氏の近著『異聞・珍聞 龍馬伝』(新人物往来社)に「ジョセフ=ヒコ」という項目があって、「さてそのヒコ、龍馬と交流があったこと、知ってます?たぶん、私の本以外にほとんど書かれたものはないと思いますので、以下、紹介」とある。そして「つまり彼(龍馬)のまわりには、ときとして英米民主主義を深く理解したヒコがいて、重要な示唆をときに応じてなすことがあった。そのことが、龍馬の大統領制、議会制、また民主主義の受容に役立っていた可能性があるのです」とまで述べている。
 松岡氏の主張とそっくり同じ主張は田中彰『幕末史の研究』(吉川弘文館)の中にもある。しかし、ここまで言い切れるものだろうか。
 龍馬側の史料にも、アメリカ彦蔵の史料、たとえば自伝にも、ふたりが交流したという根拠を見出すことはできない。
 松岡氏や田中氏が論拠とする『改訂肥後藩国事史料』の「荘村助右衛門」の龍馬との談合報告書を、いま読み返してみた。たしかに龍馬、助右衛門、それに彦蔵が同席して、それぞれ語り合った内容のようにみえる。しかし、これは、龍馬対助右衛門、さらに彦蔵対助右衛門のそれぞれ時点が違った談話の報告書とみなしたほうがよさそうだ。
 三人が同時に話し合っている内容ではないのである。だから「此事窃ニ為君今日発し候」という彦蔵の言葉が書きつけられているのだ。つまり、君にだけ話すという重大な内緒話が、傍に龍馬がいては意味をなさないのである。さらにこの場所は龍馬の宿舎であって、ほかに八、九人の同席者がいたと助右衛門自身が報告しているのである。
 このことについては、以前「アメリカ彦蔵と呼ばれた男」でも詳しく書いた。右欄の「自薦ブログ」に追加しておいたので、ぜひあわせてお読みいただきたい。 


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