見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

英国から世界へ/ウィンザーチェア(日本民藝館)

2017-10-18 22:55:57 | 行ったもの(美術館・見仏)
日本民藝館 特別展『ウィンザーチェア-日本人が愛した英国の椅子』(2017年9月7日~11月23日)

 18世紀前半にイギリスで生まれたウィンザーチェアを中心に、欧米の多様な椅子を展観し、その造形美を紹介する特別展。主に日本や朝鮮の工芸を収集している同館では、やや異色の企画である。

 そもそも「ウィンザーチェア」というものをよく知らないので調べてみた。Wikipediaによれば、「17世紀後半よりイギリスで製作され始めた椅子」で「当初は地方の地主階級民の邸宅や食堂などで主に使用されていたが、やがて旅館やオフィスや中流階級の一般家庭にも浸透していき(略)1720年代にはアメリカ合衆国へ渡り、簡素で実用的な椅子として大流行した」という。英国の木材を使った英国固有の家具であったが、18世紀前半にはアメリカンウィンザーが作り始められた。日本では1951年(昭和26年)頃から信州松本で作られ始め、現在に到る。なお、名前の由来は定かでないそうだ。

 もう少し実体に即した定義を、ある椅子工房のホームページから引用しておく。「分厚い木製の座板に尻形の窪みがかたどられ、その座板の面に脚や背棒が直接ホゾ継ぎで差し込まれた椅子。補強のために、脚をホゾ継ぎした貫で補強することが多い」とあり、展覧会を見てきたあとで読むと、非常に納得がいく。

 展示は、いつものように2階の大展示室から見始めた。中央のスペースには、さまざまな顔を持つウィンザーチェアが、入口を向いて行儀よく配置されている。壁際に並べられたものをあわせると、30脚くらい。テーブルの周囲に集められた4脚もあったが、よく見ると揃いではなく、微妙に形が異なっていた。背の形状によって、コムバック(細い棒が並行して並び、櫛の歯状)、ボウバック(背の上部が弓状)、ファンバック(下がすぼまる台形)、ハイバック、ローバックなどの名前があることを理解する。一部は、松本民芸生活館等の所蔵品だった。

 座板に厚みがあってどっしりしているのに比べ、椅子の脚はどれも細く、補強のための横棒を渡しているものが少ないので、体の大きな人が座っても大丈夫だろうかと不安になる。童話「3びきのくま」で、子ぐまの椅子を壊してしまう女の子のことを思い出した。脚は地面に垂直ではなく、少し下を開き気味に座板に差し込まれている。座板の表面に脚の先端が見えていることもある。中には、簡素の極みで三本足の椅子もあった。座板は、横幅はゆったりしているが前後は狭いように感じた。むかしデパートの食堂で見たような、子供用のハイチェアがあるのも面白かった。

 椅子のまわりには、スリップウェア、デルフトの陶器タイル、グレゴリオ聖歌の楽譜、ルーマニアのガラス絵など、見る機会の少ない欧米の民藝が取り合わされていた。大展示室の外には、アメリカ製やフランス製のウィンザーチェアがあったが、たぶん原料の木が違うのだろう、だいぶ風合いが違って見えた。

 2階は回廊部分も「ウィンザーチェア」で、さらにもう1室を関連展示の「欧米の多様な椅子」に使っていた。教会や学校にありそうな、背もたれのないロングベンチ、あるいは垂直な背もたれのついた四角いベンチなど。至るところ椅子だらけなのに「座れない」という状況が可笑しく思えてくる。ほかは「仏具と神具」「舩木道忠・研児とバーナード・リーチ(近代工芸)」「朝鮮時代の生活工芸」。

 1階へ下りる。今回、踊り場の中央に据えられたのは、やはりウィンザーチェアで、照明の効果で、白い壁に映る影の美しさが印象的だった。その上にスウェーデンの壁画「サマリアの井戸」が掛けられていて、オレンジと紺の色合いが近代ふうに感じられた。両側にグレゴリオ聖歌の楽譜も並んでいたと記憶する。玄関広間の展示ケースにはスリップウェアなど。階段に向かって右手の2室は「日本の古陶」と「日本の織物」で、「古陶」は素朴なスリップウェアふうのもの、「織物」はチェック(絣)や縞が多く、イギリスふうを狙っているな、と感じられた。

 「織物」を特集することの多い左奥の展示室は「欧米の多様な椅子」。私はこの部屋にあった「肋骨の椅子」(19世紀、アメリカ)が気に入った。ラダーバックとも呼ばれ、梯子のように複数の横板が並んだ、まっすぐな背が特徴的である。座りやすそうな気がする。この展示室には、テーブルの上に無造作にスリップウェアの器が並んでいたり、ニューメキシコの祭壇画(完全な素朴絵)もあって、面白かった。

 たぶん全館で50脚以上の椅子を見ることができる展覧会。でも座れないのが心残り。松本に行くと、民芸家具を使っている喫茶店があるらしいので、「座りに」行ってこようかと思う。
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照明に賛否両論/運慶(東京国立博物館)

2017-10-17 23:45:37 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 興福寺中金堂再建記念特別展『運慶』(2017年9月26日~11月26日)

 日本で最も著名な仏師・運慶の作品を興福寺をはじめ各地から集め、さらに運慶の父・康慶、実子・湛慶、康弁ら親子3代の作品を揃えて次代の継承までをたどる。この秋、間違いなく東京で最も注目の展覧会である。ところが、SNSに流れてくる評判があまりよくない。いちばん気になったのは「照明が過剰」という批判。いや「効果的」という人もいるので、賛否両論というのが正しいのだろうが、少し警戒しながら見に行った。

 冒頭は運慶のデビュー作として知られる円成寺の大日如来坐像。金箔が剥げて現れた地肌の色(漆の色か)と、小豆色の背景がよく合っている。わずかに残る金箔がいつになくキラキラするので、照明が強いんだなと思うが、そんなに気にならない。バランスのとれた造形美に圧倒される。滅多に見られない背中のなめらかな丸みが素敵。運慶が学んだ奈良仏師の作風を伝える仏像として、長岳寺の阿弥陀如来と両脇侍坐像、それから東博所蔵の毘沙門天立像(中川寺十輪院伝来)。この毘沙門天は、どこにも注釈がなかったけど川端龍子氏旧蔵の品だと思う。また、父・康慶の作品として、興福寺の法相六祖像と四天王立像が来ていたのは嬉しかった。法相六祖像が全部並んだところって、数えるほどしか見たことないと思う。四天王像は、現在、仮金堂に安置されているもの。今年の春、奈良博の『快慶』展のあとに見て、とてもいいなあと思ったものだ。

