見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

探検家vs.中世日本史家/世界の辺境とハードボイルド室町時代(高野秀行、清水克行)

2017-10-05 23:58:09 | 読んだもの(書籍)
〇高野秀行、清水克行『世界の辺境とハードボイルド室町時代』 集英社インターナショナル 2015.8

 書店で平積みになっていたのを購入し、読んでみたら、むちゃくちゃ面白い。こんなに面白い本が、なぜ話題にならないんだろうと思って、奥付を見たら、2年前に刊行されたものだった。2年間も知らずにいた私が、単にうつけ者だったということか。著者のおひとり、清水克行さんの名前には見覚えがあった。『日本神判史』(中公新書、2010)と『大飢饉、室町時代を襲う!』(吉川弘文館、2008)の2冊を読んでいる。どちらも歴史研究の枠を大きくはみだして、衝撃的に面白かった記憶がある。

 もうひとりの高野秀行さんの名前は思い出せなかったが、ページをめくってすぐに「アフリカのソマリ人」の取材をしている旨の自己紹介があって、あ、『謎の独立国家ソマリランド』(本の雑誌社、2013)を書いた人か、と気づいた。書店で平積みになているのを見るたび、気になってはいたのだが、胡散臭さが抜けなくて、結局、手に取らなかった(すみません)。高野さんの自己紹介によれば、ふつうの人が行かないアジアやアフリカなどの辺境地帯を好んで訪れ、その体験を本に書くという仕事をしているそうだ。ただしご自身の名乗りは「ノンフィクション作家」で、「探検家」と称してはいないことを注記しておく。

 その高野さんが困るのは、辺境世界の話をしたくても「話し相手がいないこと」。そんなとき清水さんの著作を読んで、室町時代の日本人と現代のソマリ人が似ていることに気づく。縁あって本人に会うことができ、目をハートマークにしながら、5時間もしゃべり倒した。そして、勘のいい編集者の仲介の労もあって、とうとう本書ができあがってしまった。

 どこからボールが飛んでくるか分からない「魔球対決」なのに、ちゃんとラリーが続いていく。損害には復讐で応えることが正当と考える社会、強烈な自尊心、預かったものは他人に渡してはいけないとか、盗んだものを返しても元のものではないとか、彼ら(ソマリ人+中世日本人)の見ている社会の構造がとても面白い。ソマリ人が「ゲスト」を徹底して守ること、それはイスラム文化に共通していて、イスラム過激派が外国人を狙うのは、政府側の「ゲスト」を害することで、政府に最大の屈辱を与えようとしているためだという解説が腑に落ちた。日本には「賠償」の発想がなかったという清水さんの指摘も興味深い。戦後処理問題にもどこかで影響しているのではなかろうか。

 生活の細部にかかわる話では、清水さんが中世から近世にかけて新米より古米のほうが高かったと書いていることに対して、高野さんがタイやミャンマーのコメ事情を紹介していく。どぶろくや飲酒の話も。タイでは酒の話をするのは品がないと思われているが、大乗仏教のブータンでは、お茶や水のように客人に酒を出すそうだ。中世の日本人はふつうに犬を食べていたが、だんだん食べなくなって「かぶき者」だけが食べるようになる。ベトナムには犬肉居酒屋があるが、やはり少しガラの悪い男たちの行く場所である。「ひげ」の話、男色の話、大麻の話も面白かった。武田の騎馬隊は、移動には用いられたかもしれないが、戦場に持ち込むことはあり得ないという話には納得。

 また、それぞれの恩師や先輩の話が非常に心に残る。高野さんの伯父さんは山梨の郷土史家で、網野善彦氏とずっと一緒に仕事にしていたそうだ。なんと武田信玄にもゆかりの放光寺の住職で、恵林寺の博物館の理事でもあるというのでびっくり! 「網野善彦さんという研究者はどんな方だったんですか?」という高野さんの質問に対する、清水さんの評がとてもよい。膨大な古文書を読み込んでいるから、研究者としての基礎体力が違う。「やっぱり雌伏の期間が長い方が研究者として擦り減らないんだなあ」という言葉にしみじみ胸を打たれた。大学一年生の清水さんの質問につきあって、校庭を三周した藤木久志先生も素敵だ。もうひとり、勝俣鎮夫さんも何度か登場する。

