「京の冬の旅」で東山界隈の寺社を回ってきた続きです。
建仁寺の塔頭・禅居庵(摩利支天)にお参りし、北にある久昌院に向かいましょう。
久昌院は1608年に美濃の加納(現在の岐阜市:名鉄の駅にありますね)城主の奥平信昌により創建されました。奥平信昌は三河の豪族で、地域の支配者が今川→徳川→武田→徳川と激しく移り変わる中で主君を変えながら10万石の譜代大名となり、家康の娘を妻に迎える出世を遂げました。
そんな奥平信昌が徳川の重臣となるきっかけとなったのが長篠の戦いで、その長篠の戦いを描いた屏風絵を展示しています。織田・徳川連合軍が武田に大勝利した長篠の戦いでは奥平信昌が少ない兵で長篠城を守り切る戦功をあげています。奥平家は江戸中期より大分の中津藩に移りましたが、明治維新まで存続しています。ですので福沢諭吉の主君となります。
東山を借景とした庭は撮影OKでした。決して広くはないのですが奥の木が2段に刈り込まれているのが珍しいですね。
お次は自主的に特別公開をやっている両足院です。1358年に知足院として創建され、16世紀に両足院と改称しています。饅頭の発祥とされているとか。両足院の特別公開は本日が最終日なので滑り込みセーフでした。目玉は伊藤若冲の掛軸「雪梅雄鶏図」の特別展示でボランティアのガイドさんが説明してくれます。雪の庭でえさを探す雄鶏を描いていますが背景が省略されており、かえって奥深いものがありました。
両足院も掛軸等は撮影禁止ですがわずかに雪が残っている庭は撮影OKでした。夏の半夏生も見事だそうです。
建仁寺のお隣は京都ゑびす神社です。1202年に建仁寺を創建する際に鎮守として創建された古い神社です。
商売繁盛の十日戎が終わり境内は静かになっています。
もちろん京都を代表する2つの百貨店、大丸と高島屋の奉納した提灯が飾られています。本殿の脇にある戸板をノックしてお参りするという変わった神社です。神職の方がいますのでもちろん御朱印が頂けます。
ここまででお昼となりましたのでお昼を食べて休憩です。歩いてすぐが祇園という便利な場所です。
食後はさらに北に進んで東山二条にある洛陽三十三所観音霊場の八番・大蓮寺へ。東は東大路・西は川端・北は二条・南は仁王門通りに囲まれたこの地は寺院が整然と建ち並んでいます。1708年の宝永の大火後に京都御所が広げられたあおりで立ち退いた町が移転したところで、新高倉通りや新柳馬場通りなど洛中の通りに「新」を付けた通りが存在します。なのでニュータウンですねhi
大蓮寺は1600年に創建された浄土宗の寺院で、その名の通り蓮の花で知られます。もちろんこの時期は咲いてなく境内には黄色い蝋梅が咲いていました。
また大蓮寺は「走り坊さん」と呼ばれた籏玄教というお坊さんでも知られています。明治後期から大正期に京都の市内を毎日走り回り、頂いたお布施を貧しい人たちに分け与え「今一休」とも呼ばれたとのこと。走り坊さんの百回忌とのことでイラスト入りの金印が御朱印に押されていました。
この他金戒光明寺とその塔頭・西翁院も特別公開の対象で、特に西翁院は13年ぶりの公開だったのですが門から内側は全て撮影禁止、御朱印もなしというかなりの塩対応のようです。雨が降ってきたこともあり引き上げることにしました。
京の冬の旅で見て回りたい寺社はこれで全部見終わりました。普段見ることができない寺院をじっくり見ることのできる貴重な機会で個人的にはオススメです。京の冬の旅以外でも大蓮寺のような小さな寺院でも面白い歴史があり回ってみる価値があると思います。清水寺や金閣寺にない魅力を持っていますし、時に人生のスパイスになる言葉をいただけることもあります。
同じ禅宗ですが妙心寺の塔頭にくらべて建仁寺の塔頭は少々塩対応だったかなぁと思います。
[御朱印情報] ※特記なきかぎり御朱印は1種300円。
・久昌院 本堂でご本尊と書院「高松軒」の2種を授与。書き置きのみ。
・両足院 受付で通常の御朱印「知足」と若冲の絵に因む限定の「照顧」を授与。
いずれも書き置きのみ。
若冲の雪梅雄鶏図のオリジナル御朱印帳がありますが在庫僅少とのこと。
在庫ある限り当面受付で販売するそうです。追加を増刷中で詳細はHPで告知予定。
・大蓮寺 庫裏で走り坊さん百回忌の金印を押した御朱印1種を授与。
走り坊さんのイラスト入りオリジナル御朱印袋あり。
・ゑびす神社 社務所で通常の御朱印1種と都七福神まいり1種を授与。