 しばらく運慶の作品が続く。神奈川・常楽寺の毘沙門天立像(阿弥陀三尊は10/21-11/26展示)、六波羅蜜寺の地蔵菩薩坐像、栃木・光得寺の大日如来坐像(厨子入り)など、みんな好きだ。瀧山寺の聖観音菩薩立像は、ホコリをきれいに拭ってもらったようで、よかったね、と思って眺める。

 さて運慶屈指の名作、金剛峯寺の八大童子立像から6躯(阿耨達童子と指徳童子を除く)。うーん…これちょっと好きになれない。6躯はそれぞれ単独の単独の縦長の展示ケースに入れられて、広いスペースに散らばっている。個別に照明効果を考えているのかもしれないが、ケースの角度がまちまちで統一感がない。この方式のほうが、1躯1躯に至近距離まで近づけるし、混雑時に客が固まらない利点があることは分かる。しかし、やっぱり八大童子は集合体で見たい。2014年、サントリー美術館の『高野山の名宝』のような展示方式が好き。あと、ここは完全に照明が強すぎて、角度によっては眩しくて鑑賞の邪魔だった。

 しかし、興福寺の無著・世親菩薩立像と四天王立像のエリアはよかった。無著・世親に対する照明が明るすぎる、という批判を目にして不安を感じていたのだが、特に無著菩薩立像は、影がなくて、穏やかで柔和な表情がよく分かってよかった。実は、2004年に芸大美術館で開かれた『興福寺国宝展』では、無著・世親像に陰影をくっきり際立たせる照明が当たっていて、あまり好きになれなかった記憶があるのだ。周囲を取り囲む四天王は、ふだん南円堂にあるもの。現在、仮金堂にある四天王像(康慶作)は、かつて南円堂にあったと考えられ、いま南円堂にある四天王像は、かつて北円堂にあったとする説が注目を集めている。そして、この四天王像(特に持国天、多聞天)は、運慶作の可能性があるのだそうだ。確かに、荒ぶるカッコよさは興福寺でも随一。個人的には、ちょっと快慶の四天王を思い出す。

 後半は運慶の息子・湛慶と周辺の仏師たちへ。東大寺の重源上人坐像にまたお会いしてしまった。いつもお勤めご苦労様です。神奈川・満願寺の観音菩薩立像・地蔵菩薩立像は、充実したボディが魅力的。高知・雪蹊寺の毘沙門天立像と(ひとまわり小さい)吉祥天立像・善膩師童子立像(湛慶作)に会えるとは、予想もしていなかったので、かなり嬉しかった。妙法院(三十三間堂)の本像・千手観音坐像(湛慶作)はさすがに来ていなかったけど、その光背に装着されている迦楼羅・夜叉・執金剛神が出ていて興味深かった。三十三身がぜんぶ付いているのか。次回はよく見ておこう。

 京都・高山寺の小さな女神・善妙神立像も来てるな、と思ったら、二匹の神鹿と子犬も来ていて、笑ってしまった。うれしい~。今年の5月に高山寺に会いに行ったわんこである。運慶展でまた会えるとは思っていなかったよ~。また別室には、康弁作の天燈鬼と龍燈鬼。この子たちも何度も見ているけど、後ろにまわってふんどしのゆるみ具合を確かめられる機会はなかなかない。このエリアも照明が強すぎて、龍燈鬼の玉眼が金の膜をひいたようになっていたのは可哀想だった。

 最後は京都・浄瑠璃寺伝来の十二神将立像。現在、東博に5躯、静嘉堂文庫に7躯が分かれ分かれになっているものを一挙展示。いや、それだったら同じ空間に並べようよ、と思うのだが、ここも1躯ずつ単独の展示ケースに入れての展示である。そして照明が強いので、せっかくの魅力が失われているように感じた。

 全体としては、よいところもあり、気に入らないところもあった。文書や木札など、運慶関連資料をまとめて見られる利便性は特筆しておきたい。図録はかなり好みが分かれそうである。よくも悪くも仏像の人間的な表情をつかまえており、まるでアイドルのように撮っている。ポスター・チラシデザインが松下計デザイン室(東京芸大附属図書館長の松下先生!)であることも記録しておこう。
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会いに行けるシルクロード文化財/素心伝心(東京芸大大学美術館)

2017-10-16 23:55:17 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京芸大大学美術館 シルクロード特別企画展『素心伝心 クローン文化財 失われた刻の再生』(2017年9月23日~10月26日)

 東京藝術大学は、劣化が進行しつつある或いは永遠に失われてしまった文化財の本来の姿を現代に甦らせ、未来に継承していくための試みとして、文化財をクローンとして復元する特許技術を開発したという。「クローン文化財」という用語は初耳だったが、近年、東京芸大が、東西のさまざまな文化財の復元に取り組んでいることは承知していた。2016年のアフガニスタン特別企画展『素心』で見たバーミヤン大仏天井壁画の復元、2014年の『別品の祈り』で見た法隆寺金堂壁画の復元など、今でも強い印象を残しているので、あれが再び見られると知って、いそいそと出かけた。

 これまでの文化財復元展示は、芸大の陳列館が会場だったが、今回は美術館3階が会場である。会場に入ると、完全に「法隆寺旧金堂」の空間が広がっていて、中央には釈迦三尊像がいらっしゃるではないか。え? 金堂壁画と丹塗りの柱には見覚えがあるが、これは本物のは釈迦三尊像をお連れしたのだろうか。天蓋まで揃っているし…と慌てる。そんなはずはなくて、この釈迦三尊像も「クローン文化財」なのだが、出来栄えがすごい。あとでパネルやビデオを見たら、制作したのは富山県高岡市の職人さんたちで、伝統の鋳物作りの技術を活かしている。



 「日本:法隆寺」のあとは「北朝鮮:高句麗」「中国甘粛省:敦煌」「中国新疆ウイグル地区:キジル」「アフガニスタン:バーミヤン」と続く。ちょうど関係者によるギャラリートークが始まったところで、この順番に案内してもらった。ほかに「タジキスタン:ペンジケント」と「ミャンマー:バガン」の壁画も少数だが展示されていた。

 「高句麗」は四方の壁に「四神図」を持つ「江西大墓」の復元である。これはたぶん、2004年の国際交流基金フォーラム『世界遺産 高句麗壁画古墳展』で見たものではないかと思う。



