小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

真相・清河八郎の無礼討ち その3

2011-11-30 17:54:15 | 小説
 清河八郎の同時代人に藤岡屋由蔵という男がいた。表向きは古書店の主人だが、「御記録本屋」とも呼ばれた「情報屋」である。彼の蒐集した江戸市中の噂や事件に関する情報(記録)は有料で、諸藩の記録役や留守居役が購読者だった。むろん彼は克明な日記をつけていた。
 そんなわけで『藤岡屋日記』は、江戸後期の情況を知る史料として、いまなお史家たちに重宝がられている。その『藤岡屋日記』に八郎の事件のことが記録されている。
「神田於玉ヶ池港川隣角 酒井左衛門尉元家来、浪人儒者 清川八郎」
とあって「剣術ハ千葉の門人、酒狂之上、切殺逃去候、但、川越辺え逃去候由ニ付、公儀より討手差向られよし」
 そして弟の熊三郎(25)と「八郎女房れん(24)は23日召捕られ、「町奉行へ引渡し、同夜仮牢入、翌二十四日揚屋入」と書かれているのだ。
 八郎らは実際に川越まで逃げたのだが、そのことは筒抜けであったみたいだ。落首でからかわれているのであった。

   清川を濁し川越へ逃げたとて
         先へ揚って岡で捕える

 さて、お蓮のことである。
 川越に逃走する前、八郎の家に同志たちが集まったとき、誰かがこう発言したとされている。
「家を焼き、お蓮さんを殺め、そのまま宿願の夷人館焼き討ちを実行しようではないか」
 計画露見で追いつめられ、なかばやけくそ気味に必死の心情を吐露したのであろうが、聞き捨てならぬのはお蓮を殺しておこうという発言である。
 お蓮は同志たちにとって、足手まといなのであろう。さらに言えば、もし彼女が逮捕されるとどうなるか。女だから死ぬより辛い目にあうのは想像に難くない。だから、いっそ自分たちの手で殺しておこうということなのだ。
 むろんこのような極端な意見は採用されなかったわけだが、そのことをお蓮自身がどう考えたかはわからない。
 お蓮は、藤岡屋由蔵が記するように5月25日揚屋入りである。


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2 コメント

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 面白いです (ノブ)
2011-12-02 12:04:23
 お身体も元気になられたようで、ほっとしております。そして、前のような素晴らしい面白い内容が読めるようになって喜んでおります。
 当方も、このブログでいろいろと刺激されてブログをやっているのですが、その意味では、本当に、いつも楽しみです。
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ようこそ (鏡川伊一郎)
2011-12-02 21:02:08
ノブさん、コメントありがとうございます。ノブさんのブログのURLも次の機会にでもご紹介ください。
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