先の沖縄移動の中で少し触れた「沖縄県石川市」についてご質問がありましたので補足説明させて頂きます。
現在うるま市の一部となっている旧石川市は本来市制を敷ける要件を満たしておらず、その経緯がよく分からない不思議な市でした。
その歴史を簡単に書きますと以下の通りです。
戦前 石川市域は美里村の一部であった
1945年 沖縄戦により家を失った住民のために米軍が収容所を開設
収容所の人口が増加し、その運営のため地方行政緊急措置要綱が公布され
収容所を「市」とする
→これにより美里村の一部が石川市となる(1945年9月26日)
発足したのは13市で、収容所閉鎖などにより石川市以外は1945年中に消滅
1946年 石川市の収容所も閉鎖され人口が激減するも石川市は存続
この存続経緯は不明
米軍占領下での諸制度が整えられてゆくが、石川市はそのまま存続
1972年 沖縄の本土復帰に伴い沖縄県石川市は日本政府により追認される
2005年 具志川市などと合併しうるま市発足。石川市は消滅
石川市の人口は少ないまま推移し、赤平市や芦別市といった北海道の旧産炭地が惨憺たる状態になるまでは全国で最も人口が少ない市であったようです。合併直前でも2.3万人弱でした。
人口が少ないこともあって長年沖縄県の珍市として君臨し続け、JCCハントでの高い壁になっていました。結局石川市とはQSOできなかった、という方もいらっしゃると思います。
ちなみに1945年に発足した臨時の市の中には「糸満市」もありました。収容所閉鎖で島尻郡糸満町に戻り、その後人口増加や合併により再び糸満市となりました。つまり今の糸満市は厳密に言えば2代目なんですね。