 「敦煌」は莫高窟第57窟を再現。向かって左の壁画は阿弥陀説法図で、左側の柔和な観音菩薩像は、井上靖氏が「僕の恋人」と呼んでいたそうだ。正面の仏龕の塑像2体は、後世の修復の影響を取り除き、造像当時の姿に推定復元したもの。本尊は敦煌研究院の先生が制作し、脇侍の菩薩像は芸大の優秀な学生(しげまつくん)を送り込んで作らせた、という説明だった。第57窟は非常に人気の高い窟だが、人間が放出する二酸化炭素や靴についた菌による劣化進行を避けるため「まもなく見られなくなるだろう」とおっしゃっていた。



 「キジル」は、航海者を描いた第212窟を復元。この壁画はドイツ探検隊によって持ち去られ、その一部は第二次世界大戦中の空襲で失われてしまったので、『アルト・クチャ』という書籍の写真から復元された。いまの出版物の写真は、拡大すると画像の粒子が粗くてものにならないが、1920年刊行の同書は非常に高画質だという(※画像あり:『東洋文庫所蔵』貴重書デジタルアーカイブ )。写真は、内陸のクチャの人々が想像で描いた海の図。敦煌に行くと厳粛な気持ちになるけど、キジルの石窟は明るく、わくわくする、とおっしゃっていて、分かる気がした。キジル、いつかもう一回行きたいなあ。



 最後に「バーミヤン」。仏教の大仏の頭上にゾロアスター教の太陽神がいて、ギリシア風の戦いの女神や風の神、迦陵頻伽のような半人半鳥もいる。シルクロードの「寛容」と「共生」を表しているという解説が、あらためて興味深かった。あと若かりし頃の天皇皇后両陛下が、バーミヤン大仏が見えるところのゲル(天幕)にお泊りになった話も。(アフガニスタン政府が)当時の写真を提供してくれたんですけど、宮内庁の許可が取れてないんで展示できないんですよ、とちらっと見せてくれた。



 ギャラリートークの先生は「井上靖さんと同じ井上」とおっしゃっていたので、特任教授の井上隆史氏だと思う。へえ、文明・歴史・美術などのドキュメンタリーを手掛けたNHKプロデューサーなのか。トークがうまくて、とても楽しかった。そしてクローン文化財は全て写真撮影OKというのも英断だと思う。

 以前の法隆寺金堂の復元展示を見たときは、展示が終わったあとが気がかりだったが、今日までちゃんと保存されていてよかった。そして、今回の展示のあと、いくつかは「故国」に戻る可能性があるそうだ。文化財の「保存」と「公開」の両立を解決するひとつの手段として、こういう技術、いいと思う。
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高低差と歴史で読み解く/京都の凸凹(でこぼこ)を歩く2(梅林秀行)

2017-10-15 22:15:04 | 読んだもの(書籍)
○梅林秀行『京都の凸凹を歩く:名所と聖地に秘められた高低差の謎』 青幻舎 2017.5

 『京都の凸凹を歩く:高低差に隠された古都の秘密』からちょうど1年。嬉しいことに続編が刊行された。今回、取り上げられているのは「嵐山」「金額寺」「吉田山」「御所東」「源氏物語ゆかりの地(五条大橋西詰)」「伏見城」である。「嵐山」と「伏見城」は、NHK「ブラタモリ」でも紹介されたので、それ以外の章がとりわけ目新しく、興味深かった。

 まず「金閣寺」である。室町時代前期、足利義満が造営した邸宅「北山殿」がもとになっていると言われているが、実はそれ以前、鎌倉時代前期、西園寺家が造営した「北山第」があった。鎌倉時代には、すでに想像以上の規模で人工地形の造成が行われていたと見られている。

 金閣は鏡湖池の南岸から眺めるのがベストビューと考えられている。ところが、実は鏡湖池のさらに南には「南池」と呼ばれる庭園が広がっていたことが、古い絵地図などから分かっている。江戸時代中期には涸れ池だったと見られ、いつ造られ、いつまであったかは定かでないそうで、発掘調査の結果が待たれる。

 また、「北山殿」の主人・足利義満は、ふだんどこから金閣を眺めていたか。著者は、おそらく金閣の東側、現在の方丈付近ではないかと考える。さて、どんな光景が義満の目に映っていたか。ここでわくわくとページをめくると、見開きページをフルに使った写真がどーんと目に飛び込んでくる、本のつくりが巧い。視界前景の右端に金閣、左端には池中島。左側の遠景には衣笠山があり、ここは義満の祖父、初代将軍・足利尊氏が荼毘に付された場所であるという。幕末の錦絵にこの「東側から見た金閣」の構図があるのも面白かった。あんまり面白かったので、実際にこの視点から金閣を見に現地に行ってしまったくらいだ(※記録)。

 ほかにも金閣の裏側(北側)には天鏡閣という別の建物があり、複道(二階建ての廊下)でつながっていたとか、「安民沢」というもう一つの庭園、藤原定家も激賞した四十五尺滝の所在など、金閣だけですごい情報量である。2016年に金閣寺境内から巨大な銅片が発見され、まぼろしの「北山大塔」の相輪と考えられている、という話も知らなかった。また義満には「北山新都心構想」ともいうべき計画があり、一条通から北山殿まで「八丁柳」という中心道路を設け、守護大名や有名寺院をその周辺に集めようとしたらしい。歴史を語る地名が、現在もまだ残っているというのが嬉しい。

 「吉田山」の吉田神社には何度か参拝したことがあるが、現在の本宮は、かつては「春日社」として知られていたという。吉田神社は江戸時代を通じて神道界の権威として強い影響力を持ち、現在の「大元宮」がその本宮だった。しかし、吉田神道の秘儀的な色彩に批判的な神道家が出現し、さらに近代以降、国家神道が基軸となると、吉田神社は受難の時代を迎え、境内の大部分を政府に没収されてしまい、本宮の「入れ替え」が行われたらしい。ううむ、「神道」の盛衰って一括りにできないものなんだなあということを、あらためて感じた。

 その後、20世紀に入ると、谷川茂庵という実業家が吉田山の東山に山荘を造営し、モダンな集合住宅地を開発した。へええ、これも初めて知った。今回、吉田山の大元宮は行ってみたのだが、次の機会があれば、茂庵の山荘の食堂を生かしたというカフェへぜひ行ってみたい。

