小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

横井小楠を考える 4

2007-12-23 19:47:00 | 小説
 事件のその夜、丸太町のいわゆる十津川屯所で上平主税(かみだいらちから)が逮捕されている。通説では、暗殺の立案者だとされる人物だ。
 上平は十津川出身の医者であったが、この頃は尊攘派の志士といったほうがよいだろう。十津川の郷中総代として京都御所を警備する十津川親兵を統率した経歴の持主だった。
 刺客のうち、前岡と中井のふたりは十津川郷士であり、上平の寓居(そこが十津川屯所と呼ばれていた)に身を寄せていたのである。
 横井暗殺の実行犯とは別に、上平のほかに次の者たちが逮捕された。
 和泉の儒医の中瑞雲斎、岡山の医者の宮太柱(当時の変名は大木主水)公卿の広幡忠礼の家来の谷口豹斎、儒者の金本謙蔵、神官を父に持つ塩川広平。
 ちなみに嫌疑をかけられた者は30名ほどいたらしい。
 ところで、上平らの逮捕は、刺客のひとり柳田直蔵の自供によって芋づる式に行われたというのが通説である。
 柳田は当時25才、大和郡山藩のもと足軽だった。例の斬奸状を懐にしていた男である。横井小楠の警護の者に斬りつけられ重傷を負っていた。遠くまで逃げきれずに、ある民家の雪隠にひそんだものの観念して、そこの裏庭で喉を突いて自害をはかった。だが、死ねなかったのである。
 喉を突いたというところに注目しよう。
 調書によれば「咽喉気管の上 巾一寸二分深さ七分ばかり」の疵で、しかも左腕は骨まで切れ、背中にも深手を浴びていていた。事件後7日まで生きていたらしいが、彼からその日のうちに、仲間たちの名を聞き出せたというのは、かなり疑わしい。満足に言葉を発することはできなかったはずだ。
 では、なぜ上平は早々と逮捕されたのか。この時点で残る刺客5人はまだ捕まってはいない。
 5人の人相書きが出されるのは事件後10日目であった。
 なにか、おかしくはないか。 


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