JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

12/14 香川県綾歌郡宇多津町移動

2019-12-13 | 移動運用予定
以下の日程で香川県綾歌郡宇多津町(JCG 36001)に移動します。


日時:12/14(土) 10時45分頃~12時15分頃まで

場所:宇多津町内からQRVの予定です。

バンド:7MHz帯(SSB)
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駒込~小石川御朱印巡り②

2019-12-12 | 御朱印めぐり
駒込から小石川への御朱印巡り、南北線本駒込駅に向かいます。

文京区の北部にあたり、大名屋敷があったため明治以降も政官財界の要人が住む高級住宅地でした。駒込は駒込駅の周辺である豊島区と本駒込駅周辺の文京区(旧本郷区)に分かれてしまい、そのうち「本郷区の駒込」が転じて「本駒込」となりました。

駅から駒込駅方向に戻ると吉祥寺前交差点があります。ここに本駒込で最大のお寺が吉祥寺です。

吉祥寺は曹洞宗のお寺で1458年に太田道灌が江戸城内に開いたお寺です。江戸幕府成立後は神田駿河台に移転、明暦の大火後に現在地に移転しています。明暦の大火で焼け出された吉祥寺周辺の住民は幕府の斡旋で武蔵野の地に移住、これが中央線沿線の「吉祥寺」となります。吉祥寺に吉祥寺がないのはこういった経緯からです。

曹洞宗の檀林(学校)が置かれた大きなお寺です。檀林は高輪の泉岳寺にあった檀林などと統合ののち1913年に駒沢に移転、1925年に駒澤大学となり現在に至っています。もちろん現在は曹洞宗の信徒以外も入学できます。

黄色く色づいた銀杏の木が駒込大仏の光背みたいですね。

吉祥寺には大名・旗本クラスのお墓も多くあります。幕末に老中筆頭として傾きゆく幕府を懸命に支えた備中松山藩主・板倉勝静の墓もあります。勝静は藩政では山田方谷、幕政では勝海舟といった人材に恵まれ薩長の倒幕に対抗し大政奉還を進めるなど徳川慶喜の参謀として活躍しました。もし慶喜らの構想した徳川家+有力藩の連合政府ができていたなら間違いなく勝静が幕末のMVPだったでしょう。明治維新後は現在の中国銀行(岡山)の設立に関わるなど民間で活躍し1889年に66歳で没しています。

吉祥寺の御朱印です。


吉祥寺から南に進む形ですが、お寺が不在だったり法事中などでなかなか御朱印を頂けません。

光源寺に到着。浄土宗の寺院で1589年に神田で創建、江戸城の拡張により1648年に現在の地に移転しています。光源寺は駒込大観音として知られ、金色の十一面観音像があります。東京大空襲で本堂などとともに焼失、1993年に再建された現在のものは高さ6mあまり、キリスト教の教会みたいなこの建物が観音堂で、2階の窓から観音様の顔が見えています。

光源寺の御朱印です。


本駒込からすぐが都営三田線の白山駅で白山神社がありますが現在は書き置きのみと聞いていますので三田線の電車で春日駅へ。周囲は東京ドームの北側にあたります。

「こんにゃくえんま」の通称を持つ源覚寺があります。交差点からして「こんにゃくえんま前」です。

1624年に定誉随波により創建された浄土宗のお寺です。浄土宗ですので本尊は阿弥陀如来ですが閻魔大王堂があり閻魔像が安置されています。老婆が眼病快復を祈願したところ目が治り、好物のこんにゃくを供えたといいます。眼病快復を祈願しこんにゃくを供える方が今もいるそうです。閻魔像は鎌倉期の作とされていますが、痛みが激しいため2002年に修復されています。右目が濁っているのが特徴です。

源覚寺の御朱印です。見開きで閻魔大王と毘沙門様とを一緒に頂きました。見開きで頂くとこんな感じでアーティスティックな御朱印を頂けます。


締めは小石川大神宮へ。

1966年に佐佐木勝造が創建しています。佐佐木は丸勝佐佐木土木の創業者で、戦後すぐに出光佐三らと伊勢神宮の宇治橋を修復するなど伊勢神宮への奉仕を行ったことから小石川に分社を認められています。

現在は建て替え中で仮宮となっており、春日通りを西に進むと目印となるこの看板が現れます。

うわっ。鉄板敷きの空き地に小さな祠とコンテナハウスの社務所があるだけです。何とも「現場」っぽいのは土建屋さんが関与しているからでしょうか。来年9月には新しい社殿が完成するそうです。

