小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

なぜ書くか

2009-04-19 22:08:41 | 小説
 たぶん水村美苗さんの著書を読んだ余韻のせいだろう。自分の若い頃に書いた評論のことを思い出していた。
 昭和の時代であるけれども、あの頃はまだ日本文学の運命には、たくさんの夢を託していたはずだった。平野謙が『昭和文学の可能性』などというタイトルの新書を岩波書店から出していた頃だ。
 その平野謙の岩波新書の最終章には私の本名近藤功での小論「私小説は滅びたか」も取り上げられているが、そんなこんなを思い出していたのである。
「昭和文学」という概念は私にはたしかな手触りで理解できるが、「平成文学」となると、イメージが結べない。
 平成の小説家たちが、〈書く〉ということについて、どれほど自覚的であるかもわからない。
 小説家たちは〈なぜ書くか〉、それはかって私にとっては大きな命題だった。昭和46年11月号の『三田文学』に寄稿した小論を紹介させていただく。御手数ですが以下をクリックして、ファイルをダウンロードしてお読みいただけると幸いである。
表現の論理ーなぜ書くか

 (蛇足)自分の寄稿した雑誌が手元に一冊もないので、国会図書館でコピーしてきたものをPDF化したもの。ご承知のように国会図書館での複写は専門の業者が行っているけれど、このコピーはちょっと歪んでいたりする。


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