陸戦では快進撃を続けた日本軍も、海戦では、惨憺たる有様だった。東洋のネルソンとうたわれた海将・李舜臣(イ・スンシン)ひきいる水軍に連戦連敗、制海権を奪われ、後続部隊が予定通り上陸できなくなっていた。小西行長らは孤立した恰好となり、しかも明が朝鮮に援軍を派遣したので、戦いの先行きは読めなくなってしまった。というよりきわめて暗いものとなる。秀吉の狙いはもとより明征服であって、朝鮮はその足がかりであったが、結果的には明と和平交渉を進めるほかなくなるのだ。
ところが、この和平外交が破綻する。今も昔も日本は外交下手に変りはない。
慶長2年(1597年)2月末、秀吉は朝鮮再派兵を決意、今度は明制服というより、朝鮮そのものを敵視した行動だ。戦いは凄惨な様相をおびはじめるが、その年の11月、慶尚南道宜寧で秀吉軍と朝鮮・明合同軍が激突、この戦いにサヤカが参戦していた。サヤカは他の降倭らと共にはたらき、朝鮮人捕虜100名ほどの奪回に成功しているのだ。日本兵一名を斬ったことも記録されている。さらに日本兵から「鳥銃」2挺を奪ったらしい。
注目すべきはサヤカが役職名「僉知」の肩書き付きで記録されていることだ。彼はすでに、たんなる一兵卒ではなかった。
(注:李舜臣を小説化した金薫『孤将』を拉致事件の当事者のあの蓮池薫さんが翻訳、出版されている)
ところが、この和平外交が破綻する。今も昔も日本は外交下手に変りはない。
慶長2年(1597年)2月末、秀吉は朝鮮再派兵を決意、今度は明制服というより、朝鮮そのものを敵視した行動だ。戦いは凄惨な様相をおびはじめるが、その年の11月、慶尚南道宜寧で秀吉軍と朝鮮・明合同軍が激突、この戦いにサヤカが参戦していた。サヤカは他の降倭らと共にはたらき、朝鮮人捕虜100名ほどの奪回に成功しているのだ。日本兵一名を斬ったことも記録されている。さらに日本兵から「鳥銃」2挺を奪ったらしい。
注目すべきはサヤカが役職名「僉知」の肩書き付きで記録されていることだ。彼はすでに、たんなる一兵卒ではなかった。
(注:李舜臣を小説化した金薫『孤将』を拉致事件の当事者のあの蓮池薫さんが翻訳、出版されている)
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