小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

横井小楠を考える 1

2007-12-18 21:02:09 | 小説
 明治2年正月5日の京都は薄曇りで、ひどく寒い日だった。その日の昼下がり、京都御所内にあった太政官を退出し、帰路についた参与(現代ならば大臣か)が暗殺された。
 横井小楠である。
「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南洲とだ」
 と勝海舟に言わしめた、あの横井小楠である。
 海舟の言葉は『氷川清話』にあって有名なのであるが、そこで海舟は、こうも語っている。
「横井の思想を、西郷の手で行はれたら、もはやそれまでだと心配して居た…」
 つまり海舟は横井小楠を思想家と認め、逆に西郷は思想の人というより行動の人と認めていたことになる。
『氷川清話』には小楠について語る場面がいくつかあるが、海舟は彼の狷介さをよく理解していたように思われる。
「小楠は」と海舟はいう。「毎日芸者や幇間を相手に遊興して、人に面会するのも、一日に一人二人会ふと、もはや疲労したと言って断るなど、平生我儘一辺に暮して居た。だから春嶽公に用ゐられても、また内閣へ出ても、一々政治を議するなどは、うるさかっただらうヨ。かういふ風だから、小楠のよい弟子といったら、安場保和一人くらゐのものだらう。つまり小楠は、覚られ難い人物サ」
 その「覚られがたい人物」横井小楠と、暗殺犯について考えてみようと思う。

注:『氷川清話』は江藤淳・松浦玲編「講談社学術文庫」版を参照。もっとも良質な『氷川清話』である。


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