小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

幕末の「怪外人」平松武兵衛 9

2007-11-08 15:57:56 | 小説
 イギリス人ジャーナリストのブラックによって、明治5年3月、築地居留地において創刊された邦字新聞があった。「新真事誌」という。その新真事誌の明治7年1月22日号に、スネルの名が登場する次のような記事があった。
 タイトルは「佃島でコロップ砲試射」である。

 客冬12月9日佃島に於て、大砲放射の試験を天覧ありしは、普国(プロシア)にて新発明の「コロップ」という砲にて(略)神器なり。我が政府より普国へ御誂えとなり、新たに鋳造して輸入する処の二門なり、その価2万円なりと。爆弾装置、放射の術、器械運用の方法迄教授のためスネル氏を遣わす。

 記事の「コロップ」砲というのは、ドイツのクルップ社製の大砲のことであろう。天覧とあるから、明治天皇御臨席のもとに試射が行われているのである。
 さて、この記事に登場する「スネル氏」を、私はヘンリーではないかと思うのである。
 プロシア公使館に勤めていたのはヘンリーの方だったから、「スネル氏を遣わす」のなら、まさに兄の方が適任のはずだ。
 さらにスネル兄弟は、兄のヘンリーと弟エドワルドで役割分担がはっきりしていた。会津藩の軍事参謀となるほど軍事好きだったのはヘンリー平松の方であり、弟エドワルドはもっぱら武器調達に徹していた。つまり弟はあくまで商人であった。そのエドワルドがクルップ砲に関する操作のノウハウを取得するため、プロシアに行くような人物とは思えないのである。
 アメリカから帰った平松武兵衛は、結局、軍事に関係する仕事に戻ったのではないのか。
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。