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大工さん
(
ボネット
)
2005-12-29 01:22:24
いい話ですね。
>大工という職業は、2つの「そうぞう」力が要る仕事だとかねがね思っていた。それは、住む人の身になってどういう家を造ろうかという『想像力』と、自分の持つ技術を駆使して思い通りの家を『創造する力』のことであり、この2つのどちらが欠けてもいい家は建てられないと思う。父を見ていると、本当にこの2つが備わった人物であることがよく分かる。それに比べ、今年大きな問題となった、耐震強度を偽ったマンションを建てた建築家たちにはこの想像力が全く欠如しているとしか思えない。
いい話ですね。これしか書けないボネです。
手造りが一番
(
ウゴメク
)
2005-12-29 01:33:18
私のブログにも紹介しましたが、塾長のお父さんの方が年季入ってて立派です。まず竹の切り口がいいですね。それと笑っている顔のように見えるところも。
うちの会社のはその笑い顔のことを知らず、あえて節を削らないようにしてました。すると、他の門松に節がきれいに削ってあるのを見て、やっぱりこっちの方がいいわ、と後でその笑いの部分を知ったしだいでした。何せ手本なし想像の世界で寄せ集め的に作ったものでしたから。
竹の色が濃くて凄く引き立っていますが、そのような立派な竹なんですか、それとも少し色がついてるんですか。
ボネさん
(
jukucho
)
2005-12-29 01:44:05
そんなに立派な職業と分かっているなら、自分でやればよかったのに、と思われるでしょうね。
自分でもそう思います。
何でこうなったのか
ーーーそれは昔は体が弱かったんです、こう見えても。
で、体はでかくてもヒョロヒョロで力もないもやしのような男でした。
(高3の時には身長185センチで体重が55キロくらいでした)
自分でも力仕事は無理だと思ったし、親も早くから諦めたようで、何も言われないまま成長したら、こんなになっちゃいました。
どこかで間違ったんだと思いますが、それがどこなのかはよく分かりません。
ウゴメクさん
(
jukucho
)
2005-12-29 01:51:15
やっと紹介することができました。
竹は切ったままの状態です。
今年のものは、いつものよりも太くて立派です。
どこで切ってくるのか、ついていったことがないので知りませんが、自分の実家がある山里に行って、適当に切ってくるのだと思います。
切り口は、本当にきれいです。
のこぎりで切るようですが、プロは違います。
現物をみると、本当に笑っているように見えて、いい年が来るような気がしてきます。
父も色々試行錯誤の末にやっとここまで作れるようになったので、やっぱり年季というのが大事なんでしょうね。
私には一生かかってもできません。
終わった~。
(
竜虎の母
)
2005-12-29 03:01:32
門松がお手製とは素晴らしいです。
笑っているように切るんですね。
やはり、笑う門には福来るなのでしょう。
心がけたいものです。
仕事納めと餅つきと虎子のプレバースデイその他諸々の怒涛の一日が終わりました。
餅つきは臼と杵でつきます。
今年は、虎子と従兄弟のウサオがほとんど搗きました。
去年からコツをつかんだらしく、二人で餅つきの出前ができると言っていました。
ウサオは受験生ですが、餅つきは欠かせない行事らしいです。
終了後、そそくさと塾の冬季講座に出かけていきましたが、けなげな彼の大願成就?を祈るばかりです。
虎子は年末に生まれました。
今年の誕生日は、友達と出かける約束をしたらしいです。
悔しいので、今日ケーキを準備して、早めのお祝いをしました。
だんだん、親と遊んでくれなくなるんですね。
そうでなくてはいけないのだけれど、ちょっと複雑。
「そうぞう」力
(
キャベタマ
)
2005-12-29 03:21:49
門松、素晴らしいです。
笑った顔のように切るんですね。
初めて知りました。
塾長さんがお父様のことを書かれるときは、いつもその情景が思い浮かんで、しみじみいいなぁと感じ入ります。
2つの「そうぞう」力=想像力と創造する力。
僕の仕事にも、そのような意識をできるだけ持つようにして立ち向かっていきたいと思いました。
どんな仕事にもあてはまる含蓄のある言葉だと思います。
竜虎の母さん
(
ボネット
)
2005-12-29 03:58:23
>仕事納めと餅つきと虎子のプレバースデイその他諸々の怒涛の一日が終わりました。
餅つきは臼と杵でつきます。
お疲れ様でした。
お正月は家族そろっていろいろなことができていいですねえ。
ウサギ年の息子さんもいらっしゃるんですか? あ、前にもお聞きしてたらごめんなさい。
大学生になったら、友達付き合いのほうが大事になるのかな。親のことはあまり考えなくなりますよね。
みんなでついた餅をお雑煮にして食べる良いお正月が待っているようですね。
こうやって皆さんの投稿を読んで、年の瀬、正月気分を味わっているボネです。
ありがとう!
