〇高野秀行、清水克行『世界の辺境とハードボイルド室町時代』 集英社インターナショナル 2015.8
書店で平積みになっていたのを購入し、読んでみたら、むちゃくちゃ面白い。こんなに面白い本が、なぜ話題にならないんだろうと思って、奥付を見たら、2年前に刊行されたものだった。2年間も知らずにいた私が、単にうつけ者だったということか。著者のおひとり、清水克行さんの名前には見覚えがあった。『日本神判史』(中公新書、2010)と『大飢饉、室町時代を襲う!』(吉川弘文館、2008)の2冊を読んでいる。どちらも歴史研究の枠を大きくはみだして、衝撃的に面白かった記憶がある。
もうひとりの高野秀行さんの名前は思い出せなかったが、ページをめくってすぐに「アフリカのソマリ人」の取材をしている旨の自己紹介があって、あ、『謎の独立国家ソマリランド』(本の雑誌社、2013)を書いた人か、と気づいた。書店で平積みになているのを見るたび、気になってはいたのだが、胡散臭さが抜けなくて、結局、手に取らなかった(すみません)。高野さんの自己紹介によれば、ふつうの人が行かないアジアやアフリカなどの辺境地帯を好んで訪れ、その体験を本に書くという仕事をしているそうだ。ただしご自身の名乗りは「ノンフィクション作家」で、「探検家」と称してはいないことを注記しておく。
その高野さんが困るのは、辺境世界の話をしたくても「話し相手がいないこと」。そんなとき清水さんの著作を読んで、室町時代の日本人と現代のソマリ人が似ていることに気づく。縁あって本人に会うことができ、目をハートマークにしながら、5時間もしゃべり倒した。そして、勘のいい編集者の仲介の労もあって、とうとう本書ができあがってしまった。
どこからボールが飛んでくるか分からない「魔球対決」なのに、ちゃんとラリーが続いていく。損害には復讐で応えることが正当と考える社会、強烈な自尊心、預かったものは他人に渡してはいけないとか、盗んだものを返しても元のものではないとか、彼ら(ソマリ人+中世日本人)の見ている社会の構造がとても面白い。ソマリ人が「ゲスト」を徹底して守ること、それはイスラム文化に共通していて、イスラム過激派が外国人を狙うのは、政府側の「ゲスト」を害することで、政府に最大の屈辱を与えようとしているためだという解説が腑に落ちた。日本には「賠償」の発想がなかったという清水さんの指摘も興味深い。戦後処理問題にもどこかで影響しているのではなかろうか。
生活の細部にかかわる話では、清水さんが中世から近世にかけて新米より古米のほうが高かったと書いていることに対して、高野さんがタイやミャンマーのコメ事情を紹介していく。どぶろくや飲酒の話も。タイでは酒の話をするのは品がないと思われているが、大乗仏教のブータンでは、お茶や水のように客人に酒を出すそうだ。中世の日本人はふつうに犬を食べていたが、だんだん食べなくなって「かぶき者」だけが食べるようになる。ベトナムには犬肉居酒屋があるが、やはり少しガラの悪い男たちの行く場所である。「ひげ」の話、男色の話、大麻の話も面白かった。武田の騎馬隊は、移動には用いられたかもしれないが、戦場に持ち込むことはあり得ないという話には納得。
また、それぞれの恩師や先輩の話が非常に心に残る。高野さんの伯父さんは山梨の郷土史家で、網野善彦氏とずっと一緒に仕事にしていたそうだ。なんと武田信玄にもゆかりの放光寺の住職で、恵林寺の博物館の理事でもあるというのでびっくり! 「網野善彦さんという研究者はどんな方だったんですか?」という高野さんの質問に対する、清水さんの評がとてもよい。膨大な古文書を読み込んでいるから、研究者としての基礎体力が違う。「やっぱり雌伏の期間が長い方が研究者として擦り減らないんだなあ」という言葉にしみじみ胸を打たれた。大学一年生の清水さんの質問につきあって、校庭を三周した藤木久志先生も素敵だ。もうひとり、勝俣鎮夫さんも何度か登場する。
清水さんが、マンガ家の夏目房之介さんと知り合いであることは、『日本神判史』を読んだときに偶然、知ったのだが、ライター(もの書き)の心構えを習った先輩であったことが、本書に書かれている。あと「聞いた話」だという、宮本常一の社会調査での態度も面白い。
最終的に二人が一致するのは「今の日本社会は人類社会のスタンダードではない」「現代日本の方がむしろ特殊であって、アジア・アフリカの辺境や室町時代の日本の方が、世界史的に普遍性をもった社会だったんじゃないか」ということ。この見方が正しいかどうか、歴史好きは辺境旅行をしよう。辺境好きは違う時代の歴史を読もう。本書は、応仁の乱&室町時代ブームの今こそ、もっと広まってほしい1冊である。
