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久しぶりに

 この頃ペットボトルにおまけがついたものをとんと見かけなくなった。少し前までは、手を変え品を変え、色んなおまけが付いていて、それを集めるだけでも結構楽しかった。このブログにもその成果を披露したことが何回もある。
「それなのにどうして?」
とスーパーやコンビニでペットボトルを買うたびに不思議に思った。景気が悪くなって、飲料水を売る会社もコスト削減を余儀なくされて、とてもそんなおまけをつける余裕などなくなってしまったのかな、と素人考えで心配したものだ。それとも販売促進にさほどの効果を上げなかったのかな、と見つけると必死で買い集めた私から見れば合点のいかない推論も思い浮かべていた。
 なので、昨日スーパーでCCレモンのペットボトルに「WOODSTOCK マグネット」がおまけに付いているのを見つけた時は、かなり興奮した。
「おお!!久しぶりじゃないか!!」
とボトルを手に取ってみたら、そのマグネットは6種類あるだけだと分かった。それくらいなら一度に買ってしまえばいい、と陳列棚に並んだCCレモンを一個一個調べていって、6種類全部をゲットした。

  

  キャンプ                     日光浴                    観覧車 

  

  飛行機                       サーフィン                 サッカー

「ウッドストック」というのは、スヌーピーの親友の鳥で、まっすぐに飛ぶことができずになぜか逆さまに飛ぶ不思議な奴だが、小さくて愛嬌がある。こうやって集めたマグネットを見ていても、その愛くるしさがうまく表現されていて、なかなかの逸品だ。ただ問題なのは、6本も買ったCCレモンを誰が飲むかということだが、これから気温が上昇していけば、自ずと冷たいものが欲しくなるだろうから、そう心配はいらないはずだ・・。

 実は私が毎日愛飲しているサントリーウーロン茶でも、キャンペーンが行われている。ただ、今までと少し違うのは、ペットボトルのふたに「くじ」が貼りつけてあって、そこに書かれた番号をネットで調べると「アタリハズレ」が確認できる仕組みになっている。「アタリ」だと、「利き肉」か「利きマカロン」が当たるのだそうだが、私としては余り食指が動かない。「くじ」はもう何個か集めたが、何となく乗り気になれず、そのまま放置してある。

 5月31日が締め切りのようだから、それまでなるべくたくさん「くじ」を集めて、一気に「アタリハズレ」を確かめようと思っている。その様子はまたこのブログで報告することになるだろうなあ、きっと・・。
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まったり・・

 例年4月の日曜日は休みにしているのだが、今年は勉強したいという生徒が何人かいて、先週と今週、2週続けて授業をした。と言っても、さすがに午前中だけで、午後からはフリータイムになった。何をするという特別な予定もなかったので、昼食を食べに行きがてらどう過ごしたらいいものか考えることにした。
 折りから、市内中心部は春の祭礼でなかなかの賑わいだった。秋の祭りと比べれば、まったく規模の小さな祭りであるが、年々工夫を凝らした行事が増えてきて、些かの活況を呈していたのはめでたいことだ。私たちが訪れた洋食屋も、観光客と思しき人たちで満員だった。それでもいつもと変わらぬ美味しい料理を楽しめたのはさすがと言うしかない。


 これは妻が頼んだ「味噌カツ丼」。土日限定のメニューらしく、私としては初めて見たのだが、当たり前のように「おいしかった」そうだ。肉を食べない私は海老フライを食べたのだが、この店に来るたび名物の味噌カツを食べたい誘惑に駆られる。もう何日も生きられないとなったら、禁を破って食べたい料理の一つだ・・。
 食べ終わってしばし散策をした。いつもは閑散としている商店街が人であふれているのにはびっくりしたが、かつてはこれがいつもの情景だったろうな、と懐かしく思った。人波に流されて、ふらふら歩いているとところどころに五月人形が飾ってあるのに気づいた。

 

