JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

宮古島移動運用メモ

2011-11-24 | シャック便り

宮古島移動運用メモ

[宮古島市]
宮古島は沖縄本島と石垣島の間にあり、石垣島や西表島に肩を並べる大きな島です。属島である来間島と池間島とは架橋されています。現在は全島が宮古島市に属しています。宮古地区の中心であり、行政機関や高校、金融機関や商業施設などは一通り揃っています。

サトウキビなどの農業と観光を主産業としています。集落は島に点在しますが、中心は西にある平良地区です。

 

宮古島と沖縄本島の間約300kmには島がなく、一旦海が荒れると逃げる場所がないことから、航海技術が発達していない時代は渡ることが命がけであったようです。現在においても台風の接近時には特に注意を要する場所のようです。

島はほぼ平坦で高い山がないことから川らしい川がなく、昔からわき水などの地下水に頼ってきました。このため石垣島よりも発展が遅れ、沖縄本島・石垣島の次の3番手的存在であり続けています。現在も水道の水源は地下水で、石灰岩の中に地下ダムを設けて水の供給を安定化させています。石灰岩中の水であるため水の硬度が非常に高く、中和装置により水の軟化処理を行っているそうです。

平坦な島のためマラソンや自転車に向いていることからトライアスロンをはじめ様々なスポーツイベントも開かれています。その一方で地形の変化に乏しく、石垣島と比べると観光地としての魅力がやや落ちると言われ、本土や沖縄本島の観光業者が宮古に進出しても事業がなかなか軌道に乗らないようです。

 

以前は北側が平良市、南側に宮古郡上野・下地・城辺の各町村があり、平良市は珍市として有名でしたが、宮古島市になってからはレア度が下がったようです。現在宮古地区では宮古島市に合併しなかった多良間村がレアとされます。とはいえ石垣島と比べるとアクティブな局が少ないようで、バンドによっては珍しいと思います。

 
[島内での運用]
島内でQRVできそうな場所はいくらでもありますから省略します。平坦な島のため10~15m前後の地上高があれば360度障害になるものはないでしょう。

 
[島へのアクセス]
那覇空港からJTAとANA、スカイマークの便があります。約40分ほどで到着します。このほか羽田からの直行便もあります。

現在那覇からの交通手段は空路のみであり、フェリー等はありません。

 
[島内でのアクセス]
島内には共栄バス八千代バスがありますが、いずれも本数が少なく通学を中心にしたダイヤで空港アクセスとしての役割すら果たせていません。観光客には使えない存在です。また両社は平良市街にターミナルを構えていますが、全く別の場所であり、互いの連携を一切考えていないようです。

島内はレンタカーもしくはタクシーが一般的です(路線バス2社もタクシー事業を行っています)。タクシーは港や空港には多くいますが流しは少ないようですので空港で拾ったタクシーに電話番号を聞いておくとあとで呼ぶのに便利です。

 
[宿泊施設]
平良市街を中心にホテルや民宿等多数あります。宮古島トライアスロンなどの大きなスポーツイベント時を除けば宿に困ることはないでしょう。

 
[島内の店]
サンエーをはじめとしたスーパーやコンビニもありますから利便性に問題はありません。食堂もたくさんあり、平良の西里地区を中心に居酒屋やバー、24時間営業の喫茶店なども多数あります。

県内各主要銀行の支店や郵便局も揃っています。

 
[おみやげ]
モンテドールのバナナケーキが昔から有名ですが、最近は島の雪塩や雪塩を使ったお菓子も人気です。

宮古島には「オトーリ」という泡盛を飲みながらコミュニケーションを取る習慣があり、泡盛の酒造場も数多く存在します。いずれも飲みやすさに主眼を置いていることが特徴です。

このほか交通安全を訴える目的で島内に設置された「宮古まもる君」のグッズが人気です。

宮古空港の2階に土産物店が並んでいますので買いやすいと思います。

 
[宮古島と無線]
宮古島と無線を語る上で欠かせないのが「久松五勇士」です。1905年の日露戦争当時、ロシアのバルチック艦隊がいつどのルートを取って日本海にやってくるのか日本は情報を持っていませんでした。

ところが那覇から宮古島に向けて貨物を輸送していた船が偶然にバルチック艦隊と遭遇し、宮古島の島司(現在の市長相当者)に報告します。島司は早速海軍に報告しようとしたものの宮古島には無線設備がなく、無線設備のある石垣島まで電文を伝えるため5人の漁師を派遣することになりました。彼らは沖縄伝統のサバニという手こぎの漁船を使い、15時間かけて人力で石垣島に渡ったそうです。

もっとも彼らの伝えた電文は僅かの差で他船からの報告に遅れ、日本海海戦の勝利に直接結びつくことはなかったのですが、宮古島へはその年のうちに無線設備が設置されています。その後昭和に入り戦雲がたれ込めるようになると彼らは「久松五勇士」として称えられることになりました。命がけの石垣行きから30年が経っており、5人のうちお一人は既に亡くなっていたそうですが、盛大な表彰を受けたそうです。

宮古島には今でも久松五勇士を称える記念碑があり、島の誇りなのだそうです。

 
[注意点]
宮古島は高い山がないため台風が接近すると猛烈な風が吹きます。島では最大瞬間風速85.3m(時速307km)を記録したこともあり、台風接近時には必ずアンテナを撤収してください。車も横倒しにされる危険がありますから宿の方と相談し台風が通り過ぎるまでは外出しないようにしてください。

宮古島にはハブはいませんのでご安心下さい。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする