先日摂津国八十八カ所巡りとして谷町九丁目~四天王寺前夕陽丘駅付近の霊場巡りをしてきました。
「摂津国八十八カ所」は江戸時代中期に月海上人により四国八十八カ所になぞらえて開かれたとされます。戦後に途絶えたものの1980年に再興され、今年になって公式サイトができるなど霊場会が普及に努めています。
その名の通り摂津国(大阪府北部・兵庫県南東部)に霊場があります。東は高槻、西は須磨と四国に比べてコンパクトですし交通の便が良いのも特徴で、そのうち約1/4は大阪環状線の内側にあります。環状線の中でも大阪城から四天王寺にかけての上町台地に特に多くが集中しています。このように手軽に回ることができる一方、多くが「旦那寺(境内に墓地があり、お布施で生計を立てるお寺)」なので門をくぐりにくいのも確かです。
摂津八十八カ所は上町台地のお寺を中心に少しずつ回っているのですが、今回は谷町九丁目~四天王寺前夕陽丘駅付近の霊場で未訪問のお寺を回ってみます。付近は寺町になっており、生玉寺町というそのものずばりの町名まであります。
スタートは谷町線の谷町九丁目から。谷町線は御堂筋線のバイパス路線として戦前から計画されていたものの梅田と天王寺しか重複しないのでバイパスになり得ず、東梅田以北や天王寺以南からの通勤路線となっています。このためかクラシックなヒゲ文字がまだ残されています。地下鉄が民営化されると交通局のマークも見納めになるのでしょうか。
まずは21番の報恩院から。こちらは中央区になります。
寛文年間に良遍上人が「北向不動尊」を建立して創建、戦後の都市計画で寺域の大部分を削られコンパクトなお寺になっています。こちらは門の横に大きく霊場であることを示す看板が設置されています。大小色々ありますが、このように霊場であることを示す看板や石柱がありますので御朱印を頂けるお寺かどうか分かりやすいです。
お次は少し歩いて17番の正祐寺へ。
聖徳太子の創建とも言われ、明治初年の神仏分離の際に他の寺院と合併し現在に至っています。戦前は朝鮮鐘と呼ばれた朝鮮半島伝来の鐘がありましたが、空襲で焼けて無残な姿となり今に伝わっています。
大変感じのいい対応で、八十八カ所巡りのガイドマップも頂きました。
ここまで2カ所の御朱印です。
次は18番の宗恵院です。
ごらんの通り近代的なお寺です。
元禄年間に来辺和尚により再建、明治の神仏分離により「宗恵院」となり現在に至っています。空襲で全焼し1980年にこの近代的な建物になりました。今でも古さを感じない斬新なお寺です。大掃除中でしたが快く対応していただけました。
谷町筋にはtwitterの「中の人」で有名になったパインアメの本社もあります。
お次は23番の青蓮寺。
元は法案寺と名乗っており豊臣秀吉の時代に現在の地に移り、明治時代に遍照院と医王院の二院を合わせ、茶臼山にあった「青蓮寺」の寺号を移して成立しています。お忙しい中対応していただきました。
ここまで2カ所の御朱印です。
この先日本橋の電気街に行く用事がありましたので本日はここまでです。
各霊場のうち特に大阪市内のお寺は都市の再開発の影響を受けて移転したケースもあります。例えば30番の竹林寺は2008年までは千日前にありましたが、現在は四天王寺の東に移転しており、順番通りに回ろうとすると日本橋の電気街にある29番の大乗坊・JR大正駅近くにある31番の地蔵院の位置から言えば行って戻る形になります。そのため摂津八十八カ所巡りの霊場で「順番通り回らなくてもいい」「無理のない範囲で大丈夫」と言われたことがあります。
今後も無理なく回ってみたいと思います。
回ってみたい方は各霊場で無料配布しているガイドマップをもらうと便利です。ガイドマップには各霊場のアクセスや電話番号が明記されています。檀那寺の場合葬儀などで不在の場合もありますので電話での問い合わせに活用できます。なお専用の納経帳は梅田の太融寺(6番)、四天王寺(25番)、箕面の勝尾寺(54番)、宝塚の中山寺(70番)などで頒布しています。もちろん通常の御朱印帳でも大丈夫です。
