「第56回 京の冬の旅」の続き、締めは大徳寺の大光院です。こちらは1/17からの公開で、日をあらためての拝観となりました。
北大路バスターミナルから市バスで船岡山まで行きましょう。
船岡山は京都にある独立した丘で、標高は110m。まわりより45mほど高くなっており、左京区の吉田山と同じく断層により隆起したと考えられています。「ブラタモリ」で一躍有名になった「断層崖」を持つため防御陣地に最適の地形で、実際応仁の乱の際にはここに山名教之らが砦を構えたそうです。秀吉はここに信長の菩提寺を建てる予定でしたが頓挫し、明治になって信長を祀る建勲神社が造営されました。
建勲神社は「建勲神社前」バス停からも行けますが、階段が続くため一つ西の船岡山からが便利です。
このように北参道の案内があり、案内の通り進むとスムースに登れます。
こちらが建勲神社の拝殿。
元々建勲神社は山形県天童市にあります。これは信長の子・信雄の子孫が天童藩主となっていたためで、東京の天童藩邸にもあった分社を明治になって京都に遷座したのだそうです。このため今も天童市にも建勲神社があるそうです。また一昨年岐阜の御朱印巡りをしましたがその際にお参りした橿森神社にある建勲神社は京都から分祀したそうです。
建勲神社の御朱印です。
建勲神社では信長の下で活躍した36人の武将を3年間毎月限定御朱印として出すそうです。中には武功を上げたものの途中で戦死した者、たいした武功がなかったのにちゃっかり生き残って明治まで生きながらえた家系もあるのが面白いです。宇喜多の部将であったうちの先祖にとって信長は「上司の上司」ですが、御朱印なんて作ってもらえませんからね(涙)
船岡山を下りて建勲神社前の交差点の至近に大光院があります。
それでは本命の大光院へ。幸いまん延防止では拝観中止にならず行くことができました。
大光院は豊臣秀吉の弟・秀長の菩提寺です。秀長は兄を補佐し諸大名の調整役をこなした人物で、大和一国を与えられていました。大光院も当初は居城のあった大和郡山にありましたが、秀長の養子・秀保が1595年に17歳で亡くなり断絶、家臣であった藤堂高虎らの手により大徳寺の塔頭として移されています。
1816年に火災で焼失し、現在の本堂は1820年に再建されたものです。その後1955年に市立紫野高校の整備により移転し現在の場所に落ち着いています。かつての寺地は紫野高校のテニスコートのあたりであったそうです。
これまで一度も特別公開されたことがないとされ、そもそも境内の写真をネットで探してもなかなか出てこない寺院でした。公開リストに「大光院」の名前があって驚いた方も多かったようです。
門から先は残念ながら撮影禁止です。ですので写真はこちらをご覧下さい。
大光院では方丈にある狩野探幽筆とされる雲龍画や庭を見ることができます。方丈は少し小さい感じがします。雲龍画は元は奥州伊達家から屏風として贈られたもので、1955年の移転の際に障壁画として仕立て直されたのだそうです。
あとは茶室「蒲庵」も見ることができます。黒田如水好みの茶室とされますが、解体され部材のみとなっていた経緯不明の茶室を譲り受けて移転の際に設けたものだそうです。京都ではこのように経緯不明で部材のみになっていた建物が移築されるケースがあり、光照院門跡の本堂がそうでした。あちらは左京区の岡崎で古美術商の倉庫になっていた建物を移築したことが偶然明らかになりましたが、こちらも何か経緯が分かれば面白いと思います。
ガイドさんが話してくれたところではご住職は若い方で、大徳寺が間に入る形で京都市観光協会と何度も折衝を重ねようやく特別公開の了解を得たそうです。大徳寺には他にも拝観謝絶の塔頭が多くありますが、今後こういった形で見せてもらえれば有り難いと思います。
書き置きですが御朱印がありました。
大徳寺は他にも公開されていますが、新型コロナウイルスの影響でここまでとします。地下鉄今出川駅前のタイ料理店「イーサン」でタイ風焼きそば「パッタイ」のランチです。
ここは1,350円で食べ放題の日替わりバイキングランチもあります。お腹が空いているときにはぴったりと思います。京都は大学が多く、外国人留学生も多いことからこういった外国料理を出すお店が結構あります。ある程度日本人向けに味付けし、現地の人はさらに辛さをプラスできるようテーブルに調味料が置かれていることが多いです。学生さんでも食べられる値段なのも有り難いです。
今年の「京の冬の旅」も新型コロナウイルスの影響が大きく、特別公開される寺院が少なくなりました。その中でのオススメは興聖寺、大光院です。期間は3/18まで(スケジュールが異なる寺院がありますので注意)。
今回の御朱印情報です。(御朱印料は特記ない限り300円)
聚光院 1種を拝観受付で授与。書き置きのみ1,000円
玄武神社 1種を授与所で授与。書き置きのみ1,000円
興聖寺 2種を方丈内で授与。書き置きのみ2種セットは800円。
報恩寺 1種を本堂内受付で授与。書き置きのみ。
建勲神社 多数を授与所で授与。直書きは2種のみ。見開き500円。オリジナル御朱印帳あり。