塾長さん
(
ボネット
)
2005-12-29 04:05:32
>そんなに立派な職業と分かっているなら、自分でやればよかったのに、と思われるでしょうね。
いいえ、全然思いません。
人にはそれぞれの人生がありますもの。
お父様とは育った環境が違うでしょうし、
学問に秀でていた塾長さん〔お父様もそうかもしれませんが)は、塾長さんは塾長さんの道があったわけです。
>(高3の時には身長185センチで体重が55キロくらいでした)
うらやましい!!!
ボネは高校の頃、ころころブーちゃんでした。 156センチしかないのに、一時は55キロ近くまでありました。 その後病気をして、30キロ代になったこともあり、今はその中間ぐらい。 ジョギングのおかげで風邪もひかない健康な体になったのですが、食べると太る体質は生まれつきのようです。
痩せ型の人がうらやましい。
結婚する人は痩せている人と決めています。(もしすれば、。。。。)
大工さん
(
shishou
)
2005-12-29 10:43:46
職業とはいえ、素晴らしい出来栄えです!!
門松の竹にもきり方はあったのですね。
なるほど、笑っているようです。
塾長さんは、人に何かを教えるのがお好きなので、
現在の職業が向いていますよ!!
面倒見の良いところはお父様似なんですね。
竜虎の母さん
(
jukucho
)
2005-12-29 13:04:38
私の娘も虎年です1月生まれなので、虎子さんよりも学年は1つ上になります。
明日の夜に帰ってくるそうですが、大掃除の人手にもなりません。
でも、餅を臼と杵でつくなんてすごいですね。
そんなことができる10代の若者はなかなかいませんよ。
確かに、出前ができますね。
受験生のウサオ君にもきっとご利益あります。
春には朗報が届くといいですね。
キャベさん
(
jukucho
)
2005-12-29 13:10:20
いつ頃、『想像』と『創造』のことに思いいたったかは忘れてしまいましたが、自分の仕事でもこの二つを大事にしなけりゃいけないと思っています。
子供たちの明るい未来を想像し、彼ら一人一人の未来を創造する手伝いができたらいいなと思っています。
いや、真面目な話、本当です。
ボネさん
(
jukucho
)
2005-12-29 13:14:21
2日続けて、正月ネタを書いたら、私自身の気持ちも正月モードになってきました。
取り立てて何かするわけでもないですが、やっぱりお正月は楽しいです。
私にとっては、クリスマスよりお正月の方が圧倒的に大きなイベントです。
♪もういくつ寝るとお正月・・・
酔っ払っていませんよ、今から授業です。
師匠さん
(
jukucho
)
2005-12-29 13:18:46
教えるのが好きなのかどうかは自分ではよく分からないのですが、子供たちが分からなかった問題が分かったときに見せる笑顔は好きですね。
逆にいくら説明しても分かってもらえないと悲しくなります。
自分の教え方がまだまだうまくないなと反省する機会にはなりますが、全てを分からせるのは至難の業です。
その前に子供のほうが諦めてしまうことが多いので残念です。
大掃除
(
竜虎の母
)
2005-12-29 16:47:56
年の瀬を感じてくださったなんてうれしいです。
ウサオは虎子&竜子のいとこなんですよ。
強力な女性陣の中で日々研鑽を積んでいます。
お婿にするには良い人材です。叔母の太鼓判付!