 また、「源氏物語」の六条院があったと想定される五条大橋西詰を歩く章では、紫の上の住まいである「春の町」の位置が、昭和30年代まで「七条新地」(戦後は「五条楽園」)と呼ばれる遊郭の地だったこと、六条御息所の旧宅であり、秋好中宮が暮らす「秋の町」に女人守護の市比賣神社があることなど、物語と現実が交錯する語りが興味深かった。市比賣神社には行ったことがあるが、源氏物語を偲んで歩いたことはないので、覚えておこうと思う。
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2017年10月@関西:長沢芦雪展(愛知県美術館)

2017-10-14 23:14:29 | 行ったもの(美術館・見仏)
愛知県美術館 開館25周年記念『長沢芦雪展:京(みやこ)のエンターテイナー』(2017年10月6日~11月19日)

 三連休3日目の月曜日は名古屋に移動。「愛知県美術館」って覚えがないなあと思ったら、私は2005年に『自然をめぐる千年の旅』を見に来て以来の再訪のようだ。愛知芸術文化センターという大きなビルの中にあって、1階や2階からアプローチしようとしたら美術館の案内が何もなくて、まごまごしてしまった(地下から入ると分かりやすい)。美術館のある10階に上がると、開館前からすでに行列ができていた。

 少し並んで会場に入る。第1室に人が溜まっていたので、とりあえず先の様子を見てくることに決める。いくつかの部屋を通り越すと、無量寺の方丈を再現した展示室に行き当たる。これは素晴らしい! 無量寺の展示収蔵施設(応挙芦雪館)でも、本来の配置を意識した展示になっていたと記憶するけれど、今回は、写真で仏間とご本尊を再現、畳や柱などのしつらえも現地を意識し、観客の目線の高さが、畳に座った場合の目線と同じになるよう、配慮されているという。

 美術館の巡路に従うと、上間二之間(室中の左側)からアプローチすることになり、『薔薇に鶏・猫図襖』がまず目に入る。三匹の猫がかわいい。蘆雪といえば、まず犬が思い浮かぶが、蘆雪の猫もいいと思う。本展には『童子・雀・猫図』3幅対という作品も出ていて、猫らしい顔の猫だった。

 無量寺の襖絵は何度も見ているので、さあこの裏側が虎図だ!と思ってわくわくする。室中の入口に立つと、奥から手前に向かって、びよ~んと飛び出すような虎と龍。やっぱり両作品は、この方向感覚(向かい合わせ)で見るのが正しいと思う。正面から見ると少し胴長に感じられる虎も、この位置だと俊敏そうに見える、という指摘になるほどと思った。あと、裏側で池の魚を狙っている猫が、実はこの虎だというのも納得できた。この虎は、どこをズームアップしてもかわいいのだが、展覧会の図録に尻尾(くるっと輪を描いたところ)のアップ写真があって、撫ぜて愛玩している。

 龍図は、もしかすると仏間の側から眺めるほうが、キッと振り向いたスピード感が増すかもしれない(と、いま思っている)。その裏側は下間二之間で『唐子遊図』。これはいたずらし放題の子供と子犬の一団が、左端で、なぜか透明になって虚空に消えていくので胸が詰まる。

 このあと、もう一度、冒頭から。冒頭には剃髪して黒い道服を着た『長沢芦雪像』。髭の剃りあとが濃い。初期の作品としては、華やかな彩色画多し。『東山名所図屏風』は知らない作品だった。田辺市・高山寺の『朝顔に蛙図襖』は、襖4枚を横切る朝顔のツルの儚さと強さが見事。蘆雪は一時期、黒っぽく染めた紙に油彩画ふうの粘りをもった絵具で描いた作品を試みているそうだ。『降雪狗児図』(阪急文化財団逸翁美術館)は、表情も愛らしい白犬と背中を向けた白黒ぶち犬が、西洋の素朴絵のようにも見える。松濤美術館の『いぬ・犬・イヌ』展で見て、ひそかにお気に入りになったもの。類似の作品『母子犬図』はすみだ北斎美術館所蔵というから、また東京で見る機会があるといいな。

 また、月を描いた作品をまとめたコーナーがあって、感銘を受けた。夜空の色が美しい『朧月図』、幻想的な『月夜山水図』、波間にゆらめく月影を描いた『月下水辺藪』など。自然現象つながりで『雨中釣燈籠図』は、燈籠から漏れる光さえも雨ににじんでいる。蘆雪は、サービス精神旺盛で、人を楽しませ、驚かせる「奇想」の絵をたくさん描いているが、こういう自然現象に向き合った作品では、静謐な美が感じられる。

 蘆雪の代表作は漏れなく抑えてあって、充実した展覧会だった。でも個人的には『方広寺大仏殿炎上図』がなかったのが残念。あと、もう少し墨画の鳥の絵が欲しかった。蘆雪の描く鳥(スズメ、カラスなど)は、なんとなく意地の悪そうな顔つきをしていて好きなのである。あと『四睡図』も見たかった…とか、希望を言い始めると切りがないのでやめることにする。私は「長澤蘆雪」という表記が好きなのだが、本展のように「長沢芦雪」と書くと、急に現代的なセンスが強調されるようで面白い。
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2017年10月@関西:大徳寺曝涼(むしぼし)+仏教儀礼と茶(茶道資料館)など

2017-10-13 22:13:16 | 行ったもの(美術館・見仏)
大徳寺本坊(京都市北区)

 三連休2日目の日曜日は、朝から大徳寺へ。10月の第二日曜といえば、大徳寺の宝物曝涼(むしぼし)である。昨年は小雨のパラつく生憎の天気だったが、今年は朝から気温も上がり、夏日のような青空。私は三度目の参観になるが、前回よりいくぶん人が少ない気がした。美術ファンは国宝展に流れたのではないか?と想像する。



 例年同様、『曝涼品図録』を販売しており、くたびれた見本とは表紙が異なる「新装版」が積んであったので、「内容も変わったんですか?」と聞いたら「内容は同じです」とのこと。売り子のおばちゃんが「こっち(新版)が国宝で、こっち(旧版)が重要文化財ですね」と、よく分からない冗談をおっしゃっる。以下、展示の様子は、昨年のメモを参考に補記する。

2016秋@大徳寺曝涼(むしぼし)再訪

【第1室】
・鴨居の上に『十王図』。
・高麗仏画『楊柳観音図』。第6室の楊柳観音図ほどは大きくない。
・牧谿筆『龍虎図』二幅。虎図には「虎嘯而風烈」、龍図には「龍興而至雲」という墨書がある。龍虎って、ある意味、風神と雷神なのだなと気づく。
・正面中央は李朝の『釈迦八相図』。素朴絵ふうでほほえましい。
・向かって右列は武将などの肖像画。