 清水さんが、マンガ家の夏目房之介さんと知り合いであることは、『日本神判史』を読んだときに偶然、知ったのだが、ライター(もの書き)の心構えを習った先輩であったことが、本書に書かれている。あと「聞いた話」だという、宮本常一の社会調査での態度も面白い。

 最終的に二人が一致するのは「今の日本社会は人類社会のスタンダードではない」「現代日本の方がむしろ特殊であって、アジア・アフリカの辺境や室町時代の日本の方が、世界史的に普遍性をもった社会だったんじゃないか」ということ。この見方が正しいかどうか、歴史好きは辺境旅行をしよう。辺境好きは違う時代の歴史を読もう。本書は、応仁の乱&室町時代ブームの今こそ、もっと広まってほしい1冊である。
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永青文庫で購入/等伯の説話画 南禅寺天授庵の襖絵(須賀みほ)

2017-10-04 23:39:26 | 読んだもの(書籍)
〇須賀みほ『等伯の説話画 南禅寺天授庵の襖絵』 青幻舎 2015.4

 昨日のブログに書いたように、永青文庫の秋季展『重要文化財 長谷川等伯障壁画展 南禅寺天授庵と細川幽斎』を見に行って、帰りに受付で本書を見つけ、しばらく迷った末に購入してしまった。32面の襖絵の写真が、至れり尽くせりの構成で収録されている。全体図もあるし部分拡大図もある。人物の顔や猫、鶴だけではなくて、黒い墨をすばやくこすりつけたような岩肌の表現、繊細な松葉の表現なども拡大写真で楽しめる。

 さらに襖絵が天授庵の方丈に収まった状態を、さまざまな角度から撮影していて、非常に興味深い。等伯の襖絵は、室中とその左右、三つの部屋にわたるのだが、たとえば右の部屋(商山四皓図)の襖の一部を開けると室中の「禅宗祖師図」がどのように見えるのか、左の部屋(松鶴図)の場合はどうか、室中の奥の仏間との仕切りを開けるとどうなるかなど、言葉では説明しがたい、さまざまな光景を本書で体験することができる。

 本書の出自については「南禅寺天授庵において、2009年から2014年にかけておこなった長谷川等伯筆襖絵の記録撮影と造形研究の成果に基づいています」という説明が、巻末近くに記されている。しかし、研究の成果というけれど、長谷川等伯がいつの時代の画家で、この作品は、どんな主題をどんな技法で表現したものかといった、展覧会図録にありがちな解説がほとんどない。いや、実はそれなりにあるのだが、余白たっぷりのページに「商山四皓図は中国画題として近世よく描かれた主題であり、等伯作のものとしては大徳寺真珠庵にも襖絵がある。」などという記述が、ぽつりと置かれていると、何か昔話の一節を聞かされているようで、それが事実かどうかなど、どうでもいい気分になってくる。「むかしむかし長谷川等伯という画家がおりました」と優しい声で聞かされているようだ。

 ページをめくると、王維の漢詩(読み下し)や紀貫之の和歌があり、写真を眺めながらめくっていくと、今度は「禅宗祖師図」についての説明がある。全体の構図の説明のあとは、各場面の典拠について「ある日、東西両堂の僧らが一匹の猫をめぐって争っていた」という具合に、物語が紹介されている。まるで絵本を読む気分だ。本書の紹介は、左端の「懶瓚煨芋図」に始まり、右端の「船子夾山図」で終わる。全体を読んでみて(逆向きよりも)こっちの流れのほうがいいなあと感じた。

 「この間に描かれる四つの情景はみな、禅師が人と、あるいは弟子と向き合い、語り合う体をあらわしていた」というのはそのとおりだ。その究極が、命の別れの瞬間をあらわす「船子夾山図」の物語である。著者はこの考えに基づき、消えゆく自然光の中で「船子夾山図」の写真を撮影している。ただ見るだけでも美しい写真だが、文章を読んだあとは、しみじみ感動的である。

 天授庵の襖絵は「ナラティブインスタレーション」である、という言い回しは新鮮で面白かった。私は、絵画に物語を持ち込んではいけないという近代絵画の呪縛を受けて育ったが、古い絵画資料から、ナラティブつまり説話性を積極的に読み取ることで、思わぬ豊かな世界に触れることができるように思う。
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等伯が描く禅宗祖師たち/南禅寺天授庵と細川幽斎(永青文庫)