大光院 1種を拝観受付で授与。書き置きのみ。
北大路バスターミナルから市バスで船岡山まで行きましょう。
船岡山は京都にある独立した丘で、標高は110m。まわりより45mほど高くなっており、左京区の吉田山と同じく断層により隆起したと考えられています。「ブラタモリ」で一躍有名になった「断層崖」を持つため防御陣地に最適の地形で、実際応仁の乱の際にはここに山名教之らが砦を構えたそうです。秀吉はここに信長の菩提寺を建てる予定でしたが頓挫し、明治になって信長を祀る建勲神社が造営されました。
建勲神社は「建勲神社前」バス停からも行けますが、階段が続くため一つ西の船岡山からが便利です。
このように北参道の案内があり、案内の通り進むとスムースに登れます。
こちらが建勲神社の拝殿。
元々建勲神社は山形県天童市にあります。これは信長の子・信雄の子孫が天童藩主となっていたためで、東京の天童藩邸にもあった分社を明治になって京都に遷座したのだそうです。このため今も天童市にも建勲神社があるそうです。また一昨年岐阜の御朱印巡りをしましたがその際にお参りした橿森神社にある建勲神社は京都から分祀したそうです。
建勲神社の御朱印です。
建勲神社では信長の下で活躍した36人の武将を3年間毎月限定御朱印として出すそうです。中には武功を上げたものの途中で戦死した者、たいした武功がなかったのにちゃっかり生き残って明治まで生きながらえた家系もあるのが面白いです。宇喜多の部将であったうちの先祖にとって信長は「上司の上司」ですが、御朱印なんて作ってもらえませんからね(涙)
船岡山を下りて建勲神社前の交差点の至近に大光院があります。
それでは本命の大光院へ。幸いまん延防止では拝観中止にならず行くことができました。
大光院は豊臣秀吉の弟・秀長の菩提寺です。秀長は兄を補佐し諸大名の調整役をこなした人物で、大和一国を与えられていました。大光院も当初は居城のあった大和郡山にありましたが、秀長の養子・秀保が1595年に17歳で亡くなり断絶、家臣であった藤堂高虎らの手により大徳寺の塔頭として移されています。
1816年に火災で焼失し、現在の本堂は1820年に再建されたものです。その後1955年に市立紫野高校の整備により移転し現在の場所に落ち着いています。かつての寺地は紫野高校のテニスコートのあたりであったそうです。
これまで一度も特別公開されたことがないとされ、そもそも境内の写真をネットで探してもなかなか出てこない寺院でした。公開リストに「大光院」の名前があって驚いた方も多かったようです。
門から先は残念ながら撮影禁止です。ですので写真はこちらをご覧下さい。
大光院では方丈にある狩野探幽筆とされる雲龍画や庭を見ることができます。方丈は少し小さい感じがします。雲龍画は元は奥州伊達家から屏風として贈られたもので、1955年の移転の際に障壁画として仕立て直されたのだそうです。
あとは茶室「蒲庵」も見ることができます。黒田如水好みの茶室とされますが、解体され部材のみとなっていた経緯不明の茶室を譲り受けて移転の際に設けたものだそうです。京都ではこのように経緯不明で部材のみになっていた建物が移築されるケースがあり、光照院門跡の本堂がそうでした。あちらは左京区の岡崎で古美術商の倉庫になっていた建物を移築したことが偶然明らかになりましたが、こちらも何か経緯が分かれば面白いと思います。
ガイドさんが話してくれたところではご住職は若い方で、大徳寺が間に入る形で京都市観光協会と何度も折衝を重ねようやく特別公開の了解を得たそうです。大徳寺には他にも拝観謝絶の塔頭が多くありますが、今後こういった形で見せてもらえれば有り難いと思います。
書き置きですが御朱印がありました。
大徳寺は他にも公開されていますが、新型コロナウイルスの影響でここまでとします。地下鉄今出川駅前のタイ料理店「イーサン」でタイ風焼きそば「パッタイ」のランチです。
ここは1,350円で食べ放題の日替わりバイキングランチもあります。お腹が空いているときにはぴったりと思います。京都は大学が多く、外国人留学生も多いことからこういった外国料理を出すお店が結構あります。ある程度日本人向けに味付けし、現地の人はさらに辛さをプラスできるようテーブルに調味料が置かれていることが多いです。学生さんでも食べられる値段なのも有り難いです。
今年の「京の冬の旅」も新型コロナウイルスの影響が大きく、特別公開される寺院が少なくなりました。その中でのオススメは興聖寺、大光院です。期間は3/18まで(スケジュールが異なる寺院がありますので注意)。
今回の御朱印情報です。(御朱印料は特記ない限り300円)
聚光院 1種を拝観受付で授与。書き置きのみ1,000円
玄武神社 1種を授与所で授与。書き置きのみ1,000円
興聖寺 2種を方丈内で授与。書き置きのみ2種セットは800円。
報恩寺 1種を本堂内受付で授与。書き置きのみ。
建勲神社 多数を授与所で授与。直書きは2種のみ。見開き500円。オリジナル御朱印帳あり。
大光院 1種を拝観受付で授与。書き置きのみ。