小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

横井小楠を考える 8

2008-01-05 17:51:52 | 小説
 朝彦親王が朝廷内に確たる勢力を維持していた慶応2年頃までは、禁裏諸門の警衛は十津川郷士だけが担っていた。朝彦親王の進言によるもので、十津川の者にとって中川宮朝彦親王は恩顧ある宮様であった。
 横井暗殺の立案者とみなされた上平主税、そして実行犯の前岡、中井のふたりは十津川郷士だった。そしてその上平は「大道組」というグループのメンバーでもあった。
 大道組には土屋(津下)をはじめ中瑞雲斎、大木主水、金本顕蔵、谷口豹斎らが中心人物として名を連ねていた。前に岩倉のスパイではないかと書いた塩川広平もいちおう属していた。
 大道組とはなにか。それは中川宮の復権を願う草莽郷士たちの政治結社だった。たとえば大木の場合、本名は宮太柱であるが、大木主水という名は朝彦親王から賜ったという説もある。
 つまり横井小楠暗殺は、大道組メンバーによるものと総括できるのである。
 朝彦親王の広島幽閉と、横井小楠暗殺事件がリンクすることを、私は栗谷川虹の著書(前掲『白墓の声ー横井湘南暗殺事件の深層』で教えられたが、いささか寒気がしたほどだった。
 刺客たちは、はめられたと前に書いた。すなわち大道組そのものが事件を起こすように誘導されたのである。ちなみに大道組には、岩倉具視の放った原保太郎や藤村紫朗というスパイも潜り込んでいた。
 新政府はまず盟主たる朝彦親王を京から追放した。そして大道組をいっきに潰すために、横井を暗殺させたのだ。むろん逮捕するためである。
 しかも逮捕者たちを弁護させることによって、残党をあぶりだし、さらに横井小楠を奸人とするイメージ作りにも成功したのである。
 さて、横井の罪跡追及に話を戻す。

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