5/27(日) 那覇→南大東
いよいよ南大東島に渡る日がきました。ホテルの窓から見る限りでは霧がかかっているものの雨の降る心配はないそうで、JALの発着案内でも特に何も書かれておらず飛びそうです。9:55発の午前便なので余裕を持って8:30にホテルを出ました。まぁ、これが壮絶な一日の始まりとは知るよしも(以下略)
南大東島について簡単にご紹介しましょう。
[南大東島]
全島が島尻郡南大東村に所属。那覇からは約400km離れています(東京-大阪間に相当)。本島の漁民とかが「うふあがり島」と呼び、古くから存在は知られていたようですが、島の周囲が崖で上陸できないため、約100年前まで無人島だったそうです。
明治期に八丈島からの移民が上陸に成功し、サトウキビの生産が始まりようやく有人島となったそうです。沖縄県に所属しますが、那覇近くの島尻郡になってしまいます。戦前は大日本精糖(現在の大日本明治精糖)が行政権も含め島を支配するという日本でも珍しい会社所有の島だったそうです。終戦後米軍の施政権下でようやく南大東村が成立、その後サトウキビ畑が農民に分配され最終的に大日本精糖からの自立を達成したそうです。
他の島尻郡の町村とはあまりにも遠いし歴史的にも全くつながりのない島ですが、島尻郡になったおかげでJCGとしてはさほどレアではないです。島尻郡って久米島から大東島まですごく距離があります。北海道の比じゃないですね。でも大東郡とか作ってくれてたらJCGでは超珍郡だったかも知れませんね(笑)JCCやJCGを追いかけない私には無縁の話であります(VU-10000は狙いたいと思っています)。
現在の人口は約1,400人。サトウキビのおかげで村民の平均所得は沖縄県でもトップクラスです。散髪するために飛行機で那覇に行くなんて人もいるそうです。ガイドブックも少なく、観光客はまだまだ少ないそうですが、他の沖縄の離島とは違った歴史と魅力にひかれた旅人が訪れるようになっています。
那覇空港で昨日と同じく航空券を発券してもらい、RAC専用の9番カウンターでチェックインと荷物預けを行いました。「いま南大東空港に霧がかかっていて天候調査中です。早めに28番搭乗口にお越しください」とのことです。
が、ものの3分もしないうちに機長から「地上より南大東空港視界不良のため着陸は無理との連絡が入りました。那覇に引き返します」とのアナウンスがあり、那覇強制送還確定。綿菓子のような雲がびっしりと覆っており島も海も全く見えません。設備の整った羽田や伊丹であれば十分着陸できる雲ですが、南大東空港にはそんな設備はなく引き返すしかありません。
飛行機は再び高度を上げ、Uターンして那覇を目指します。ようやく13時頃に那覇に到着。例の28番ロビーに強制送還されてしまいました。
この先選べるのは以下の3つ。
①午後の北大東経由南大東行きに振替
②明日以降に振替
③旅行を打ち切り全額払い戻し
いずれも無手数料で運賃種別に関係なく処理してくれます。ここまできたら乗りかかった船ならぬ飛行機なので午後便への振替をお願いしました。幸いなことに空席があり、新しい搭乗券に交換してもらいました。一緒に乗っていた9名のうち、4名の方は明日以降に振り替えるみたいで空港をあとにしてゆきました。
午後便の所定出発時刻は14:20なのであと1時間少々。一旦外に出て空港のパソコン端末で顛末をブログに書き、宿に電話しておきました。予想外の事態と2時間以上プロペラ機に乗った振動とで食欲がわかず、再び28番ロビーに戻りました。
そんなのとは無縁の28番ロビーで飛ぶかすら判らずぼーーーーっと過ごすしかありません。RACの地上職でSPEEDのメンバーと同じ姓の子がいました。背格好や顔がどうみても中学生で背が低いからちょこちょこ歩き回っていて大変だろうなぁとか思ったりしてましたが、それくらいしかやることがなく時間が過ぎてゆきます。仮に南大東に着いても今日の移動運用はできないんだろうなぁ。悔しいけどどうしようもありません。
この先飛行機は北大東へ飛ぶのか? 飛んでも引き返してしまうのか? 長くなりそうですので今回はここまで。