 写真左は昭和30年代の五月人形らしいが、そう言えば私の五月人形もこんな感じだった。鎧と武者人形はもう少し小さくて最上段で横に並んでいたが、大体の雰囲気はよく似ている。私の息子の五月人形は、鎧兜だけで武者人形はいない。その時代によっては流行り廃りがあるのは当然のことながら、もう少し丁寧に商店街を巡れば、いろんな世代の五月人形が飾ってありそうで、時間があったら調べてみたい。
 その後は家に戻ってダラダラ過ごした。日曜の朝はいつもより早く目が覚めるのが常習の私なので、ビールを飲んでしまうと夢うつつ状態になってしまう。時間があっという間に過ぎてしまって何をやってるのか分からなくなってしまうが、そんな朧な意識でまったりしていられるのも日曜日だけの特権なので、時間を浪費する罪の意識も酔いと眠気でどこかに飛んでいってしまう・・。

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 夕食は庭でBBQにしようかと思ったが、さすがに陽が落ちかけるとまだまだ冷える。いくら火があっても辛いだろうと、台所で焼いた。いつもより酔っ払った父が語る昔話に耳を傾けていたら、いつの間にか時間が過ぎてしまった。私は何も食べずにひたすらビールを飲んでいただけだが、父の楽しそうな顔を眺めていたら満腹になった。たまには父のとりとめのない話を聞くのもいいものだ。
 そんなことを思いながら、「龍馬伝」を見ていたら、いつの間にか眠り込んでしまって、目が覚めたら一日が終わっていた。少しばかり驚いたが、こんな一日もいいかな、と安堵した・・。
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スマート・セキュリティー

 結局、自室のPCの不調は、妻の推測通り老朽化したルーターが原因だった。
 
 光に変わるまで何もしないまま、動作の限りなく遅いPCで我慢するのはとてもできないので、考えられることはすべて試してみようと、金曜日、ルーターを買いに行った。光に変わってからも使えるものを求めたところ、繋ぐだけで後は自動認識してくれるという便利なものを店員が紹介してくれた。もしルーターが原因ならこれで解決できるはずだ、と言い出しっぺの妻が古いルーターと交換する作業を引き受けた。その間、私は塾舎で授業の用意をしていたのだが、頃合いを見計らって家に戻ったところ、「やっぱり思った通り!全然スピードが違う」と嬉しそうに、交換が成功したことを教えてくれた。「じゃあ、俺の部屋も確かめてくる」と急いで電源を入れたところ、どういうわけだか私のPCはネットに繋がらない。「ダメだぞ」と階下の妻に訴えたところ、「えっ?そうなの?」と絶句している。「やっぱりこの設定をしなくちゃいけないのか・・」などと下りて行ったら、ブツブツ言っている。私にはちんぷんかんぷんなので、「任せたよ」と言って塾舎に戻った。
 その後妻はかなり悪戦苦闘したようだが、塾が終わって状況を尋ねたところ、「繋がるよ」とあっけらかんと答えた。蛇の道はヘビというべきなのか、私よりも何十倍も詳しい知識をPCに関しては持っている。いつ覚えたのか知らないが、PC音痴の私にとっては便利で頼もしい存在だ。私ではこんなことはとてもできない・・。 


 ヤフーのモデムを変えた時にルーターも変えておいたら、こんな面倒なことにはならなかっただろうが、そんなことは今だから分かることで、その時はまるで気がつかなかったから仕方がない。まあ、何にせよ、かなり素早く動くようになったから、私とすれば気分がいい。
 
 今度の騒動で、自室のPCにもセキュリティーソフトを入れた方がいいな、と強く思うようになった。ブログの記事を書くだけで、あやしいサイトに行ったり、メールを開いたりすることもないから、セキュリーティー対策など不要だと何も手だてを施していなかったのだが、いつまでもそんないい加減なことではいつ危険にさらされるかもしれない。ウイルスなどに感染してからでは手遅れだ。これをいい機会にしてセキュリティーソフトを入れようと、決めた。
 ノートンは体験版を使ったが、更新するのが面倒で、期限が過ぎてもそのままの状態で放置してある。ノートンでもいいかと思ったが、一応妻にお伺いを立ててみたところ、「私のPCはスマートセキュリティーだけど、それで十分だと思う」
と、ナイスなアドバイスをくれた。そこで早速ネットで検索してみたところ、「ここがスッゴイ」と、このソフトの長所がいくつか並べられていた。
 ・(ウイルス)検出率が高い
 ・パソコンの動作が軽い
 ・USBメモリウイルスに対応
これならいいか、と思ったが、1か月体験版があるのに気づいたので、とりあえずそれを試すことにした。

