小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

虎の巻  5

2006-06-26 20:51:47 | 小説
 覆水盆に返らず、という諺がある。
 太公望とその妻の故事に由来している諺だ。不遇だった太公望が、周王の重臣となり、軍事参謀として成功し、斉の領主にまで出世する。すると、彼を見限ったはずの妻が、いまさらのように復縁を迫った。太公望は、かっての妻の前で、盆に入れた水を地にまいた。「この水をもとに戻せたら承知しよう」と言ったのである。
 太公望、本来の姓は姜(きょう)であるが、遠祖が呂という地に封じられていたので呂姓をなのり、呂尚(りょしょう)と称した。太公望という呼び名自体が彼の人生の転機となった挿話をあらわしている。
 太公とは父の尊称である。「父が望んだ」人物という意味が太公望である。ここで父というのは、周の文王の父のことだ。
 渭水で釣りをしていた呂尚と会った文王は、彼と話を交わすうちに「この人物こそは父が待ち望んでいた人物だ」と悟るのである。父(太公)はかねて「いずれ聖人が周にやってきて、周の興隆のためにつくしてくれるだろう」と予言してのであった。
 かくて呂尚は文王に仕え、その子武王をもたすけ、大国殷をほろぼして周を一大強国となしたのである。
 太公望が文王と出会ったのは70才を過ぎた晩年であったというのが通説である。しかし、ここのところが私には納得がいかない。
覆水盆に返らず、という諺の故事は、どうみてもまだ男女の生々しさが漂っている。なにかが変だ。
(ちなみに太公望が釣りをしていた場所というのが特定されていて、現在も観光地になっているから、中国という国の歴史は端倪すべからざるものがある。わが国では、紀元前どころか、たかが3世紀の卑弥呼の墓さえわからない)


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