駒込から小石川への御朱印巡り、南北線本駒込駅に向かいます。
文京区の北部にあたり、大名屋敷があったため明治以降も政官財界の要人が住む高級住宅地でした。駒込は駒込駅の周辺である豊島区と本駒込駅周辺の文京区(旧本郷区)に分かれてしまい、そのうち「本郷区の駒込」が転じて「本駒込」となりました。
駅から駒込駅方向に戻ると吉祥寺前交差点があります。ここに本駒込で最大のお寺が
吉祥寺です。
吉祥寺は曹洞宗のお寺で1458年に太田道灌が江戸城内に開いたお寺です。江戸幕府成立後は神田駿河台に移転、明暦の大火後に現在地に移転しています。明暦の大火で焼け出された吉祥寺周辺の住民は幕府の斡旋で武蔵野の地に移住、これが中央線沿線の「吉祥寺」となります。吉祥寺に吉祥寺がないのはこういった経緯からです。
曹洞宗の檀林(学校)が置かれた大きなお寺です。檀林は高輪の泉岳寺にあった檀林などと統合ののち1913年に駒沢に移転、1925年に駒澤大学となり現在に至っています。もちろん現在は曹洞宗の信徒以外も入学できます。
黄色く色づいた銀杏の木が駒込大仏の光背みたいですね。
吉祥寺には大名・旗本クラスのお墓も多くあります。幕末に老中筆頭として傾きゆく幕府を懸命に支えた備中松山藩主・板倉勝静の墓もあります。勝静は藩政では山田方谷、幕政では勝海舟といった人材に恵まれ薩長の倒幕に対抗し大政奉還を進めるなど徳川慶喜の参謀として活躍しました。もし慶喜らの構想した徳川家+有力藩の連合政府ができていたなら間違いなく勝静が幕末のMVPだったでしょう。明治維新後は現在の中国銀行(岡山)の設立に関わるなど民間で活躍し1889年に66歳で没しています。
吉祥寺の御朱印です。
吉祥寺から南に進む形ですが、お寺が不在だったり法事中などでなかなか御朱印を頂けません。
光源寺に到着。浄土宗の寺院で1589年に神田で創建、江戸城の拡張により1648年に現在の地に移転しています。光源寺は駒込大観音として知られ、金色の十一面観音像があります。東京大空襲で本堂などとともに焼失、1993年に再建された現在のものは高さ6mあまり、キリスト教の教会みたいなこの建物が観音堂で、2階の窓から観音様の顔が見えています。
光源寺の御朱印です。
本駒込からすぐが都営三田線の白山駅で白山神社がありますが現在は書き置きのみと聞いていますので三田線の電車で春日駅へ。周囲は東京ドームの北側にあたります。
「こんにゃくえんま」の通称を持つ
源覚寺があります。交差点からして「こんにゃくえんま前」です。
1624年に定誉随波により創建された浄土宗のお寺です。浄土宗ですので本尊は阿弥陀如来ですが閻魔大王堂があり閻魔像が安置されています。老婆が眼病快復を祈願したところ目が治り、好物のこんにゃくを供えたといいます。眼病快復を祈願しこんにゃくを供える方が今もいるそうです。閻魔像は鎌倉期の作とされていますが、痛みが激しいため2002年に修復されています。右目が濁っているのが特徴です。
源覚寺の御朱印です。見開きで閻魔大王と毘沙門様とを一緒に頂きました。見開きで頂くとこんな感じでアーティスティックな御朱印を頂けます。
締めは
小石川大神宮へ。
1966年に佐佐木勝造が創建しています。佐佐木は丸勝佐佐木土木の創業者で、戦後すぐに出光佐三らと伊勢神宮の宇治橋を修復するなど伊勢神宮への奉仕を行ったことから小石川に分社を認められています。
現在は建て替え中で仮宮となっており、春日通りを西に進むと目印となるこの看板が現れます。
うわっ。鉄板敷きの空き地に小さな祠とコンテナハウスの社務所があるだけです。何とも「現場」っぽいのは土建屋さんが関与しているからでしょうか。来年9月には新しい社殿が完成するそうです。
小石川大神宮の御朱印です。仮宮の期間中のみの印が押されています。
残り時間が少なくなったため本日はここまで。後楽園駅から羽田空港に向かいましょう。
駒込から後楽園までは寺社が多く、食事処も多くあり自由度の高い散歩ができます。休日にのんびり回ってみると面白いですよ。
今回の御朱印情報です(特記ないものは御朱印料300円)。
大国神社 1種を社務所で授与。500円。
駒込妙義神社 1種を社務所で授与。500円。
吉祥寺 2種を寺務所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
光源寺 1種を受付で授与。
源覚寺 2種を受付で授与。オリジナル御朱印帳あり。
小石川大神宮 1種を社務所で授与。500円。オリジナル御朱印帳あり。
東京の神社では御朱印料の500円化が進んできましたね。