 少しばかり時間がかかったが、インストールには成功した。果たしてどれだけの効果があるものなのか、少し前に Security Central との激烈な戦いに勝利した私としては、期待してしまう。だからと言って、セキュリティを過信して危険地帯に足を踏み入れようとはまったく思っていないのだが・・。
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胡蝶蘭

 このところ何鉢かシンビジュウムを買ったのはこのブログの記事にしたが、もうこれで最後にしようと決めて買ったのが、胡蝶蘭の鉢。


 これもまた「セール」と大書きされた札に1400円の値段が付いていた。3本も枝があれば十分だな、と思ったが、果たしてこれを買って来年も花を咲かせることができるか、かなり自信がないので店員さんに聞いてみた。
「なるべく早く花を切った方が株に負担がかからなくて来年も咲きやすいと言われていますが・・」
と、立て続けにシンビジュウムを買ったおかげで少しばかり顔馴染になった店員さんは丁寧に教えてくれた。
「咲きますかね」
「咲かせてください」
と励まされたものだから、ついその気になってお金を払ってしまった。
 
 胡蝶蘭というものはお祝いに何度か贈ったことがあるが、自分のために買ったのは初めてだ。ずらっと花弁が並んだ高価なものもいいが、盛りが過ぎてぽつぽつとしか咲いていないのもまた風情がある。控え目な感じがしてかえって好ましくさえ思う。
 だが、私のような無精者で大丈夫なのだろうか・・。
 と、その時、居間の隅にあった君子蘭の鉢が目にとまった。


 昨年妻が600円ほどで買った鉢が今年も見事な花をつけた。自分ではせっせと世話をしていると言っている妻だが、妻でもこんなに立派な花を咲かせられるなら、私も負けてはいられない。シンビジュウムと胡蝶蘭を来年にはきっと咲かせてみせよう。そのためにはできる限り丹精をこめねばならないだろう・・。
 とは思ったものの、後で塾舎の入口に打ち捨てられていた葉牡丹が今年も花を咲かせたのを見つけて、そんなに世話しなくても丈夫な奴は花を咲かせるもんだな、と感心してしまった。


まあ、ほどほどの世話でいいのかも・・。

 
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ジオラマ(8)

 本来なら「鉄道模型 少年時代」が4週分溜まったら、組み立ててその過程をこのブログの記事にするのを決まりとしているのだが、間にからくり人形を作ってしまったので、連続してジオラマ作りをするのも億劫になってしまった。それでも気にはなっていたので、5週目の33号が来る寸前になって、もうこれ以上はほかっておけないと、重い腰を上げてみた。だが、26号から29号までの付録となっていた露店にシールを貼る細かな作業から始めねばならなかったので、初っ端からかなり時間がかかってしまった。

 

シールを切って、露店のシートに貼っていく・・、単純な作業だが、露店は小さいし、12もあるものだから、見かけほど簡単ではなかった。「射的」「いか焼き」「たこ焼き」「やきそば」「あんず飴」「カルメ焼き」「お好み焼き」「ハッカパイプ」「ヨーヨー釣り」「輪投げ」「わたあめ」「金魚すくい」、本当に日本のお祭りだ、店番のおじさん・おばさんもついていて、自分が店をひやかしているような気がしてくる。
 しかし、ノスタルジーにばかり浸ってもいられない。ここからが作業の本番だ。29号で指定された作業は、里山駅前の踏切に道路を設置すること。これは簡単だ、接着剤でとめたらすぐにできてしまった。

 

 その次は、30号で建物用の照明ユニットを組み込む作業、31号で露店に照明ユニットを貼る作業と、かなり面倒な作業が続いた。ジオラマベースの裏面にコード留めを貼り、配線の模式図を見ながら、6本のコードをコード留めに通しながら決められた穴へと配線していく。穴から出したLEDにスタンドパーツを取り付け、里山駅やかやぶき農家、さらには今後設置する分校や神社などの位置に照明ユニットを配置していく。ジオラマベースを立てて作業しなければならなかったので、結構大変だった。

 

 露店に照明を貼りつける作業は、一段と細かな作業だった上に、露店に配線していく順序を間違えないようにしなければならなかった。


 31号ではさらにかやぶき農家の横の田畑に、プラスターで斜面を作る作業もしなけらばならなかった。以前河原の崖にプラスターで斜面をつける作業は難しくて、あまりいい出来栄えではなかったので少し心配したが、今回はうまくできたように思った。