【第2室】
・左右の壁に『十六羅漢図』8幅ずつ。「明兆筆」の中に1点だけ「等伯筆」。
・正面中央、牧谿筆の『虎』『鶴』『白衣観音』『猿』『虎』が並ぶ。背を丸くかがめた虎が怖い。

【第3室】
・書状、墨蹟が中心。「茘枝(れいし)」あり。
・絵画は大燈国師の頂相1件のみ。
・花園天皇と大燈国師の筆談問答書が、漢文というより現代中国語っぽい。「向和尚道了」とか。

【第4室】
・鴨居の上に南宋時代の『五百羅漢図』百幅のうちの6幅。前回、「展示作品は毎年同じ」と聞いたので、次回こそ確かめるために図様をメモしておく。左から、(1)野外に椅子を出してくつろぐ。お茶の用意あり。(2)集まって手前の何かを見つめているる。(3)壇上に白い衣を掛けた空席の座。脇に貴人か天部が控えている。(4)腕を長ーく伸ばして超能力を見せる羅漢。(5)左上の洞窟に中に三人(後世の補作)。(6)鹿らしき四つ足の動物。
・頂相多し。臨済義玄とか虚堂智愚とか。
・狩野正信筆『釈迦三尊図』。作者不詳の『寒山拾得図』も好き。

【第5室】
・書状、宸筆。綸旨多し。頂相もあり。困り顔の大燈国師がかわいいのだが、ネットで検索したら白隠の描いたギョロ目の『乞食大燈像』が出てきた。とても同じ人物とは思えない。
・墨蹟「霊光」は、開山大燈国師の塔所「雲門庵」正面の額。はじめ後醍醐天皇の宸筆を賜ったが、応仁の乱で焼け、後土御門天皇から再び賜った。なお、禅寺の方丈は、左右3列の計6室であるところ、大徳寺は2室を加えて8室とし、大燈国師の塔所「雲門庵」と花園法皇の御髪塔を置くという。確かに正面に4室並んでいた。
・襖(障壁)に猿回しが描かれている。

【第6室】
・小さい部屋に作品多数。
・長沢蘆雪筆『龍虎図』二幅と、その間に『大燈国師像』。
・明時代の『猫狗図』二幅。
・そして再び高麗絵画、呉道子の『楊柳観音像』。左上の美麗な鳥を見逃さないよう。粘り気のある波頭の表現は、琳派や若冲にも似ている。

【起龍軒】
・伝・牧谿筆『芙蓉図』と利休の目利き添状。

 続いて、いつものように高桐院にまわったら、玄関にこの貼り紙。上品な御婦人が「あら!今年、招待状をいただいたのに」と困っていた。北村美術館の友の会(?)か何かの招待状をお持ちのようだった。



鹿苑寺(金閣寺)(京都市北区)

 このあと夕方まで、観光の予定は何も考えていなかったのだが、思い立って金閣寺へ。行きの新幹線の中で読んできた、梅林秀行さんの『京都の凸凹を歩く2』に影響されている。↓この角度からの金閣寺が見たかった。



 そして鏡湖池の南側に広がる「南池」の跡は、現在発掘中。



茶道資料館 平成29年秋季特別展『仏教儀礼と茶-仙薬からはじまった-』(2017年10月3日~12月3日)

 飲料として普及する以前の、仏教文化と深く結びついた茶のあり方を、儀礼にまつわる美術を通して紹介する。東京の美術館でチラシを見て、気になっていたので来てみた。奈良博所蔵の『釈迦三尊像』3幅(鎌倉時代)は美麗。文殊も普賢も、装飾の多いゆったりした衣をまとい、ゴージャス系。大徳寺の『五百羅漢図』百幅からここにも2幅。(1)は、浴室に向かう図で、風呂上りの一杯のためか、天目台と茶碗が用意されている。淋間茶湯(淋汗茶湯)というやつか。(2)は、羅漢を勧請する儀礼で、やはり茶が運ばれている。このほか、茶碗や天目台、仏教の儀礼具なども。

 2階の展示室に参考出品として、中国・法門寺出土茶具の複製品があったのも面白かった。銀器に繊細な鍍金、ガラスの茶碗にガラスの茶托のセットもあって、ロココ調と言っても過言でなかった。

 バス停の近くに、応仁の乱の激戦場となった「百々橋」の礎石が残っていたので、ちょっと寄り道。



吉田神社(京都市左京区)

 もう1箇所、これも『京都の凸凹を歩く2』に紹介されていた吉田神社へ。以前にも行ったことはあるのだが、多くの参拝者が吉田神社(本宮)だと思っているのは、本来、摂社のひとつで、かつては山上の大元宮が本体だったという話が面白くて、見に行った。


 
 写真の大元宮は、『芸術新潮』の「神社100選」を読んだときも気になった建物で、ようやく確認できた。
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2017年10月@関西:国宝(京都国立博物館). 第1期

2017-10-12 00:13:31 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 開館120周年記念 特別展覧会『国宝』(2017年10月3日~11月26日)(第1期:10月3日~10月15日)

 国宝展第1期に行ってきた。当初は日曜の朝から並ぶつもりだったが、SNSを見ていると、開館前から数百人の行列ができているらしい。今回は「入館と同時に駆け寄りたい!」というお宝があるわけでもないので、朝から並ぶのは止めにした。土曜日に京都入りして、観光の合間にtwitterを見ていると、午後の遅い時間になって「待ち時間はありません」という情報が流れてきた。よし! 予定外の決断をして、京博に向かった。到着したのは午後3時過ぎで、待ち時間なしで入れた。

 エレベーターで3階に上がるよう誘導されるが、列が短いので、ロッカーに荷物を預けたり、ふらふらコースを外れてもOK(たぶん混雑時はそんな自由はない)。ちょっと1階の展示室を覗いてみたが、やっぱりエレベーターに乗ることにする。3階に上がったが、最初の「書跡」がものすごく混んでいたので、2階から見てまわることにする。以下、各室で印象的だった作品を紹介しよう。

【2階】

・仏画:久しぶりの『釈迦金棺出現図』が目に入り、おお!さすが国宝展と気分が盛り上がる。赤い衣が美しい神護寺の『釈迦如来像』(赤釈迦)。東博の『普賢菩薩像』は、切れ長の目の「見返り」白象に座す。戦後の国宝指定第1号だという記事をどこかで読んだ。東博ではあまり見る機会のない作品だと思う。肉感的な腕がうごめくような『千手観音像』も東博所蔵。美麗な平安仏画を堪能できて大満足! と思ったら、単立の展示ケースに薬師寺の『吉祥天像』がおいでだった。平安仏画に比べると、むしろ実在の人間らしいなあと感じる。

