小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

落ちた涙あるいは桜の精の物語  3

2006-03-27 20:28:16 | 小説
 憤怒のほむらに嫉妬という油がそそがれたのである。サホヒコの稲城を包囲した皇軍は、しかしそれ以上攻めることができなくなる。いつのまにか、サホ姫が稲城に入ってしまったからである。女心は揺れにゆれていて、男たちは先を読むことができない。
 サホ姫は懐妊していた。それも臨月だった。天皇にすれば、サホ姫もろとも稲城を壊滅させることができないのである。膠着状態の続くうち、サホ姫は御子を産む。以下、原文の格調を生かすことにする。

 故、その御子を出して、稲城の外に置きて、天皇にもうさしめたまひつらく、「もしこの御子を、天皇の御子と思ほしめさば、治めたまふべし」とまをさしめたまひき。ここに天皇のりたまひしく「その兄を怨みつれども、なほその后を愛しむにえ忍びず」
 
 生まれた子を、「もし天皇の御子と思うなら」とはいわずもがなのセリフではないか。不倫の子かもしれない、という疑念を、天皇が抱くことをサホ姫は知っているのである。
 天皇は御子もさることながら、サホ姫にたいする未練がある。なんとしてでも彼女を取りかえしたい。一計を案じた。
 戦士の中から力が強く動作の敏捷な者を選び、いわば特殊部隊を編成する。サホ姫奪回のチャンスは、御子の受け渡しの時にしかない。


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