「摂津国八十八カ所」は江戸時代中期に月海上人により四国八十八カ所になぞらえて開かれたとされます。戦後に途絶えたものの1980年に再興され、今年になって公式サイトができるなど霊場会が普及に努めています。
その名の通り摂津国(大阪府北部・兵庫県南東部)に霊場があります。東は高槻、西は須磨と四国に比べてコンパクトですし交通の便が良いのも特徴で、そのうち約1/4は大阪環状線の内側にあります。環状線の中でも大阪城から四天王寺にかけての上町台地に特に多くが集中しています。このように手軽に回ることができる一方、多くが「旦那寺(境内に墓地があり、お布施で生計を立てるお寺)」なので門をくぐりにくいのも確かです。
摂津八十八カ所は上町台地のお寺を中心に少しずつ回っているのですが、今回は谷町九丁目~四天王寺前夕陽丘駅付近の霊場で未訪問のお寺を回ってみます。付近は寺町になっており、生玉寺町というそのものずばりの町名まであります。
スタートは谷町線の谷町九丁目から。谷町線は御堂筋線のバイパス路線として戦前から計画されていたものの梅田と天王寺しか重複しないのでバイパスになり得ず、東梅田以北や天王寺以南からの通勤路線となっています。このためかクラシックなヒゲ文字がまだ残されています。地下鉄が民営化されると交通局のマークも見納めになるのでしょうか。
まずは21番の報恩院から。こちらは中央区になります。
寛文年間に良遍上人が「北向不動尊」を建立して創建、戦後の都市計画で寺域の大部分を削られコンパクトなお寺になっています。こちらは門の横に大きく霊場であることを示す看板が設置されています。大小色々ありますが、このように霊場であることを示す看板や石柱がありますので御朱印を頂けるお寺かどうか分かりやすいです。
お次は少し歩いて17番の正祐寺へ。
聖徳太子の創建とも言われ、明治初年の神仏分離の際に他の寺院と合併し現在に至っています。戦前は朝鮮鐘と呼ばれた朝鮮半島伝来の鐘がありましたが、空襲で焼けて無残な姿となり今に伝わっています。
大変感じのいい対応で、八十八カ所巡りのガイドマップも頂きました。
ここまで2カ所の御朱印です。
次は18番の宗恵院です。
ごらんの通り近代的なお寺です。
元禄年間に来辺和尚により再建、明治の神仏分離により「宗恵院」となり現在に至っています。空襲で全焼し1980年にこの近代的な建物になりました。今でも古さを感じない斬新なお寺です。大掃除中でしたが快く対応していただけました。
谷町筋にはtwitterの「中の人」で有名になったパインアメの本社もあります。
お次は23番の青蓮寺。
元は法案寺と名乗っており豊臣秀吉の時代に現在の地に移り、明治時代に遍照院と医王院の二院を合わせ、茶臼山にあった「青蓮寺」の寺号を移して成立しています。お忙しい中対応していただきました。
ここまで2カ所の御朱印です。
この先日本橋の電気街に行く用事がありましたので本日はここまでです。
各霊場のうち特に大阪市内のお寺は都市の再開発の影響を受けて移転したケースもあります。例えば30番の竹林寺は2008年までは千日前にありましたが、現在は四天王寺の東に移転しており、順番通りに回ろうとすると日本橋の電気街にある29番の大乗坊・JR大正駅近くにある31番の地蔵院の位置から言えば行って戻る形になります。そのため摂津八十八カ所巡りの霊場で「順番通り回らなくてもいい」「無理のない範囲で大丈夫」と言われたことがあります。
今後も無理なく回ってみたいと思います。
回ってみたい方は各霊場で無料配布しているガイドマップをもらうと便利です。ガイドマップには各霊場のアクセスや電話番号が明記されています。檀那寺の場合葬儀などで不在の場合もありますので電話での問い合わせに活用できます。なお専用の納経帳は梅田の太融寺(6番)、四天王寺(25番)、箕面の勝尾寺(54番)、宝塚の中山寺(70番)などで頒布しています。もちろん通常の御朱印帳でも大丈夫です。