でも、年々、年末~新年への緊張感が薄らいでいくようです。
昔は隅々まで完璧に大掃除をしなければ、お正月が来ないように思っていました。
寒い中、窓を開け放って家族総出で取り組んだものです。
今は、風邪ひいては元も子もない、などといって、掃除は大幅に手抜き。
うちは、ダーリンが朝から窓ガラスを担当。私が水周りを片付けていますが、もうくたびれました・・。
密林状態のリビングは、明日以降になりそうです。
虎子は、遊びに出かけました。
竜子は、母に怯えながら、しおしおと自室の片づけをしています。
心温まる、暮れの風景です・・・・。
29日だぁ!
(
ゴジ健
)
2005-12-29 17:57:48
やっと年賀状のデザインが決まりました。
これからプリントです。
・・・なんと!・・・インク切れかよぉ~~~!!!
明日は、家族で「ハリー・ポッター」鑑賞会です。
その後は、忘年会ですね。
塾長!高校受験の数学は難しいですね。
星の王子さま
(
キャベタマ
)
2005-12-29 19:08:00
塾長さん、「星の王子さま」をきょう読み終わりました。
池澤夏樹訳をなぜ選らんだかといえば、文庫本になっていて一番安かったからでした(400円)。
感想を考えたのですが、まだ1回しか読んでいないのでなかなか難しいです。的外れなことを書いてしまうと恥ずかしいのですが、それを覚悟でとりあえず現時点での感想を。
世俗にまみれた自分からみると、なんと静かで純粋な世界なのでしょう。
王子さまと花との関係を切なく思いました。
それぞれの文章にいろんな意味が隠されているみたいですね。
それぞれの小さな星で愚かそうな大人が登場しますが、それぞれ自分を見ているような気がしました。
なぜ人は生き働くのか、毎日疑問にも思わずに何気なく過ごしている自分への問いかけとなっているのでしょうか。
権威に弱くてずるい大人を風刺しているようにも思えました。
もっとも大切なものは愛・・・そういったメッセージも含まれているように思いました。
「ものは心で見る。肝心なことは目では見えない」
・・・常識的な固定観念でとらわれた目には、本質的なものは何も見えないということを言っているのでしょうか?
ところで、文中に「飼い慣らす」という言葉が何度も出てきて、この本のキーワードにもなっていると思いますが、なんとなくその言葉に違和感を覚えました。
この「飼い慣らす」は、他の訳者の本でも同じ表現になっているのでしょうか?
飼い慣らす
(
jukucho
)
2005-12-30 01:25:29
キャベさんのお尋ねの「飼い慣らす」ですが、私の持っている4冊の訳本のうち、倉橋由美子訳だけが、「飼い慣らす」ではなく、「仲良しになる」と訳しています。
原文では、この「飼い慣らす」は "apprivoiser" という単語なのですが、これを仏語辞典で意味を調べますと、「(動物を)飼い慣らす」「(人を)慣れ親しませる、なつくようにする、従順にする、手なずける」とあります。
私の全くの独断を述べさせてもらいます。
キツネが「おれは飼い慣らされていないから」と言った言葉に、王子が「飼い慣らすって、どういう意味?」と尋ねます。
もしここで倉橋訳のように「仲良しになる」とするなら、王子が「仲良しになるってどういう意味?」と聞くことになりますが、いくらなんでも「仲良しになる」の意味が分からぬ者はいないでしょう。
そう訳すと、そんなことを聞く王子は全くの物知らずになってしまって、変なことになってしまう気がします。
ここはキツネが斜に構えて「飼い慣らす」などと耳慣れない言葉を使ったものだから、真っ直ぐな王子には意味が分からず、聞き返したと解釈するほうが自然だと私は思います。
だから、他の3人の訳は、言葉としては違和感のある「飼い慣らす」という訳をあえて選んだのではないかと、私は思います。
その違和感に気づかれたのは、キャベさんの言語感覚が優れていることの証明だと、私は思います。
これが正しいかは分かりませんが、思いついたことを述べさせていただきました。
ありがとうございます!