 

 32号はスピーカーを設置するだけのごく簡単な作業。しかし、このスピーカーというものがなかなかの優れ物らしい。トンネル内部に設置したスピーカーからは、「発車」「停車」「踏切」「祭り」「警笛」の音がミニスピーカーから出てくるらしい。

 

実は昨日・木曜に届いた33号の付録は「照明&サウンドメカユニット」というもので、これを使えば、照明の点灯、音の種類の選択が行えるそうだが、まだ確認していない。だが、どんな感じの音が出るかは、次回のジオラマ(9)で動画にとって載せようと思うので、乞うご期待を!!!
 
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W不調

 ジオラマを久しぶりに作ったのを記事にするつもりだったが、どういうわけか自室のPCからネットに繋がりにくくなってしまい、なかなか編集画面にたどりつけない。仕方なしに携帯から投稿しているのだが、これだと長文を書くのが面倒だ。なので今はこれくらいにして、改めて塾にあるPCから書き込もうと思う。


 と思ったら、塾のPCも不調、めちゃくちゃ重い。これじゃあダメだと、現在「最適化」中。不要なものはどんどん捨てて、ディスクの空き領域を増やさねば。なのでまだまだ時間がかかりそう。

 「最適化」が終了して、ディスクのクリーンアップもしてみた。う~~~ん、少しは改善したかなあ・・。色々捨ててみたけど、空き領域があまり変わらなかった気がする。知らない間に溜まってしまった塵芥のようなものが積もり積もっているんだろうから、そんなに簡単にはいかないだろうけど、これからも整理し続けなくちゃいけないだろうな。それはもう普段の自分と同じことなんだろうけど・・。

 自室のPCの方は妻がヤフーに電話した。対応したサポートによれば、
「基地局と我が家のPCまでの間に何か障害があって接続が悪いのかもしれない。信号は強くしてみるが24時間かかって調節していくのですぐによくなるとは限らない。これからもこういったことが繰り返されるかもしれない」
とのことだった。いくらなんでもそんな不確かなことでは困ってしまうので、取りあえずはこのままADSLにしておいて、光に変えた方がいいだろうと妻と話し合った。そこでNTTに電話してみたが、工事がいつできるかなんとも言えないとのことだった。まあ、それは予想できたことなので、申し込みだけはした。工事が完了するまでに、プロバイダーを変えるかどうかを考えればいいので、気長に待つことになった。
 今の時点では、ネットの繋がり具合がよくなったようには見えないが、もう少し時間が経てばよくなるかもしれない。それに期待して待つしかない・・。
 しかし、回線が違うのに2台のPCがほぼ同時に不調になるなんて変なものだ。


 深夜になって自室のPCを使っているのだが、「使えなくはない」、といった状態にまでは回復したようだ。
 妻があれこれ調べたところによると、ルーターが古いと速度が遅くなることもある、という話だ。妻のPCと私の部屋のPCはLANが組んであって、ルーターが大事な役目を担っているそうだから(説明を聞いてもよく分からない・・)、ルーターが古くなれば働きが悪くなるのも当然だ。しかし、どうせ光に変えるつもりなんだから、ADSLのルーターを新しくするのはもったいない気もするから、どうしたらいいんだろう。
 遅さを我慢できるかどうか、少しばかり悩ましい・・。
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ホヤ

 またまた珍しいものを魚屋で見つけた。「ホヤ」だ。


 実は私、ホヤというものを見るのはこれが初めてで、思わず「何これ?」と店員さんに尋ねてしまった。
「ホヤです」
「これがホヤ・・。貝なの?」
と、今度は妻が尋ねた。
「貝じゃないですね。どちらかと言えば海草の種類に近いですかね・・」
「この芋みたいなのが、海草? 触ってもいい?」
と言って指で押してみたら、意外に柔らかい。
「どうやって食べるの?クセがあるってよく聞くけど・・」
と妻は早くも食べてみるつもりだ。
「酢味噌がいいですね」
 ということで2つ買ってみた・・。が、さすがの妻も調理法が思いつかないらしく、魚屋さんに頼んだ。で、もらってきたのがこれ・・。


