小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

荒木又右衛門の謎  3

2006-12-02 21:25:54 | 小説
 荒木は柳生宗矩に剣を学んだのではない、柳生十兵衛に師事したと書くのは『柳荒美談』である。彼が15才の時だという。
 さて柳生十兵衛は1607年生れである。荒木が1599年生れであることは前に確認した。年号でいえば、荒木は慶長4年生れ、柳生十兵衛は慶長12年生れ、つまり十兵衛は荒木より8才年下なのである。すると、荒木はまだ7才の子供にすぎなかった十兵衛の弟子になったことになる。そんな馬鹿な話はないだろう。
 荒木は、というより服部巳之助は養父から中条流、叔父の山田某から神道流の剣を学んだという伝説がある。(あるいは最初に宝蔵院流の槍術を学んだという説もある)彼がもしも剣豪という名声を確立したとしていても、柳生新陰流の剣士としてではないはずだ。「柳生新陰流の剣豪」というのは後世のでっち上げのように思われる。
 もしも彼が柳生十兵衛から剣を学ぶ機会があるとすれば、十兵衛が大和柳生谷に暮らし始めた寛永3年以降ということになる。これは心ある史家の指摘するところである。これなら十兵衛は20才、荒木28才となって師弟関係が生じてもおかしくはない。
 しかし寛永の年号の前の元和年間にすでに荒木は郡山藩の剣術指南役になっているというのだから、「柳生新陰流の剣豪」ぶりを買われたわけではないし、彼自身「荒木流」を名乗っていたともいわれている。
 荒木又右衛門が柳生新陰流の極意を会得した剣豪ではありえない、ということを如実に物語るようなエピソードは、鍵屋の辻の決闘後にある。


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