小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

道真怨霊  8

2006-06-08 21:40:04 | 小説
 さて、鎌倉時代の天台座主に慈円がいる。慈円は、その著書『愚管抄』に藤原忠平について、奇妙な記述をのこしている。
 忠平は常人ではない、というのである。禁中の仁王会に忠平は姿を見せずに声だけで参加した。そんなことができるのは「隠形の法など成就したる人」だからと伝え聞いている、と書くのである。
 隠形の法とはなにか。 
 手元の岩波書店刊・日本古典文学大系『愚管抄』の頭注を以下にそのまま写す。
「隠形法は摩利支天の隠形の印を結んで、その陀羅尼真言を修すること。摩利支天は摩利支天経に説く仏教の天女。これを念ずると身を隠すことが出来るという。但し、忠平の仁王会における逸話は不明」
 そんな逸話など探す必要はないのである。ここには、かんじんな注釈が忘れられている。
 隠形法は密教呪術のひとつである。はげしく祟る怨霊や鬼神を呪縛して、みずからの使役神にしてしまうという術のことだ。つまり、怨霊や鬼神を自在にあやつる呪術なのである。
 もう、いわずもがなだろう。忠平は菅原道真という怨霊あるいは天神という鬼神を自在にあやつったのである。あたかも隠形の法を使ったかのように、だ。道真の怨霊が雷になって祟るという噂を流すだけで、政敵にじゅうぶんすぎるほどのダメージを与えることができたのであった。なにしろ、政敵は気の弱い貴族たちであったし、時代そのものがなにかのたたりをうけているかのような苛酷な時代だった。各地で旱魃、かと思えば洪水、疫病の流行、そして落雷被害の頻発、おまけに隕石まで落ちてきた。 


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