 めちゃくちゃ少ない・・。
 いったいなんだ、このホヤってのは?ますます不思議になったので、少し調べてみた。

 『ホヤというのは一種類ではなく、原索動物ホヤ網の生き物の総称である。ホヤ網はマボヤ科、シロボヤ科、ヒメボヤ科、マンジュウボヤ科など 12科に分かれ、さまざまな色や形のものがある。オス・メスの区別はなく、生まれてすぐのものはごく小さなオタマジャクシのような姿で海中を自由に泳ぎ回る。成長すると岩などにくっついて、植物のように動かずに暮らすようになる(希に浮遊生活をつづける種もある)。
 食用にするのはマボヤ科のマボヤとアカボヤである。マボヤはトゲ状のでっぱりがたくさんあり、アカボヤはツルンとしている。どちらも皮が固く、皮の中にあるやわらかい身を食用にする。貝の仲間だと思われがちだが貝とはまったく別で、むしろ魚のような脊椎動物に近い生き物である。オタマジャクシのような姿の幼生時代には尾の部分に脊索といって背骨に似た部分を持っている。
 日本人でもホヤはちょっと…という人は多い。見た目のグロテスクさもさることながら、独特の磯臭さを悪臭と感じる人が多いようだ。この味を好むのは日本特有のことかと思っていたが、なんと欧米でも古くから食用にしていたという。フランスでは主に生で食べ、南米では加熱して食べる』

 で、思い切って食べてみた。まずは「からしみそ」で・・。う~~ん、確かに磯の香りはするが、思ったほどの臭みはない。からしみそがよくあって、まあ美味しいと言えるだろう。っとそこに妻が今流行りの「おかずラー油」を取り出してきた。

 

 我が家ではブームになる前から桃屋の「辛そうで辛くない少し辛いラー油」は使っているそうだが、今回はSBの「ぶっかけ!おかずラー油」で試してみた。
 
 しかし、さすがにこれは失敗。ラー油の味が強すぎて、ホヤなどどこかに行ってしまった・・、残念。
 私にはこのラー油が辛くて仕方なかったのだが、妻は「全然辛くないよ」と相手にしてくれない。味覚はかなり違うのに、毎日同じものを食べいられるんだから不思議なものだ。

 
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困難は分割せよ

 井上ひさしさんが亡くなった。彼の膨大な作品の一読者として何か書き留めておかなくちゃ、と思いはするが、いかんせん読んだ著作の内容をほとんどを忘れてしまっていて、何をどう書いたらいいのか正直分からない。ただ享年が75才だと知って、「最近それくらいの年齢の人が多く亡くなるなあ、そう思えば同じ年頃の私の父はずいぶんと元気で有難いことだな」としみじみ思った。

 いったい何冊、井上ひさしの本があるのだろう、と思って書棚から出してみた。
「吉里吉里人」
「不忠臣蔵」
「馬喰八十八伝」
「腹鼓記」
「日本博物誌」
「日本語相談 一」
「ことばを読む」
「喜劇役者たち」
「シャンハイムーン」
「人間合格」
「きらめく星座」
「頭痛 肩こり 樋口一葉」
「吾輩は漱石である」
「もとの黙阿弥」
「本の枕草紙」
「うふふ」
以上、16冊もあった。こんなにあるとは思っていなかったので少しばかり驚いた。だが、全冊かなり埃をかぶっていて、もうかなり長い間頁を開いていなかったのが分かる。ならば、とこのブログで井上ひさしについてどれだけ書いたことがあるのか、「井上ひさし」で検索してみた。すると、彼の著作について取り上げたのは2006年3月「2006年3月25日の「うふふ」という記事だけで、あとはすべて藤原竜也がらみの舞台にまつわるものばかりであった。これだけで、近年は彼の真面目な読者ではなかったことがよく分かり、慙愧の思いでいっぱいになった・・。
 なので、ここで追悼文めいたものを書くのも何やらおこがましいので、11日の毎日新聞夕刊に掲載されていた丸谷才一の追悼文から最後の一節を引用しておくことにする。

