小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

道真怨霊  5

2006-06-05 16:24:02 | 小説
 道真は宇多法皇が天皇の頃からの寵臣であった。その宇多法皇の子である醍醐天皇の右大臣なのだが、図式的に書けば、宇多法皇と道真は醍醐天皇および藤原時平とは対立的であった。つまり、宇多法皇と醍醐天皇の実の父子の確執にまきこまれているのである。
 この頃の宮廷は文芸サロン化と色好みが目立ち、かぎりなく退廃に近い爛熟の時代だった。宇多法皇は息子の后である京極の御息所を召すなど、現代なら信じがたいようなことも事実として記録されている。
 律令体制が崩れ始めようとした時期でもあった。若き醍醐帝は時平と強調して、地方行政の緊縮を進めていた。勅旨開田の禁止、あるいは貴族や社寺が地方の勢家から得た田地の返還を命じた延喜の荘園整理令など、革新的な政策を打ち出していた。むろん、保守的な貴族たちは反対勢力となる。醍醐帝を廃したいという思惑が満ちてきても不思議ではない。
 源善という宇多法皇の側近が、実際にクーデターを企てようとした、と私は思っている。源善は道真と同時に出雲権守に左遷になった人物である。のちに道真自身が告白している。「自ら謀るところはなかったけれど、善朝臣の誘引を免るることができなかった」
 道真らの動きは事前に時平らによって察知され、左遷という、考えてみれば寛大な措置ですんだわけである。なにせ、醍醐帝にすれば陰謀の黒幕に実の父である宇多法皇がいるのだから、こうするほかなかったのであろう。


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