建仁寺の塔頭・禅居庵(摩利支天)にお参りし、北にある久昌院に向かいましょう。
久昌院は1608年に美濃の加納(現在の岐阜市:名鉄の駅にありますね)城主の奥平信昌により創建されました。奥平信昌は三河の豪族で、地域の支配者が今川→徳川→武田→徳川と激しく移り変わる中で主君を変えながら10万石の譜代大名となり、家康の娘を妻に迎える出世を遂げました。
そんな奥平信昌が徳川の重臣となるきっかけとなったのが長篠の戦いで、その長篠の戦いを描いた屏風絵を展示しています。織田・徳川連合軍が武田に大勝利した長篠の戦いでは奥平信昌が少ない兵で長篠城を守り切る戦功をあげています。奥平家は江戸中期より大分の中津藩に移りましたが、明治維新まで存続しています。ですので福沢諭吉の主君となります。
東山を借景とした庭は撮影OKでした。決して広くはないのですが奥の木が2段に刈り込まれているのが珍しいですね。
お次は自主的に特別公開をやっている両足院です。1358年に知足院として創建され、16世紀に両足院と改称しています。饅頭の発祥とされているとか。両足院の特別公開は本日が最終日なので滑り込みセーフでした。目玉は伊藤若冲の掛軸「雪梅雄鶏図」の特別展示でボランティアのガイドさんが説明してくれます。雪の庭でえさを探す雄鶏を描いていますが背景が省略されており、かえって奥深いものがありました。
両足院も掛軸等は撮影禁止ですがわずかに雪が残っている庭は撮影OKでした。夏の半夏生も見事だそうです。
建仁寺のお隣は京都ゑびす神社です。1202年に建仁寺を創建する際に鎮守として創建された古い神社です。
商売繁盛の十日戎が終わり境内は静かになっています。
もちろん京都を代表する2つの百貨店、大丸と高島屋の奉納した提灯が飾られています。本殿の脇にある戸板をノックしてお参りするという変わった神社です。神職の方がいますのでもちろん御朱印が頂けます。
ここまででお昼となりましたのでお昼を食べて休憩です。歩いてすぐが祇園という便利な場所です。
食後はさらに北に進んで東山二条にある洛陽三十三所観音霊場の八番・大蓮寺へ。東は東大路・西は川端・北は二条・南は仁王門通りに囲まれたこの地は寺院が整然と建ち並んでいます。1708年の宝永の大火後に京都御所が広げられたあおりで立ち退いた町が移転したところで、新高倉通りや新柳馬場通りなど洛中の通りに「新」を付けた通りが存在します。なのでニュータウンですねhi
大蓮寺は1600年に創建された浄土宗の寺院で、その名の通り蓮の花で知られます。もちろんこの時期は咲いてなく境内には黄色い蝋梅が咲いていました。
また大蓮寺は「走り坊さん」と呼ばれた籏玄教というお坊さんでも知られています。明治後期から大正期に京都の市内を毎日走り回り、頂いたお布施を貧しい人たちに分け与え「今一休」とも呼ばれたとのこと。走り坊さんの百回忌とのことでイラスト入りの金印が御朱印に押されていました。
この他金戒光明寺とその塔頭・西翁院も特別公開の対象で、特に西翁院は13年ぶりの公開だったのですが門から内側は全て撮影禁止、御朱印もなしというかなりの塩対応のようです。雨が降ってきたこともあり引き上げることにしました。
京の冬の旅で見て回りたい寺社はこれで全部見終わりました。普段見ることができない寺院をじっくり見ることのできる貴重な機会で個人的にはオススメです。京の冬の旅以外でも大蓮寺のような小さな寺院でも面白い歴史があり回ってみる価値があると思います。清水寺や金閣寺にない魅力を持っていますし、時に人生のスパイスになる言葉をいただけることもあります。
同じ禅宗ですが妙心寺の塔頭にくらべて建仁寺の塔頭は少々塩対応だったかなぁと思います。
[御朱印情報] ※特記なきかぎり御朱印は1種300円。
・久昌院 本堂でご本尊と書院「高松軒」の2種を授与。書き置きのみ。
・両足院 受付で通常の御朱印「知足」と若冲の絵に因む限定の「照顧」を授与。
いずれも書き置きのみ。
若冲の雪梅雄鶏図のオリジナル御朱印帳がありますが在庫僅少とのこと。
在庫ある限り当面受付で販売するそうです。追加を増刷中で詳細はHPで告知予定。
・大蓮寺 庫裏で走り坊さん百回忌の金印を押した御朱印1種を授与。
走り坊さんのイラスト入りオリジナル御朱印袋あり。
・ゑびす神社 社務所で通常の御朱印1種と都七福神まいり1種を授与。