「この劇作家は、歴史という怪物によって翻弄され続けた昭和の日本人全体の、あまり賢いとは言いにくい生き方をもちろん裁こうとしている。しかしあれだけ達者な芝居づくりの芸を持ちながら、わかりやすい対立の図式を持ち込もうとせず、むしろそれを排して、昭和史という愚行をなつかしむことにより人間を憐れむのが、ひさしさんの方法だった。この心の広さは、世阿弥や竹田出雲とは一味違う彼独特のもので、それがあるからこそ、この二人と並ぶほど偉大な劇作家なのだとわたしは思っている」

 丸谷才一をしてかく言わしめる才を持ち合わせていた人がもうこの世にはいない。彼がこの世からいなくなったということは、彼の新作をもう見たり読んだりできないということだ。これが今の日本にとってどれだけの損失であるのか、浅学な私でさえ身につまされる。彼の遺志を継ぐ者は必ず現れるだろうから心配はいらないが、井上ひさしというかけがえのない存在は永遠に失われてしまった。死とはそういったものだろうが、彼のいなくなったこの世界で私たちがよりよく生きていくためには、中学の教科書にも取り上げられている短編「握手」の中でルロイ修道士が語った「困難は分割せよ」という言葉の持つ意味を深く考えて行くことがますます大切になるように思う。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。
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じゅうたん(3)

 先週の火曜日から車が整備に出ていたため、ETCの付いた車が他になく、月初めに参拝することにしているお千代保稲荷へ行くのが遅れてしまった。買い替えて半年ほどの車だが、当初からエンジンのかかりがあまり良くなく、キュルキュルと空回りするような音を立てながらエンジンがかかったりすることが時々あって、かなり最初の頃から不調をディーラーに訴えていた。その都度機敏に対処してくれたものの、一向に改善されないため、少しばかり長く預かって様子を見たいというディーラーの意向に従ったのだが、何とか不具合の箇所を見つけて部品を取り換えて戻ってきたのが土曜日の夜遅く。これでうまく行けばいいのだが・・。
 日曜日にエンジンをかけたら、気持ちよくかかった。この車の爆発的なエンジン音には思わずうっとりしてしまうが、一段と官能的なサウンドに高められたようで、思わずアクセルを踏みこんでしまいたくなる。一週間代車で我慢していたが、運転していても面白くなく、早く戻ってこないかなと待ち焦がれていただけに、お稲荷さんまでの行程は楽しいものだった。
 高速道路の無料化をマニフェストで高らかに歌い上げていた民主党政権が、高速道路の新しい料金体系を明らかにした。それによれば、お稲荷さんに往復する程の距離では、値上げになってしまうらしく、車中その話で持ちきりになった。その朝、TVでは民主党の代表者が苦しい言い訳をしていたのを見て、なんだか詭弁を弄して必死に自分たちの失点を糊塗しようとする意図ばかりが目立って胸くその悪い思いをしたばかりなので、どうしても民主党のいい加減さを非難するばかりになる。金科玉条のごとくあげあつらう民主党のマニフェストなど、誰もまともに実現できるとは思っていなかったのだから、いい加減自分たちの見通しの甘さを正直に謝れば私たちにも対処のしようがあるが、自分たちは間違っていないと強弁し続ける彼らの傲岸さにはほとほと参ってしまう。間違いを正直に認めない者などとても信用できない。
 などなど、いささか険呑な雰囲気になりがちではあったが、そんなものは高速道路を下りてお稲荷さんに向かう途中で出会った風景の前ではあっという間に忘れ去られてしまった。
 

 さすが濃尾平野の西の端、見事なまでの平地が広がりすべてが田畑に変えられているが、毎年秋はコスモスの色とりどりの花で近くを通る者たちの目を楽しませてくれるのは知っていた。しかし、春には満開の菜の花がこれほど一面に咲き誇っているのは初めて見た気がしたので、さっそく車を止めて黄色のじゅうたをを愛でてみたのが上の写真だ。 
 やはり春を代表する色は黄色だ。あまり天気はよくなかったが、それでも黄色は目に焼きつく。特別菜種油を作ろうともしていないようだから、ただただ通りすがりの人たちを楽しませるためだけに世話をしているようだ・・。
 
 帰り道、フルーツパークのしだれ桜でも見ていこうかと思ったが、あいにく閉園間近で残念なことをした。その代わりと言っては何だが、ここ2週間連続して花見を楽しんだ公園の桜が満開を迎えていたので、写真を撮ってみた。


