小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

虎の巻  4

2006-06-25 17:50:34 | 小説
 義経が張良の化現とされたことは、おそらく義経の風貌に関する伝説にも一役かっているはずだ。なぜなら張良は女とみまがうような美男子だったと伝えられているからだ。漢王劉邦に仕えた軍事の天才は役者のような男だったのである。義経もまた眉目秀麗な源氏の御曹司として、そのイメージが定着するのは張良がだぶっているのではなかろうか。実際の義経は醜男だったという説もあるからである。
 それはさておき、張良はほんとうに『六韜』の「虎の巻」を読んだのであろうか。実も蓋もない言い方になるが、張良が不思議な老人(黄石公とよばれる)から得た太公望の兵法書は、『六韜』ではない。張良は紀元前250年から185年頃の人物。ところが現存する『六韜』はその後の成立、つまり太公望の撰ではなく、後人の偽作とされるからである。
 現存する『六韜』は、なるほど太公望と周の文王および武王の問答集という体裁になっている。王が質問し、太公望が答えるというQ&A方式なのである。そこに太公望の思想と政治および軍事に関するノウハウが踏襲されているとしても、太公望本人の著書ではないのだ。
 話は時代をいったりきたりすると前にも書いた。双六ゲームのように「上がり」が見えないのだが、実は「虎の巻」をめぐるゲームのシナリオを作ったら面白いのではないかと、ふと思いついたことがあったのだ。『新宿鮫』シリーズの作家大沢在昌氏が、ゲームのシナリオをてがけて意外に面白かったと、かって述べていた。「虎の巻」をめぐっては、これまで紹介したように歴史上の有名人物が、それも中国と日本両国にまたがり、ごろごろと出てくる。小説という形式で時空を稠密に描くことは無理であるが、劇画ないしゲームシナリオなら、「虎の巻」をめぐる物語も可能なように思えたのである。
 それにしても、出発点は太公望である。うだつが上がらず妻にも見捨てられて、孤独に釣り糸をたれていた老人の身の上に、いったい何が起きたのか。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。