2017-10-03 22:02:27 | 行ったもの(美術館・見仏)
〇永青文庫 秋季展『重要文化財 長谷川等伯障壁画展 南禅寺天授庵と細川幽斎』(2017年9月30日~11月26日)

 南禅寺塔頭・天授庵といえば長谷川等伯である。というほど、きちんと両者が結びついているわけではないのだが、直近では、昨年、京博の『禅』展で見た『祖師図』(南泉斬猫)が記憶に新しい。自分のブログを探ってみたら、2010年春季の非公開文化財特別公開で天授庵を拝観している。「一部が京博出品中で歯抜け状態なのと、全て収蔵庫に移築されていて、描かれた当時の姿を想像しづらいのが難点」と書いているが、現在はどうなのだろう。

 天授庵は細川家ゆかりの寺でもある。無関普門の塔所として暦応3年(1340)に創建されたが、応仁の乱で荒廃し、慶長7年(1602)細川幽斎の援助によって再興された。幽斎が再興した方丈には、長谷川等伯の晩年の作風を伝える障壁画が残されている。中央(室中)が『禅宗祖師図』で、右側(上間二之間)が『商山四皓図』、左側(下間二之間)が『松鶴図』だ。本展は、前期に『禅宗祖師図』、後期に他の2作品が展示されることになっている。

 4階の展示室に上がると(はじめて?エレベーター利用)、三方のガラスケースをうまく使って、室中の空間が再現されていた。『禅宗祖師図』は、左右の側面が、比較的幅広の四面の襖から成る。右手は「船子夾山図」で、舟に乗った人物と岸を歩きながら振り返る人物が描かれる。中央は幅の狭い襖が八面。右端に「五祖六祖図」で、禅宗第五祖の弘忍と第六祖の慧能を描き、左端には「趙州頭戴草鞋」を描く。中央が松の木とうっすらした建物を描くだけになのは、襖の奥が仏間になっており、真ん中を開け放した状態を想定したためだろう。左手は四面の襖で、右端が「南泉斬猫図」。ここも中央はぼんやり建物の屋根を描いて場面転換し、左端に「懶瓚煨芋図」を描く。

 「南泉斬猫図」の迫力! つまみあげられた猫の軽さ、命のはかなさに息を呑む。空間の角で、南泉と90度の角度で相対する趙州は草鞋を頭に載せて、滑稽な身振り。ここは、もとの話がつながっているのである。「懶瓚煨芋図」は、汚いおっさんが棒切れで地面をほじほじしている。よく見ると、手に小さな芋を握っていて、焼き芋の準備をしているのだ。その前に立つ官僚ふうの男性は、高僧・明瓚の噂を聞いて訪ねてきた唐の皇帝の勅使。おつきの童子が奥から覗いている。なお「懶瓚煨芋図」で検索したら、中村不折がこの題で油彩画を描いていることが分かった。不折の明瓚は、もう少しこぎれいな身なりをしている。

 あと天授庵所蔵の『細川幽斎像』と『細川幽斎夫人像』(ともに17世紀初め)も面白かった。剃髪した幽斎は、団扇を手にくつろいだポーズ(柿本人麻呂像を意識している)。夫人は白い頭巾をかぶり、数珠(?)を掛けた両手を胸の前で合わせる。わりと細面で個性的な顔立ち。幽斎夫人って俗名は麝香(じゃこう)というのか。こんな名前あったのか?! 洗礼名はマリア。若狭熊川城主沼田氏の出身と聞いて、ああ小浜に行くバスが通る熊川宿の近くか、とか、関東沼田氏の一族か、とか、いろいろ興味が広がる。

 3階展示室には、細川幽斎と周辺の人々に関する文書、武具など。幽斎の書状の文字は、同時代の武将たちと比べて、各段に雅だと感じた。絵も巧い。どんな気持ちで周りの武将たちに接していたのかなあ、と思ったが、Wikipediaを読んだら、武芸にも優れ、膂力も強かったそうだ。面白い。将軍・足利義晴の落胤という説もあるのね。2階は、細川家に受け継がれた能の世界の特集で、江戸初期の能面が多数。いずれも古風で品がある。そして、眼尻と目頭に影を入れて暗くして、白目は中心部だけ描く手法、古い人物画と共通なのだな、と感じた。