小石川大神宮の御朱印です。仮宮の期間中のみの印が押されています。


残り時間が少なくなったため本日はここまで。後楽園駅から羽田空港に向かいましょう。


駒込から後楽園までは寺社が多く、食事処も多くあり自由度の高い散歩ができます。休日にのんびり回ってみると面白いですよ。

今回の御朱印情報です(特記ないものは御朱印料300円)。
大国神社   1種を社務所で授与。500円。
駒込妙義神社 1種を社務所で授与。500円。
吉祥寺    2種を寺務所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
光源寺    1種を受付で授与。
源覚寺    2種を受付で授与。オリジナル御朱印帳あり。
小石川大神宮 1種を社務所で授与。500円。オリジナル御朱印帳あり。

東京の神社では御朱印料の500円化が進んできましたね。
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駒込~小石川御朱印巡り①

2019-12-11 | 御朱印めぐり
都内でも比較的回りやすい駒込から小石川への御朱印巡りをしてきました。


その前に前日用事があって浅草に行ってましたのでこちらから。

まずは浅草のランドマーク・浅草寺です。

628年に創建された聖観音宗のお寺です。隅田川で漁師の網にかかった観音像を安置したのが始まりとされています。早い時期から絶対秘仏とされ現代でその姿を見た人はいないそうです。幕末に「本尊は存在しないのではないか」と噂が立ち、明治政府が検分したところ高さ20cmほどで両手足が焼失した状態ながら確かに観音像があったと言われています。

本堂は東京大空襲で焼失、1958年に鉄筋コンクリートで再建されています。元の本堂は1649年に建てられ戦前は首里城正殿(国宝としての登録名は沖縄神社拝殿)と同じく国宝に指定されていました。

実は尼崎の列車脱線事故の当日は月曜日で、その前日まで東京でがっつり遊んでいたため遅れて出社しようかと思っていたのですが、知り合いから浅草での買い物を頼まれ手渡さないといけないため朝から会社に出ていました。このため難を免れました。買い物のついでで偶然浅草寺にお参りしていたので観音様が「朝から出ろ」と背中を押してくれたのでしょう。このため浅草寺の近くを通るときはなるべくお参りするようにしています。

浅草寺の御朱印は本堂西にある影向堂で頂けます。浅草寺の公式サイトで御朱印のサンプルが掲示されていますが、実は聖観音の御朱印は「坂東三十三観音霊場」と「江戸三十三観音霊場」の2種類あります(朱印所で指定可)。さらに坂東は御詠歌もあります。御詠歌は朱印所にもサンプルがなく、聞いてみたら「可能」とのことで見開きでお願いしました。

浅草寺の御朱印(坂東)と御詠歌です。


お隣に浅草神社があります。

浅草寺との関係が深く、明治まではその一部でした。観音様を引き上げた漁師の檜前浜成・竹成兄弟らを祭神としています。このため社紋は漁網がデザインされています。浅草の三社祭はこの浅草神社のお祭りです。

現在の社殿は1649年に徳川家光の寄進で完成したものでお隣の浅草寺本堂は戦災で焼失しましたがこちらは無事だったようで戦後に重要文化財に指定されています。

浅草神社の御朱印です。この日私が最後だったようで残り福を頂きました。


それではJR山手線の駒込駅からスタート。

山手線の中でもマイナーな駅ですが、地下鉄南北線ができて少しは乗り換え客が増えました。
駒込駅のすぐ目の前に大国神社があります。1783年にこの地の大島家が大黒主命を祀ったことが創建とされ、1879年に神社としての形が整えられています。太平洋戦争で焼失、戦後に再建された社殿が老朽化したため2012年に境内を再整備しています。創建以来大島家が管理し現在に至っています。

ご覧の通り小さな神社ですがお参りする人は少なくないようです。

大国神社の御朱印です。右下のうさぎの判がかわいいですね。


大国神社から北に歩くと目立たないですがこんな案内があります。

ここを左に折れると駒込妙義神社があります。山手線の駅からすぐなのに静かな環境です。

日本武尊を主祭神としており651年に創建された豊島区では最古の神社です。15世紀には太田道灌が参拝し何度か戦に勝っており「戦勝祈願の神社」として知られているそうです。

太平洋戦争の空襲で焼失、1965年に再建されましたが社殿が老朽化したため現在建て替え中です。来年には立派な社殿が完成するとのこと。

駒込妙義神社の御朱印です。


妙義神社からJR駒込駅に戻る途中に地下鉄の入り口がありますのでここから本駒込駅に向かいましょう。続きます。御朱印情報は次の記事のラストにまとめて掲載します。
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移動耳より情報

2019-12-08 | シャック便り
[宇和島自動車が年末年始に路線バスを運休へ]
愛媛県の南予で路線バスを運行している宇和島自動車が年末年始に一部路線を除き全面運休することを決めました。コミュニティバスを除けばこのような全面運休は珍しいとのことです。

運転されるのは宇和島-松山、宇和島-宿毛と関西行きの高速バスで、これ以外は全面運休となりますのでご注意ください。


[竹芝桟橋ターミナルが改修工事中]
東海汽船・小笠原海運が使用している竹芝桟橋のターミナルが改修工事中です。来年3月末までは館内のトイレが使用できません。代わりのトイレはターミナルに掲示してあります。