(
キャベタマ
)
2005-12-30 20:34:36
せっかく塾長さんの回答をいただいていたのに、レスが遅れてすみません。
>斜に構えて「飼い慣らす」などと耳慣れない言葉を使ったものだから、~
そういうことですね。納得です!
塾長さん、ありがとうございます。
>言語感覚が優れていることの証明
褒めていただくととても嬉しいですが、そんなことはないです^^;
サンテグジュペリは中年でこの本を書いたということですが、よくそんな年代でこのような本が書けたものだと感心します。僕にはこの本にほとばしる瑞々しい感性はほとんど残っていません。
キャベさん
(
jukucho
)
2005-12-30 21:03:08
>僕にはこの本にほとばしる瑞々しい感性はほとんど残っていません。
何をおっしゃいます。
「星の王子さま」の感想を読ませていただけば、素晴らしい感性をお持ちのことがよく分かります。
やはり読書は、感性を磨くために、いくつになっても大事なものだと私は思います。
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>大工という職業は、2つの「そうぞう」力が要る仕事だとかねがね思っていた。それは、住む人の身になってどういう家を造ろうかという『想像力』と、自分の持つ技術を駆使して思い通りの家を『創造する力』のことであり、この2つのどちらが欠けてもいい家は建てられないと思う。父を見ていると、本当にこの2つが備わった人物であることがよく分かる。それに比べ、今年大きな問題となった、耐震強度を偽ったマンションを建てた建築家たちにはこの想像力が全く欠如しているとしか思えない。
いい話ですね。これしか書けないボネです。
うちの会社のはその笑い顔のことを知らず、あえて節を削らないようにしてました。すると、他の門松に節がきれいに削ってあるのを見て、やっぱりこっちの方がいいわ、と後でその笑いの部分を知ったしだいでした。何せ手本なし想像の世界で寄せ集め的に作ったものでしたから。
竹の色が濃くて凄く引き立っていますが、そのような立派な竹なんですか、それとも少し色がついてるんですか。
自分でもそう思います。
何でこうなったのか
ーーーそれは昔は体が弱かったんです、こう見えても。
で、体はでかくてもヒョロヒョロで力もないもやしのような男でした。
(高3の時には身長185センチで体重が55キロくらいでした)
自分でも力仕事は無理だと思ったし、親も早くから諦めたようで、何も言われないまま成長したら、こんなになっちゃいました。
どこかで間違ったんだと思いますが、それがどこなのかはよく分かりません。
竹は切ったままの状態です。
今年のものは、いつものよりも太くて立派です。
どこで切ってくるのか、ついていったことがないので知りませんが、自分の実家がある山里に行って、適当に切ってくるのだと思います。
切り口は、本当にきれいです。
のこぎりで切るようですが、プロは違います。
現物をみると、本当に笑っているように見えて、いい年が来るような気がしてきます。
父も色々試行錯誤の末にやっとここまで作れるようになったので、やっぱり年季というのが大事なんでしょうね。
私には一生かかってもできません。
笑っているように切るんですね。
やはり、笑う門には福来るなのでしょう。
心がけたいものです。
仕事納めと餅つきと虎子のプレバースデイその他諸々の怒涛の一日が終わりました。
餅つきは臼と杵でつきます。
今年は、虎子と従兄弟のウサオがほとんど搗きました。