書店で平積みになっていたのを購入し、読んでみたら、むちゃくちゃ面白い。こんなに面白い本が、なぜ話題にならないんだろうと思って、奥付を見たら、2年前に刊行されたものだった。2年間も知らずにいた私が、単にうつけ者だったということか。著者のおひとり、清水克行さんの名前には見覚えがあった。『日本神判史』(中公新書、2010)と『大飢饉、室町時代を襲う!』(吉川弘文館、2008)の2冊を読んでいる。どちらも歴史研究の枠を大きくはみだして、衝撃的に面白かった記憶がある。
もうひとりの高野秀行さんの名前は思い出せなかったが、ページをめくってすぐに「アフリカのソマリ人」の取材をしている旨の自己紹介があって、あ、『謎の独立国家ソマリランド』(本の雑誌社、2013)を書いた人か、と気づいた。書店で平積みになているのを見るたび、気になってはいたのだが、胡散臭さが抜けなくて、結局、手に取らなかった(すみません)。高野さんの自己紹介によれば、ふつうの人が行かないアジアやアフリカなどの辺境地帯を好んで訪れ、その体験を本に書くという仕事をしているそうだ。ただしご自身の名乗りは「ノンフィクション作家」で、「探検家」と称してはいないことを注記しておく。
その高野さんが困るのは、辺境世界の話をしたくても「話し相手がいないこと」。そんなとき清水さんの著作を読んで、室町時代の日本人と現代のソマリ人が似ていることに気づく。縁あって本人に会うことができ、目をハートマークにしながら、5時間もしゃべり倒した。そして、勘のいい編集者の仲介の労もあって、とうとう本書ができあがってしまった。
どこからボールが飛んでくるか分からない「魔球対決」なのに、ちゃんとラリーが続いていく。損害には復讐で応えることが正当と考える社会、強烈な自尊心、預かったものは他人に渡してはいけないとか、盗んだものを返しても元のものではないとか、彼ら(ソマリ人+中世日本人)の見ている社会の構造がとても面白い。ソマリ人が「ゲスト」を徹底して守ること、それはイスラム文化に共通していて、イスラム過激派が外国人を狙うのは、政府側の「ゲスト」を害することで、政府に最大の屈辱を与えようとしているためだという解説が腑に落ちた。日本には「賠償」の発想がなかったという清水さんの指摘も興味深い。戦後処理問題にもどこかで影響しているのではなかろうか。
生活の細部にかかわる話では、清水さんが中世から近世にかけて新米より古米のほうが高かったと書いていることに対して、高野さんがタイやミャンマーのコメ事情を紹介していく。どぶろくや飲酒の話も。タイでは酒の話をするのは品がないと思われているが、大乗仏教のブータンでは、お茶や水のように客人に酒を出すそうだ。中世の日本人はふつうに犬を食べていたが、だんだん食べなくなって「かぶき者」だけが食べるようになる。ベトナムには犬肉居酒屋があるが、やはり少しガラの悪い男たちの行く場所である。「ひげ」の話、男色の話、大麻の話も面白かった。武田の騎馬隊は、移動には用いられたかもしれないが、戦場に持ち込むことはあり得ないという話には納得。
また、それぞれの恩師や先輩の話が非常に心に残る。高野さんの伯父さんは山梨の郷土史家で、網野善彦氏とずっと一緒に仕事にしていたそうだ。なんと武田信玄にもゆかりの放光寺の住職で、恵林寺の博物館の理事でもあるというのでびっくり! 「網野善彦さんという研究者はどんな方だったんですか?」という高野さんの質問に対する、清水さんの評がとてもよい。膨大な古文書を読み込んでいるから、研究者としての基礎体力が違う。「やっぱり雌伏の期間が長い方が研究者として擦り減らないんだなあ」という言葉にしみじみ胸を打たれた。大学一年生の清水さんの質問につきあって、校庭を三周した藤木久志先生も素敵だ。もうひとり、勝俣鎮夫さんも何度か登場する。
清水さんが、マンガ家の夏目房之介さんと知り合いであることは、『日本神判史』を読んだときに偶然、知ったのだが、ライター(もの書き)の心構えを習った先輩であったことが、本書に書かれている。あと「聞いた話」だという、宮本常一の社会調査での態度も面白い。
最終的に二人が一致するのは「今の日本社会は人類社会のスタンダードではない」「現代日本の方がむしろ特殊であって、アジア・アフリカの辺境や室町時代の日本の方が、世界史的に普遍性をもった社会だったんじゃないか」ということ。この見方が正しいかどうか、歴史好きは辺境旅行をしよう。辺境好きは違う時代の歴史を読もう。本書は、応仁の乱&室町時代ブームの今こそ、もっと広まってほしい1冊である。