 天授庵の『商山四皓図』と『松鶴図』が出る後期は10/31からで、また来ようと思っている。帰りに受付で、図録がわりの季刊誌『永青文庫』の最新号を買っただけでなく、『等伯の説話画 南禅寺天授庵の襖絵』(2015年刊行)も買ってしまった。うれしい。
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禅宗の世界を多角的に/大般若経と禅宗(五島美術館)

2017-10-01 22:30:24 | 行ったもの(美術館・見仏)
五島美術館 秋の優品展『大般若経と禅宗』(2017年8月26日~10月15日)

 ポスターのビジュアルが経文なので、なんとなく古写経とか墨蹟とか、文字ばかりが並ぶ展覧会を想像して行ったら、意外と絵画資料が多くて、華やかな展覧会だった。入ってすぐ目につくのは、北魏の小さな金銅仏坐像。光背の唐草文、内衣の装飾的な格子文、台座に浮彫にされた天女や供養人らしき者の姿など、細工が精密である。調べたら、これまでも時々、優品展などに出ているらしいのだが、あまり意識したことがなかった。鍍金がかなり残り、一部は剥落して黒ずんでいる。

 展示室を囲むケースの四分の三くらいは絵画資料だった。はじめは白描で、『曼荼羅集』は勧修寺の僧・興然が「別尊曼荼羅」と呼ばれる図像を編纂したもの(現存最古本)。展示されていた箇所は「持世菩薩(じせぼさつ)」だと思う。丸顔でかわいい菩薩が宙に浮いていて、まわりを天女が舞っていた。判読しにくいが「高山寺」の朱印あり。『白描執金剛神像』も印はないが高山寺旧蔵。『白描四天王図像』4幅も「高山寺」印あり。原本を見て写しているのか、トレースしているのか分からないけど、描線に勢いがあって気持ちいい。

 続いて、墨跡(墨蹟)。大ぶりのゆったりした文字に惹かれる。蘭渓道隆の『風蘭』二字の草書はいいなあ。ラーメン屋の屋号みたいだけど。無学祖元の『開長楽和尚嗣法書上堂語』も、一行四~五文字で余白の広い書。「一」の勢いのなさが好きだ。一山一寧の『園林消暑』は自由で気持ちのいい草書。『寒林』二字は一山一寧の書風だが確証はないそうだ。

 中央列の低い展示ケースと、いちばん奥の壁際は、古写経の展示になっている。藤原教長筆『般若理趣経』は、やや横長で、全くブレのない謹直な筆跡。絵巻の詞書など仮名交じりの筆跡の印象とはだいぶ異なる。展示室の折り返し列は、また絵画。月下に(月は描かず)経巻を開く禅僧を描いた『対月図』(南宋)、牛に乗った禅僧の後ろ姿を描く『政黄牛図』(元代)がよい。どちらも線や形を単純化した自由な表現。後者は、薄い墨で牛を描いているのが面白い。

 『霊昭女像』は、元の顔輝筆と伝えるが、実際は室町時代の作と見られている。伝説では、禅学者の娘ということだが、口元のほうれい線とか髪の毛のほつれとか、生活の苦労が妙にリアル。手には売りものの竹籠とともに銭の束(!)を持っている。奈良博に同一の図像があるそうだ。目の両端に影を入れる白目の描き方は、神護寺の頼朝像と同じだと思った。隣りは下村観山の『臨済』で。横山大観、寺崎広業と、近代画家の作品が並ぶのだが、特に違和感はない。

 中央列の大般若経は、紺紙金字の装飾経も多少あるが、スタンダードな古写経(茶色い料紙に墨書)が圧倒的に多い。好きな人は、微妙な字形の違い(典型的な写経生の文字か、崩れがあるか)が楽しいんだろうな。「法隆寺虫喰経」と称される経切があることを初めて知った。

 第2室は、志野、黄瀬戸、織部など桃山古陶を中心とする陶芸の特集。少し自然光が入る、明るい雰囲気が好ましい。古伊賀水指「破袋」が出ていて、360度周囲から眺めることができ、斜めにへたってつぶれた感じがよく分かる。暗誦に乗り上げた船か、坂の途中で停止した重戦車みたいだ。同様に、鼠志野茶碗「峯紅葉」も360度回りながら鑑賞できる。茶碗の内と外の模様が、ちゃんと見る位置を計算して描かれており、印象がくるりと変わるのが面白い。ぜひお試しを。なお、国宝『紫式部日記絵巻』の展示は、10月7日~10月15日である。
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