去年からコツをつかんだらしく、二人で餅つきの出前ができると言っていました。
ウサオは受験生ですが、餅つきは欠かせない行事らしいです。
終了後、そそくさと塾の冬季講座に出かけていきましたが、けなげな彼の大願成就?を祈るばかりです。
虎子は年末に生まれました。
今年の誕生日は、友達と出かける約束をしたらしいです。
悔しいので、今日ケーキを準備して、早めのお祝いをしました。
だんだん、親と遊んでくれなくなるんですね。
そうでなくてはいけないのだけれど、ちょっと複雑。
笑った顔のように切るんですね。
初めて知りました。
塾長さんがお父様のことを書かれるときは、いつもその情景が思い浮かんで、しみじみいいなぁと感じ入ります。
2つの「そうぞう」力=想像力と創造する力。
僕の仕事にも、そのような意識をできるだけ持つようにして立ち向かっていきたいと思いました。
どんな仕事にもあてはまる含蓄のある言葉だと思います。
餅つきは臼と杵でつきます。
お疲れ様でした。
お正月は家族そろっていろいろなことができていいですねえ。
ウサギ年の息子さんもいらっしゃるんですか? あ、前にもお聞きしてたらごめんなさい。
大学生になったら、友達付き合いのほうが大事になるのかな。親のことはあまり考えなくなりますよね。
みんなでついた餅をお雑煮にして食べる良いお正月が待っているようですね。
こうやって皆さんの投稿を読んで、年の瀬、正月気分を味わっているボネです。
ありがとう!
いいえ、全然思いません。
人にはそれぞれの人生がありますもの。
お父様とは育った環境が違うでしょうし、
学問に秀でていた塾長さん〔お父様もそうかもしれませんが)は、塾長さんは塾長さんの道があったわけです。
>(高3の時には身長185センチで体重が55キロくらいでした)
うらやましい!!!
ボネは高校の頃、ころころブーちゃんでした。 156センチしかないのに、一時は55キロ近くまでありました。 その後病気をして、30キロ代になったこともあり、今はその中間ぐらい。 ジョギングのおかげで風邪もひかない健康な体になったのですが、食べると太る体質は生まれつきのようです。
痩せ型の人がうらやましい。
結婚する人は痩せている人と決めています。(もしすれば、。。。。)
門松の竹にもきり方はあったのですね。
なるほど、笑っているようです。
塾長さんは、人に何かを教えるのがお好きなので、
現在の職業が向いていますよ!!
面倒見の良いところはお父様似なんですね。
明日の夜に帰ってくるそうですが、大掃除の人手にもなりません。
でも、餅を臼と杵でつくなんてすごいですね。
そんなことができる10代の若者はなかなかいませんよ。
確かに、出前ができますね。
受験生のウサオ君にもきっとご利益あります。
春には朗報が届くといいですね。
子供たちの明るい未来を想像し、彼ら一人一人の未来を創造する手伝いができたらいいなと思っています。
いや、真面目な話、本当です。
取り立てて何かするわけでもないですが、やっぱりお正月は楽しいです。
私にとっては、クリスマスよりお正月の方が圧倒的に大きなイベントです。
♪もういくつ寝るとお正月・・・
酔っ払っていませんよ、今から授業です。
逆にいくら説明しても分かってもらえないと悲しくなります。
自分の教え方がまだまだうまくないなと反省する機会にはなりますが、全てを分からせるのは至難の業です。
その前に子供のほうが諦めてしまうことが多いので残念です。
ウサオは虎子&竜子のいとこなんですよ。
強力な女性陣の中で日々研鑽を積んでいます。
お婿にするには良い人材です。叔母の太鼓判付!