・六道と地獄:夏に『源信』展で見たばかりの聖衆来迎寺の『六道絵』から4幅と奈良博の『地獄草紙』。京博の『病草紙』の「二形(ふたなり)」と「眼病治療」「歯槽膿漏」は『源信』展に出なかったもの。

・中世絵画:雪舟の国宝6件が1室に!ということで第1期の呼びものになっている部屋。個人的には、『秋冬山水図』2幅『破墨山水図』『天橋立図』『慧可断臂図』『山水図』(絶筆)は見る機会が多いので、毛利博物館の『四季山水図巻(山水長巻)』が嬉しかった(ただし前半のみ)。

・近世絵画:宗達の『風神雷神図屏風』。実は久しぶりなのだが、東京で光琳や抱一の風神雷神図を見ているので、そんな感じがしない。志野茶碗『卯花墻』あり。

・中国絵画:東博の所蔵品が中心で新鮮味なし。赤い官服の男装女性を描いた『宮女図』が意外だった。これ何度か見てるけど国宝だったのか。『飛青磁花入』あり。

【1階】

・陶磁:看板に偽り(?)ありで、焼きものは『青磁鳳凰耳花入(銘:万声)』と相国寺の『玳玻天目』の2件しかない。あとは壁一面に墨蹟。常盤山文庫の(根津美術館でよく見る)『遺偈』(毘嵐巻空)が来ていた。

・絵巻物:『粉河寺縁起絵巻』と『信喜山縁起絵巻』の「山崎長者の巻」。大好き!

・染織:中宮寺の『天寿国繍帳』は垂直に飾られていたけど、寝かさなくて大丈夫なのかな? 法隆寺の『四騎獅子狩文様錦』は、馬上で振り向きざまに弓を構える射手のエキゾチックな文様を織り出す。あと袈裟が何種類かあって、京博の趣味だなあと思った。

・金工:平安時代後期にさかのぼる甲冑『赤韋威鎧』はたぶん初めて見た。なるほどこれも「金工」か。

・漆工:奈良時代の漆芸を伝える東大寺所蔵の『花鳥彩絵油色箱』はかなり大型。蓋が反ってしまっている。徳川美術館の「初音の調度」には大勢の人だかりができていた。琉球王国尚氏関係資料はこの部屋にまとめてあって、漆工のほか、装束や冠もあった。

・彫刻:いつもの彫刻のほか、平等院の雲中供養菩薩像、東寺の兜跋毘沙門天像など、京都近郊で集めた感じで物足りない。醍醐寺の虚空蔵菩薩立像がシャープな造形でよかった。

【3階】

・書跡:高知県立高知城歴史博物館所蔵『古今和歌集 巻二十(高野切本)』に感激した。いわゆる高野切の当初の姿をほぼ留める完本である。しかも筆跡は第一種! 巻二十って、内容的に面白くない(華がない)から需要がなくて切られなかったのかなあ、などと考えた。10/3-10/9までの1週間しか出品されないので、ほんとに貴重な出会いだった。この部屋は、解説の文体が面白くて、高野切第一種を「一皮むけた大人の味わい」と評していたり、曼殊院本『古今和歌集』の「メリハリのきいた筆線」は確かにそのとおりだった。藤原俊成自筆の『古来風躰抄』について「切れ味鋭いナイフのような力強い筆跡」には、ちょっと笑った。

・考古:ファンが多くて意外に混んでいた。やはり『深鉢型土器(火焔型土器)』が奇跡のように素晴らしい。土偶の名品は、それぞれ個性的で楽しかった。

 どの展示室も混雑していたが、作品に執着する人が少なく、どんどん動くので、あまりストレスなく鑑賞できた。まわりの会話を聞きながら、やっぱり「国宝」を掲げると、ふだん美術館に来ない人も呼び込むんだなと感じた。全体に京博の強みを感じる展示で、書画(特に絵画)の満足度は高い。彫刻(仏像)はうーん国宝展?というレベルだが仕方ない。さて、この日はお昼ごはん抜きで動いていたので、館内のカフェで一休み。「トラりんデザート」をいただく。



 混雑時はカフェに入ると展示室に戻れず、再び入館待ちの列に並ばされるそうだが、この日はすでにお客の入りも落ち着いていたので、館内に戻って、好きな作品の前を重点的にうろつくことができた。第2期と第3期にも再訪の予定だが、もうこんな平和な鑑賞は許されないかもしれない。覚悟してこなくては。
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2017年10月@関西:大津の都と白鳳寺院(大津歴博)+地獄絵ワンダーランド(龍谷)

2017-10-10 22:50:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
大津歴史博物館 大津京遷都1350年記念 企画展『大津の都と白鳳寺院』(2017年10月7日~11月19日)

 三連休関西旅行は大津から。本展は、667年に天智天皇が飛鳥から大津に遷都し、近江大津宮、いわゆる「大津京」が置かれて1350年になることを記念する企画展。平安遷都や平城遷都に比べると盛り上がりに欠けるけれど、私はこの時期の文化が大好きなので、とても嬉しい。そして、近江大津宮だけにフォーカスするのではなく、時間的にも空間的にも少し幅広く、飛鳥宮や難波宮、藤原鎌足に関連する多武峰や高槻の阿武山古墳、さらに大友皇子と壬申の乱の関連など、さまざまな遺跡を出土品や写真パネルで紹介している。

 前半で目立つのは瓦だ。南滋賀廃寺から出土する「蓮華文方形軒瓦」は、横から見た蓮の花を表現したもので、サソリの姿に見えることから「サソリ瓦」とも呼ばれる(※参考:学芸員のノートから)。方形の瓦というのも珍しい。気になって調べていたら、「さそり文瓦煎餅」という煎餅を見つけてしまった。これ、今でも手に入るなら欲しい…。

 後半は白鳳の金銅仏が30体以上並んでいて圧巻だった。東博や東京芸大からおいでの仏もあれば、初めて見るものも。野洲・報恩寺のばっちり二重まぶたの観音菩薩立像は初めて。トボけた顔をした四臂菩薩立像(統一新羅時代)は東博・小倉コレクションというけど見覚えがなかった。塼仏や塑像の破片も、こんなに大量にまとめて見ることはめったにないので興味深かった。

