小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

清河八郎の最期 その8

2011-12-29 17:59:41 | 小説
在京老中の板倉勝清の命令で「清河八郎を暗殺せよ」という指示が芹沢鴨の組の者たちに達せられた、と永倉新八が後日になって明かしている。八郎がまだ京都にいるときの指示である。
 芹沢らは八郎を尾行し、土佐藩邸近くの四条あたりで殺害する手はずであった。ところが八郎には山岡鉄太郎が同行しており、しかも山岡が幕府の御朱印を携帯していたため決行をためらったとしている。
 京都に八郎がもっと長く滞在していたら、あきらかに彼は京都で暗殺されていただろう。しかし八郎は、つまり浪士組は3月18日京都を出立、28日には江戸に到着した。その京都出立の朝、浪士出役が追加任命されて披露されている。
 講武所師範の速見又四郎、佐々木只三郎、高久保二郎、依田哲二郎、永井寅之助、広瀬六兵衛らである。なんのことはない、このメンバーが江戸における八郎暗殺団となるのである。あるいはこの時点で暗殺の密命をおびていたかもしれない。
 文久3年4月13日の朝、八郎は頭痛と気分の悪さを訴えていた。高橋泥舟に、きょうは出かけるなと言われたものの、約束だからと出かけていった。
 訪ねたのは麻布一ノ橋の上之山藩邸の金子与三郎である。八郎は金子という人物をずいぶん信用していたが、金子そのもがどうやら暗殺に関与していたと疑う者が多い。金子の呼び出しが罠だった可能性はかなり高い。
「八郎遭難の現状は、当時の目撃者の談話によって明瞭に揣摩することが出来る」と書く大川周明の著書によると、刺客は複数で、二手に分かれて待伏せしていた。
 上之山藩邸の正門からすぐ前の一ノ橋を渡ったところに葦簀張りの店があり、老婆が大福を売っていた。時間は午後4時頃だとされている。この店に数人の武士が腰かけていて、藩邸方向に目を光らせていた。さらに、その店の道路をはさんだ反対側の柳沢侯の角屋敷沿いに二人の武士がいた。
 やがて、この二人の武士の合図で、店にいた武士たちが上之山藩邸の裏門のほうにまわった。八郎を挟み撃ちにするためである。
 ほどなく笠をかぶった八郎があらわれ、一ノ橋を渡る。
 黒羽二重の紋付、甲斐絹の裏付き羽織と鼠に縦縞の袴を着用し、右手に鉄扇を持っていた。
 その八郎に二人の武士が近づき、声をかけ丁寧に挨拶した。
 前方に佐々木と速見の二人を認めた八郎は、挨拶を返すべく笠をとろうとした。その刹那だった。うしろから来た刺客の一撃が八郎を襲った。ほとんど同時に首のあたりを狙って佐々木の白刃がひらめいた。
 


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