 さすがに3回連続日曜日に花見をすることはできなかったが、もしかしたら3週連続ほぼ同じメンバーで花見をしていたら、ギネスブックに載ったかもしれない、などとアホなことを思ってしまったのも、桜の木の下には死体が埋まっているからかもしれない・・。
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「信念を貫く」

 松井秀喜の「信念を貫く」(新潮新書)をたった今読み終えた。この本が刊行されたのを知ったのは3月の中ごろ、それ以来色んな本屋で探したのだが、どうしても見つからなかった。ぐずぐずしていたら、メジャーリーグの開幕が近づいてきてしまい、已む無く書店に注文した。AMAZONで注文していたらもっと早くに読み終えることができていただろうに、どうにも近頃機転が利かない・・。
 3年前に出された前著「不動心」は、何も成し遂げていない男が自分を語るなどおこがましい、と思っていたし、いかにも悟り切ったような題名にも納得がいかなかった。その後の松井の不振や相次ぐ怪我も、偉そうなことを言うからだ、と「不動心」を目の敵にした言質をあちこちで吐きまくったりした。だが、今回の「信念を貫く」は違う。念願のワールドシリーズ制覇を成し遂げ、シリーズМVPまで獲得したのだから、1つ1つの言葉の重みがまったく違う。

 「負ける悔しさを味わい、左手首の骨折、両膝の手術を経験し、思うように試合に出られない日々もありました。そういったものが、すべて糧となって、つかんだワールドチャンピオンです。
 苦しい日々があったからこそ、その感激があったと思います。僕自身、ワールドシリーズMVPという栄誉ある賞を頂きましたが、順風満帆な道を歩んでいたとしたら、大舞台で結果を残せていたかどうか分かりません」(P.52)

 本当にそうだよな。契約を延長してからの4年間は本当に苦しかった。TVを通じて見ているだけの私があれほど苦しかったのだから、松井本人はどれだけ苦しかっただろう。それでも決して松井は負けなかった。苦しみと闘いながらも、決してひるむことはなかった。そのエネルギーはどこから来たのだろう。

 「調子が悪いとき、ヒットが出ないとき、そして膝が痛いときもあります。心の中に、弱い自分が現れるときもあります。
 そんなとき、僕のプレーを励みにしてくれる人を思い出すことで、もうひと踏ん張りできます。僕はファンの方々から大きな力を頂いています」(P.86)

 他の選手がこんなことを語っても、眉に唾したくなってしまうが、松井が言うと「なるほどそうか」と納得してしまう。世間で言われるほど、松井のことを聖人君子だとは思っていないし、やんちゃな松井が好きな私だが、ヤンキースでプレーした7年間を見てきて、野球に対する松井の真摯な取り組みに心打たれることがしばしばだっただけに、「僕はファンの方々から大きな力を頂いています」という言葉には、松井の本心が込められていると感じるし、私自身その一員であったことに喜びと誇りで胸がいっぱいになる。
 松井にとってワールドシリーズ制覇は通過点でしかなかったのかもしれないが、私にとっては到着点であったため、開幕が近付いてきても、なかなか昨年叫び続けた「松井愛」を取り戻すことができないでいた。このままフェードアウトしてもいいかな、とさえ思っていた時期もあったから、もっと早くにこの書を読むべきだったと今は反省している。松井が新たなチーム・エンゼルスの一員になりきるためには、自分自身の言葉でヤンキースの7年間を振り返り、心の区切りをつける必要があったのだろう。本書はそのために書かれたものであり、ヤンキースへの哀惜よりも、新天地で思い切り暴れてやるぞ!という意気ごみの方が強く感じ取れる。

 「何度も繰り返しますが、僕は野球が好きです。好きな野球だからこそ、だれにも負けたくありません。目指すのはただ、チームの勝利です。チームが勝つために自分にできることは何かを考え、自分なりに最善を尽くします。日々それを繰り返すだけです。
 ただ、そうやってベストを尽くして結果を出すことができれば、自分のためにも、家族のためにも、恩師のためにも、そして、ファンのためにもなると思うのです」(P.184)
 
 よし、分かった。松井、君の思いは十全に受け取った。僭越ながら私、また今年も君を応援させてもらうよ。頑張れよ!!
 
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