熊本市内の御朱印巡りをしてきました。
【注】途中で誤ってデジカメのファイルを全消去してしまい、前半の写真が残っていません。あしからずご了承下さい。
熊本市中心部には熊本のシンボル・熊本城があります。難攻不落で西郷隆盛すら落とせなかった熊本城の城内にもいくつかの神社があり御朱印を頂けます。なので観光がてら回ることができます。
熊本空港からのリムジンバスは桜町のバスターミナルに到着します。市街地から離れた熊本駅の代わりに実質的な「熊本駅」として機能しています。2019年に「サクラマチクマモト」として再開発されています。こちらから歩いてすぐに山崎菅原神社があります。
1070年に肥後菊池氏初代の菊池則隆が太宰府天満宮から分霊したのを創建としており、1779年に再興されますが1877年の西南戦争で焼失、1879年に山崎町(市電慶徳校前付近)で再興しています。その後1915年に現在地に遷座しています。1941年に完成した社殿は1945年の空襲で焼失を逃れ、2016年の熊本地震も大きな被害なく今に至っています。ただし鳥居や末社がが倒壊したそうです。
山崎菅原神社の御朱印です。
山崎菅原神社からすぐに熊本城への入口があります。お城に向かわず西の二の丸方面へ。しばらく歩くと藤崎台球場の隣に熊本県護国神社があります。1869年に熊本藩主の細川韶邦、細川護久が明治維新以来の戦死した熊本藩士を祀るため招魂社を建立したのが始まりで、1939年に熊本県護国神社となり、1953年に現在地に移転しています。本殿は1957年に完成しています。
また境内には新宮神社があります。近くの新町にお菓子の職人町があり、お菓子の神様を祀る祠があり、これが新宮神社の始まりとのことです。しかしながら新町はマンションが建つなど町並みは一変し、個人宅に取り残されていた祠を地元の「お菓子の香梅」からの寄付で2015年に現在地に遷しています。
こちらでは新宮神社含め御朱印を頂けます。熊本県護国神社と新宮神社の御朱印です。
それでは本丸方面に戻りましょう。本丸の近くに加藤神社があります。
加藤清正を祀る神社で1868年に創建、熊本城に遷座しますがほどなく京町に移転しています。1962年に熊本城内に再度遷座し現在に至ります。加藤清正は熊本藩主として産業育成政策を取り、今も熊本では尊敬される存在です。このため戦前には熊本県出身者によりソウルやハワイにも加藤神社が分祀されています。ソウルの加藤神社は敗戦により廃され、ハワイの加藤神社は現在ホノルルの石鎚神社に合祀されています。
加藤神社の御朱印です。なお熊本駅の商業施設「アミュプラザ」の屋上にも2021年に加藤神社が分祀されていますが、こちらは御朱印はないようです。
一旦熊本城を出て時計回りに歩くとお城の東側に熊本大神宮があります。
1882年に伊勢信仰の熊本の本拠として創建、その後西南戦争で焼けてからは数度遷座し、1926年に現在地に移転しています。熊本地震では本殿は無事でしたが、熊本城の石垣が崩れて社務所の屋根を突き破る被害を受けています。当時2名の方が社務所にいたものの無事であったそうです。ということで社務所はプレハブでした。
熊本大神宮の御朱印です。
お隣は熊本城稲荷神社です。
1588年に加藤清正が熊本に入った際に創建され、以来熊本城内に鎮座しています。熊本地震で大鳥居や社務所が損壊、被害の大きかった社務所は建て替えられています。
熊本城稲荷神社の御朱印です。
このように熊本城周辺だけでも十分に回れます。後半は市街地を回ってみます。御朱印情報は後半にまとめてご紹介します。
【注】途中で誤ってデジカメのファイルを全消去してしまい、前半の写真が残っていません。あしからずご了承下さい。
熊本市中心部には熊本のシンボル・熊本城があります。難攻不落で西郷隆盛すら落とせなかった熊本城の城内にもいくつかの神社があり御朱印を頂けます。なので観光がてら回ることができます。
熊本空港からのリムジンバスは桜町のバスターミナルに到着します。市街地から離れた熊本駅の代わりに実質的な「熊本駅」として機能しています。2019年に「サクラマチクマモト」として再開発されています。こちらから歩いてすぐに山崎菅原神社があります。
1070年に肥後菊池氏初代の菊池則隆が太宰府天満宮から分霊したのを創建としており、1779年に再興されますが1877年の西南戦争で焼失、1879年に山崎町(市電慶徳校前付近)で再興しています。その後1915年に現在地に遷座しています。1941年に完成した社殿は1945年の空襲で焼失を逃れ、2016年の熊本地震も大きな被害なく今に至っています。ただし鳥居や末社がが倒壊したそうです。
山崎菅原神社の御朱印です。
山崎菅原神社からすぐに熊本城への入口があります。お城に向かわず西の二の丸方面へ。しばらく歩くと藤崎台球場の隣に熊本県護国神社があります。1869年に熊本藩主の細川韶邦、細川護久が明治維新以来の戦死した熊本藩士を祀るため招魂社を建立したのが始まりで、1939年に熊本県護国神社となり、1953年に現在地に移転しています。本殿は1957年に完成しています。
また境内には新宮神社があります。近くの新町にお菓子の職人町があり、お菓子の神様を祀る祠があり、これが新宮神社の始まりとのことです。しかしながら新町はマンションが建つなど町並みは一変し、個人宅に取り残されていた祠を地元の「お菓子の香梅」からの寄付で2015年に現在地に遷しています。
こちらでは新宮神社含め御朱印を頂けます。熊本県護国神社と新宮神社の御朱印です。
それでは本丸方面に戻りましょう。本丸の近くに加藤神社があります。
加藤清正を祀る神社で1868年に創建、熊本城に遷座しますがほどなく京町に移転しています。1962年に熊本城内に再度遷座し現在に至ります。加藤清正は熊本藩主として産業育成政策を取り、今も熊本では尊敬される存在です。このため戦前には熊本県出身者によりソウルやハワイにも加藤神社が分祀されています。ソウルの加藤神社は敗戦により廃され、ハワイの加藤神社は現在ホノルルの石鎚神社に合祀されています。
加藤神社の御朱印です。なお熊本駅の商業施設「アミュプラザ」の屋上にも2021年に加藤神社が分祀されていますが、こちらは御朱印はないようです。
一旦熊本城を出て時計回りに歩くとお城の東側に熊本大神宮があります。
1882年に伊勢信仰の熊本の本拠として創建、その後西南戦争で焼けてからは数度遷座し、1926年に現在地に移転しています。熊本地震では本殿は無事でしたが、熊本城の石垣が崩れて社務所の屋根を突き破る被害を受けています。当時2名の方が社務所にいたものの無事であったそうです。ということで社務所はプレハブでした。
熊本大神宮の御朱印です。
お隣は熊本城稲荷神社です。
1588年に加藤清正が熊本に入った際に創建され、以来熊本城内に鎮座しています。熊本地震で大鳥居や社務所が損壊、被害の大きかった社務所は建て替えられています。
熊本城稲荷神社の御朱印です。
このように熊本城周辺だけでも十分に回れます。後半は市街地を回ってみます。御朱印情報は後半にまとめてご紹介します。