でも、年々、年末~新年への緊張感が薄らいでいくようです。
昔は隅々まで完璧に大掃除をしなければ、お正月が来ないように思っていました。
寒い中、窓を開け放って家族総出で取り組んだものです。
今は、風邪ひいては元も子もない、などといって、掃除は大幅に手抜き。
うちは、ダーリンが朝から窓ガラスを担当。私が水周りを片付けていますが、もうくたびれました・・。
密林状態のリビングは、明日以降になりそうです。
虎子は、遊びに出かけました。
竜子は、母に怯えながら、しおしおと自室の片づけをしています。
心温まる、暮れの風景です・・・・。
これからプリントです。
・・・なんと!・・・インク切れかよぉ~~~!!!
明日は、家族で「ハリー・ポッター」鑑賞会です。
その後は、忘年会ですね。
塾長!高校受験の数学は難しいですね。
池澤夏樹訳をなぜ選らんだかといえば、文庫本になっていて一番安かったからでした(400円)。
感想を考えたのですが、まだ1回しか読んでいないのでなかなか難しいです。的外れなことを書いてしまうと恥ずかしいのですが、それを覚悟でとりあえず現時点での感想を。
世俗にまみれた自分からみると、なんと静かで純粋な世界なのでしょう。
王子さまと花との関係を切なく思いました。
それぞれの文章にいろんな意味が隠されているみたいですね。
それぞれの小さな星で愚かそうな大人が登場しますが、それぞれ自分を見ているような気がしました。
なぜ人は生き働くのか、毎日疑問にも思わずに何気なく過ごしている自分への問いかけとなっているのでしょうか。
権威に弱くてずるい大人を風刺しているようにも思えました。
もっとも大切なものは愛・・・そういったメッセージも含まれているように思いました。
「ものは心で見る。肝心なことは目では見えない」
・・・常識的な固定観念でとらわれた目には、本質的なものは何も見えないということを言っているのでしょうか?
ところで、文中に「飼い慣らす」という言葉が何度も出てきて、この本のキーワードにもなっていると思いますが、なんとなくその言葉に違和感を覚えました。
この「飼い慣らす」は、他の訳者の本でも同じ表現になっているのでしょうか?
原文では、この「飼い慣らす」は "apprivoiser" という単語なのですが、これを仏語辞典で意味を調べますと、「(動物を)飼い慣らす」「(人を)慣れ親しませる、なつくようにする、従順にする、手なずける」とあります。
私の全くの独断を述べさせてもらいます。
キツネが「おれは飼い慣らされていないから」と言った言葉に、王子が「飼い慣らすって、どういう意味?」と尋ねます。
もしここで倉橋訳のように「仲良しになる」とするなら、王子が「仲良しになるってどういう意味?」と聞くことになりますが、いくらなんでも「仲良しになる」の意味が分からぬ者はいないでしょう。
そう訳すと、そんなことを聞く王子は全くの物知らずになってしまって、変なことになってしまう気がします。
ここはキツネが斜に構えて「飼い慣らす」などと耳慣れない言葉を使ったものだから、真っ直ぐな王子には意味が分からず、聞き返したと解釈するほうが自然だと私は思います。
だから、他の3人の訳は、言葉としては違和感のある「飼い慣らす」という訳をあえて選んだのではないかと、私は思います。
その違和感に気づかれたのは、キャベさんの言語感覚が優れていることの証明だと、私は思います。
これが正しいかは分かりませんが、思いついたことを述べさせていただきました。
>斜に構えて「飼い慣らす」などと耳慣れない言葉を使ったものだから、~
そういうことですね。納得です!
塾長さん、ありがとうございます。
>言語感覚が優れていることの証明
褒めていただくととても嬉しいですが、そんなことはないです^^;
サンテグジュペリは中年でこの本を書いたということですが、よくそんな年代でこのような本が書けたものだと感心します。僕にはこの本にほとばしる瑞々しい感性はほとんど残っていません。
何をおっしゃいます。
「星の王子さま」の感想を読ませていただけば、素晴らしい感性をお持ちのことがよく分かります。
やはり読書は、感性を磨くために、いくつになっても大事なものだと私は思います。