龍谷ミュージアム 秋季特別展『地獄絵ワンダーランド』(2017年9月23日~11月12日)

 この夏、三井記念美術館の東京展を見たのだが、京都展も見たくて来てしまった。滋賀・新知恩院の『六道絵』(南宋~元)6幅は、人物に動きが少なく、冷ややかで幻想的。いま図録をチェックしたら東京展にも出ているのだが、展示替えの関係で見ていないのかもしれない。畜生道に描かれた灰色の象が妙にリアル。京都・誓願寺の『地蔵十王図』(南宋)は、何度見ても、地獄の「文書行政」に微笑んでしまう。兵庫・薬仙寺の『施餓鬼図』は、ほぼ四角形の画面の中央に山盛りのご飯などが飾られ、その前で頭頂部の禿げた焔口餓鬼が、僧侶から施物を受け取っている。桃色と緑が基調の、変わった色彩感覚。朝鮮時代・万暦17年(1589)銘を有する最古の施餓鬼図だそうだ。

 三重・両聖寺の『閻魔王図』(江戸時代)は図録で見て、ぜひ本物を見たいと思っていたもの。暗闇に浮き上がる真っ赤な閻魔の顔。人物のバランスも鮮やかな色彩も、妙に現代的である。縦2メートルを超える巨大な絵でびっくりした。神奈川・東明寺の『閻魔府之図』も見られてよかった。目を剥き、口を開けた閻魔は、なぜか笑顔で「Oh!Yeah!」と言っていそう。画面の下のほうで、水子になつかれている美形の地蔵菩薩とか、血の池に浮かぶ女性たちをアンニュイに見つめる如意輪観音とか、全くやる気のない修羅道のサムライたちとか、どこを見てもツッコミどころだらけである。

 日本民藝館の『十王図』(特にゆるい方)を見ることができたのもラッキーだった。私は第4扇の、鬼に煮えた銅?を口から注ぎ込まれている亡者の図が好き。第5扇の地獄の化鳥も笑うしかない。第7扇の野犬?に喰われる女もおかしい。「おたわむれみたい」と隣りで見ていた若い女性たちも盛り上がっていた。亡者たちを見つめる十王の表情も個性的である。

 東京展に比べると、ポップで遊び心の多い展示に感じた。甚目寺の木造の十王像(3躯)の後ろには、光度が変化するオレンジ色の照明が設置されていて、地獄の炎のゆらめきを演出していた。耳鳥斎の描く鬼や亡者をキャラクター化して、「よろしくな!」「もう逃げられないぜ!」などのセリフをつけて展示室やエレベーターの内扉に登場させたり。それから、ミュージアムシアターで上映されている「ようこそ、地獄ツアー」が予想以上によかった。女性講談師の五代目旭堂小南陵さんの語りが小気味よい。

 2つの展覧会を見終わったのが午後3時過ぎ。このあとの京都国立博物館の『国宝展』は別稿とする。夜は、やはり東京から出てきた友人と落ち合って、京都駅八条口の居酒屋「みなみ」で飲み&夕食。よいお店だったので、機会があれば、また使いたい。
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2017年10月@関西:京都・八瀬の赦免地踊り

2017-10-09 22:03:04 | 行ったもの(美術館・見仏)
 三連休は京都・名古屋で秋の展覧会めぐりをしてきた。直前にネットで京都の観光情報を調べていたら、八瀬の赦免地(しゃめんち)踊りというお祭りを見つけた。実は以前、京都文化博物館が「八瀬童子関係資料」をテーマとした展示をやったとき、この祭礼の写真を見て、いつか行ってみたいと思っていたのだ。10月第二日曜に京都にいることなど、そんなにはないので、これはチャンスである。

 しかし、逡巡する気持ちも強かった。公共交通機関で行って、ちゃんと市中に帰ってこられるのか? わりと遅くまでバスがあることは分かったが、バス停から祭礼会場までたどり着けるのか? 夜道を歩けるくらいの灯りはあるのか?など。こうなると都会っ子はだらしないのである。この週末は、東京の友人がやはり京都に来ていたので、土曜は一緒に夕食をとった。「明日は八瀬の赦免地踊りを見に行こうと思っている」と話したら、へえ~と感心するように返されたけど、正直、人に言ってしまえば決心がつくかなと思っていた。

 さて、当日。地下鉄で終点の国際会館まで行き、19:05の八瀬・大原方面行きバスに乗り換える。駅前のロータリーがすでにかなり暗い。同じバスに乗る人はそれなりにいた。「八瀬」というと、私はかなり山深いイメージを持っていたのだが、実は地下鉄の終点から15分程度である。道の両側は暗いが(つくばの夜道くらい)ずっと住宅が続いていて、かなり大きなマンションもある様子だった。通りすがりの八瀬駅前にはセブンイレブンもあった。

 事前に調べていた「ふるさと前」というバス停で下りる。暗闇の中、まばらに歩く人の姿があり、交通整理をしていておじさんがいたので、そちらへ行ってみると、すぐに大きな鳥居が見えた。祭礼の舞台となる八瀬天満宮社と思われた。鳥居の下に灯りがあって、机を出して座っている人たちがいた。お土産の手ぬぐいなどを売っているらしかった。それにしても、周囲の闇に比べると、本当に小さな灯りである。「こんばんは」「こんばんは」と声をかけて、鳥居をくぐっていく子供たちがいたので、そのあとに続いてみる。鳥居をくぐると、広いなだらかな道(あとで馬場と判明)があり、続いて長い登りの石段がある。山の中腹の、石段を上がったところに舞台がしつらえてあり、客席にまばらに人が座っている。

 どうしよう? いったん席に座ってみたものの、何か始まる気配もない。集落(どこにあるんだ?)に行ってみたほうがいいかなと思い、再び石段を下り、鳥居を抜けて、バス停とは反対(左)の方角に灯りが見えるのをたよりに歩いて行った。しばらく行くと「秋元神社」の大きな提灯を吊るした家があり、着物を着た二人の少年を多くの人が囲んでいた。さらに先に灯りが見えたので進んでいくと、ちょうど辻になっているところに、集落の会所のような建物(区役所出張所)があり、白いテントを出して、おみやげや軽食などを売っていた。「行列はここから出ます」という看板があり、見物客は、だいたいここに集まっているらしかった。

 19時半を過ぎた頃、会所のような建物の二階から、花笠をかぶった女の子の一団が下りてきた。「踊り子」と呼ばれる、10~11歳の女子児童10名である。闇の中ではこんな感じ。