[大分空港のホバークラフトが復活?]
大分空港-大分市内間を結ぶホバークラフトの復活話が浮上しているようです。

現在大分空港と大分市内の間はリムジンバスが運行されていますが、自動車専用道の整備が進んだにもかかわらず依然として約1時間かかり観光客からの不満があります。このため大分県では高速でアクセスできる手段の検討を行ったところ1992年まで運航されていたホバークラフトの復活案が持ち上がったものです。2020年3月までに方向性を決めたいとしています。

ホバークラフトは約25分とバスの半分の所要時間で済むこと、発着施設が残っていることから高速船より安く上がるため有力案ですが現在ホバークラフトは国内で製造されておらず、整備や部品調達などの問題点があります。


[京浜急行バスがYCAT-羽田間のバスを減便]
京浜急行バスが12/6より横浜のYCATと羽田空港を結ぶリムジンバスの減便を行いました。時間帯によっては半分近くに減るなど大幅な減便となっているようです。

乗務員不足を理由として挙げており、いよいよ首都圏でも人手不足でのバスの減便が現実のものとなってきました。
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12月分QSL発送しました

2019-12-06 | QSL発送情報
12月分のQSLを本日ビューロー宛発送しました。
・11/9の沖縄県宮古島市伊良部島移動の残り半分
・11/10の沖縄県島尻郡座間味村阿嘉島移動の全て
・11/11の沖縄県うるま市浜比嘉島移動の全て
・11/12の沖縄県浦添市移動の約半分
を発送しました。


しかしながら
・11/12の沖縄県浦添市移動の残り半分
は送りきれず未発送となっています。


順次発送しておりますのでご理解のほどよろしくお願いします。
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CQオームでスイスクワッドの取り扱い開始

2019-12-04 | シャック便り
CQオームさんで神奈川ハムセンター製の430MHz帯用2エレスイスクワッドの取り扱いを始めたそうです。紹介ページはこちら


スイスクワッドはHB9CVとキュービカルクワッドを組み合わせたアンテナでコンパクトながら飛ぶとの定評があります。利得は16dBと高い一方で重量は960gと軽いのが特徴です。ステンレス製で耐久性も高いようです。

スイスクワッドは50MHzなどで一時流行しましたが自作が結構大変で今や使っている人が非常に少ない幻のアンテナになっています。お値段は25,200円(税別)と高めですが移動運用に面白いかと思います。
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中島汽船の航路変更問題が決着

2019-12-02 | シャック便り
愛媛県松山市の忽那諸島への定期船を運航している中島汽船の航路変更問題について、三津浜・中島など関係する17地区の自治会が中島汽船から提示されていたダイヤ案を了承しました。詳細はこちら

ここまでのいきさつは以前書いた記事をご覧ください。

ダイヤ案は上記の通りで、来年7月から変更の予定です。

変更に伴い同社のフェリーは以下の通りとなります。
・三津浜港発着は全て維持。
・東線の上り(本土行き)は1便目を除き高浜港に寄港。
・東線下り(忽那諸島行き)は2便と5便目を高浜港から松山観光港に変更。
・西線は上り2便目と下り1便目を高浜から松山観光港に変更。
・高速船は変更なし。

17地区自治会は「変更案はおおむね反対だが仕方ない」との姿勢で容認したもので、当分の間値上げと減便をしないよう中島汽船側に申し入れるとのことです。


中島汽船は元々は旧中島町の町営汽船でしたが、中島町が松山市と合併する際に松山市が公営での引き受けを拒否、石崎汽船が子会社の中島汽船を作って受け皿としたものです。旧中島町の人口は過疎化で減る一方で瀬戸内海の他の事業者と比べても高い運賃となっています。加えて利便性を大きく損なう今回のダイヤ改正に対しても松山市は動いてくれず、中島の住民からは「何もしてくれない松山市は冷たすぎる」との思いもあるようです。

中島汽船や親会社の石崎汽船・伊予鉄は松山観光港への変更は「観光客の誘致」を目的にしたものだと言いますが、これまで全く観光開発をやっていませんし、例えばおいしいと評判で愛媛でも高値で取引される「中島みかん」を現地で買えるところも大浦港の売店程度しかなく、食事や宿泊と言った観光施設すらまともにない状態では観光客を呼べるはずもありません。

正直なところ中島汽船側に押し切られ諦めたイメージがあり、市としてもっと積極的に動いて欲しかったと思います。


西線の下り1便と上り2便は釣島・二神島・津和地島・怒和島への本土側からのアクセス手段であり、高浜港から松山観光港に変更されてしまうと朝に伊丹空港を出てこの船に乗ることが厳しくなります。正式なダイヤを確認の上での判断となりますが、今後この方面への移動運用は難しくなるものと考えられます。

松山っていい街なんで今後も移動を続けたかったのですが・・・
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