小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

横井小楠を考える 9

2008-01-08 21:58:45 | 小説
 横井小楠を「国賊」とする証拠を探し出す目的で、大巡察古賀十郎は9月28日に熊本に到着している。くどいようだが妙な話なのである。暗殺者の主張にそって横井を「奸人」と決めつける罪跡探しを刑部省が弾正台に命じているのだ。
 その古賀が10月7日に阿蘇神社に参詣すると、前夜、拝殿に投げ込まれたとする文書が大宮司から手渡される。小楠作『天道覚明論』である。
 投げ込んだのは横井小楠の弟子と称する人物(実態不詳)で、大巡察が来られたと聞いて、横井小楠の見識が大害をなすので禁じなければならぬことを示すために、慶応3年夏に小楠のもとで模写したものだという説明つきだった。
 茶番のようなお膳立てであるが、この文書のなやましさは二点ある。刺客の斬奸状にあった小楠がキリスト教を蔓延させようとしているという証拠とは無関係であることがひとつ。
 実は皇統にとって危険な発言があり、いわば不敬罪に当たる証拠として採用されようとした。むろん、誰もが偽書だとは薄々感じていたに違いない。偽書であるからして、その主張も横井小楠のものと別物かというと、それがそうではない。そこのところがふたつめのなやましさである。その言わんとするところは、横井小楠の思想に合致しているのである。このことを鋭くついているのは、私の知る限りでは松浦玲氏のみである。松浦氏は『横井小楠』(朝日選書)で述べている。
〈血統だけで位にいるのは間違いだという彼の理論には、例外はありえず、ここで天皇を例外とするようでは、彼の全理論が崩壊してしまうであろう。天皇に例外をつくるのは、小楠にとって、日本は仁政をおこなわなくてもよろしい、ということを意味する。それでは小楠の思想のすべてが無に帰するではないか。
 小楠の敵は、小楠の理論のこういう側面を正しく読みとっている。彼らにとって絶対無上の価値であるものが、小楠の議論によっていつ否定されるかわからない。大丈夫だという歯止めは、どこにもないのである。そこで小楠の血統論(禅譲放伐論)が天皇家に適用されればおそらくこうなるのではあるまいかと先廻りして書いて見せたのが『天道覚明論』だということになるだろう。その意味で、この偽書は、小楠の本質を鋭く衝いている。それはまた、小楠が生き続けた場合の、彼と明治国家との関係を暗示するものでもあった。〉
 松浦氏はそのつもりで書かれたわけではないかもしれないが、ほとんど小楠暗殺の真相はここにつきているのだ。彼に生き続けていられては困ると判断したものが、まさに「先廻りして」彼を殺させたのである。かっては龍馬が殺されたように。
 
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。