 フラッシュが焚かれると、一瞬だけ姿が浮き上がる。



 続いて、二基の灯籠が、辻の一方からふわふわと近づいてくる。赤い切り絵に飾られた切子灯籠は蝋燭の灯りなので、近づくと甘い蝋の匂いがする。



 これを頭に載せる役を「灯籠着」といい、13~14歳の女装した男子8名がおこなう。



 別の方向から二基、また二基、と計八基の灯籠が辻に勢ぞろいする。灯籠着は前がほとんど見えないので、「警護」と呼ばれる黒い羽織袴の大人の男性が、一基に一名ずつ背後に立って、介添役をつとめる。



 そして、十人頭、音頭取り衆などとともに秋元神社に向かって出発する。太鼓に合わせ、ゆっくりした唄(伊勢音頭など)をうたいながら、一同は進む。かなり高齢のおじいちゃんが、手を引かれながら、ひときわいい声で歌っていた。見物客もぞろぞろとそのまわりを着いていくのだが、私は少し歩を速めて、行列を追い越し、神社の石段の上で行列を待つことにした。行列が石段の下に到着すると、あたりの照明が可能な限り消され、闇の中を唄声とともに提灯と灯籠が上がってくる。真の闇とまではいかないけれど、灯りの美しさ、慕わしさが印象的である。



 灯籠着たちは、石段を上がり切ると、舞台の前の客席のまわりを何周かして、お役御免となる。切子灯籠は、胸の高さくらいの低い石垣の上に並べられ、舞台と客席を照らし続ける(触らないよう、注意のアナウンスがあった)。



 舞台では、三番叟などさまざまな芸能が行われる。



 「赦免地踊り」のホームページの解説によると、最後は「警護」が灯籠をかぶり、ゆっくりと屋形の周りをまわった後、宿元へ走りながら帰っていくのだそうだ。ううむ、そこまで見るには八瀬に泊まらないといけないな。今回は、全体で1時間ほど見物し、20:56のバスに乗って国際会館経由で市中のホテルに戻った。

 闇の中だったけど、八瀬いいところだったなあ。山のかたちがやさしくて、星もきれいだった。次回は明るい昼間に来てみたい。だいたい秋元神社というのは、八瀬天満宮社の摂社なのだが、どこが秋元神社なのか全く分からなかったので、もう一度来てみようと思う。
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美の冒険/江戸の琳派芸術(出光美術館)

2017-10-06 22:46:58 | 行ったもの(美術館・見仏)
出光美術館 『江戸の琳派芸術』(2017年9月16日~11月5日)

 江戸琳派、すなわち江戸時代後期に活躍した絵師・酒井抱一(1761-1828)と、抱一門きっての俊才・鈴木其一(1796-1858)の絵画に注目した展覧会。だいぶ前に行ったので、思い出しながら書く。出光美術館の展示室は、いつも薄暗くて落ち着いた空間なのだが、さすが江戸琳派の作品が揃うと、足を踏み入れた瞬間から、まばゆいほどの華やかさに包まれる感じがする。

 いきなり冒頭に酒井抱一の『夏秋草図屏風草稿』と『風神雷神図屏風』。前者は、光琳の『風神雷神図屏風』の裏面に描かれた『夏秋草図』の原寸大(たぶん)の草稿を屏風仕立てにしたもの。銀地の完成品よりも、精密でしかも躍動的な描線がはっきり分かる。この夏秋草図を裏返して風神雷神図にあてはめる(透かしてみる)と、両者の構図がぴたりと収まると言われている。展示室の角を挟んで隣りの『風神雷神図屏風』を眺めながら、頭の中で試行してみるが。夏秋草図を裏返す一手間がなかなか難しかった。『風神雷神図屏風』は、私は宗達がいちばん好きで、次は光琳より抱一だな。

 伝・光琳筆『紅白梅図屏風』は、久しぶりに左右揃いでの出品ではないか。紅梅のほうが単独でも主役になれる華やかさを持っているが、金地の広い余白の中に長い枝を伸ばした白梅図も私は好き。そして、背景の池とか石の描き方が抽象画になりかかっていて面白い。その隣りに抱一の銀地の『紅白梅図屏風』。どちらも水平に大きく張り出した枝ぶりで、視点を変えると、屏風の折り目に一部が隠れて印象が変わるのが面白い。向かいに抱一の『八ツ橋図屏風』という、むちゃくちゃ豪華な空間。

 第2室は抱一と其一の、小粒だが贅沢で芳醇な作品の数々。抱一の『藤花図』いいなあ。其一の『三十六歌仙図』大好きだし、『蔬菜群虫図』はちょっと若冲みたい。抱一が浮世絵を描いているのも珍しかった。

 琳派を結ぶ花「立葵(タチアオイ)」に注目したコーナーも面白かった。伝・光琳筆『芙蓉図屏風』は、黒(紺)、黄、緑という非現実的な配色がシックで素敵。この配色、乾山の焼きものにあった気がする。いや、そもそも三彩の配色か。乾山筆『立葵図』の単純化された紅白の花もかわいい。光琳忌(旧暦6月2日)の頃に見ごろを迎える花のひとつでもある。

 抱一の『十二ヵ月花鳥図貼付屏風』は、むかしは平凡に思えたが、一周まわって、やっぱり好きと思うようになった。この色、このかたち。そばにおいて、毎日愛でたいのはこういう絵画だ。その一方、抱一は『青楓朱楓図屏風』のような冒険的・革新的な作品も描いている。これこそ「奇想」だと思う。あまり見た記憶のない作品で、調べたら、2012年に根津美術館の『KORIN展』で見ているのだが、「光琳作品を抱一が模写したもの」という解説に引きずられて、光琳すごい!と感嘆している。いやいや、そこは抱一すごい!だろう、とあらためて思う。

 同じ金地の花木図屏風で師匠に挑戦したのが其一の『四季花木図屏風』。これはまた、つくづく前衛の方向に行っちゃっていると思う。また正面ではなく別方向からパンチを繰り出すような挑戦のしかたが『桜・楓図屏風』。其一の小品集『月次風俗画』(もとは屏風に貼り付けられていた)も面白い。私は「葛と蹴鞠」「鬼灯(ホオズキ)と麦藁蛇」の図が、いかにも江戸情緒を感じさせて好き。

 図録は写真の発色がとてもいい。特に金屏風が美しくて、眺めているだけで幸せにひたれる。
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