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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
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塔と塑像/春の宝物特別公開(薬師寺東京別院)

2012-03-04 22:47:29 | 行ったもの(美術館・見仏)
薬師寺東京別院 春の宝物特別公開『還ってきた東塔塑像・蘇った西塔四天王』(2012年2月28日~3月6日)

 東京・五反田の薬師寺別院で行われる宝物特別公開。以前は秋に行われていたが、どうやら春が定例になってきたようだ。私は早春の奈良が好きで、3月のカレンダーを見ると無性に奈良が恋しくなるので、ちょうどいい時期である。

 受付で「いま、お話が始まったばかりです」と案内された。この宝物特別公開は、展示会場である本堂で、定時に行われる法話をお聞きするのがお約束。入っていくと、見覚えのあるお坊さんがお話をされていた。たぶん昨年もお話をお聞きした大谷執事(※ホームページあり)と思われる。

 今年は、須弥壇の左に薬師寺の境内絵図が2点。正面には、別院本尊の薬師如来(これも近年修復されたもの)を挟んで、左右に2体ずつの四天王像。左が多聞天、広目天、右が増長天、持国天。もと西塔安置の四天王立像(平安時代)で、多聞天・持国天の二天王像として重要文化財指定を受けていたが、昨年、残欠部分を組み合わせ、一部を新補して、四天王像に「復原」されたものである。

 広目天の前に、復原修理前の写真が展示されていたが、両腕の向きが全く違う。何かの資料に則って、後補部分をより古い形式に改めたのだろう。解説パンフには「従来の持国天像の両腕を別材で組み合わせた」とある。その持国天像は、頭部と右腕を補作したというが、頭部うまいなー。ほかの3体と比べて違和感がない。汚しも絶妙である。

 須弥壇の右、厳重な展示ケースに収められているのが、3体の東塔塑像残欠。おそらく跪坐の姿勢の像で、頭部から尻までを一材で作り、正面下部に短い別材を嵌めて、大腿部の芯にする。腕も別材を用いたらしく、釘の残るものがある。いちばん端の像は、体幹に塑土がよく残っており、ほどよい肉づきの段腹を斜めに横切る条帛、へそ、裙を腰紐で結んでいる。塑土の断面は、荒土・中土・仕上土の三層構造がよく分かり、キラキラした(雲母混じり)白い仕上土には、かすかな色彩も見える。腰紐の赤は分かりやすいが、条帛の白緑色(解説パンフ)は微妙。

 執事のお話によれば、こうした塑造残欠は、困窮した薬師寺が売却したことで、世に流れたのだそうだ。特に上記の像は「最もよく製作当初の姿を留めた遺品」であることから、早くに買い手がつき、画家の鳥海青児氏(1902-1972)などが所蔵していた。このたび篤志家によって買い戻され、薬師寺に寄進されて、初公開の運びとなった。

 参考の2体は、いわば買い手がつかずに薬師寺に残ったもの。木偶状の心木のみだが、表面にむらむらに残った白粉は塑土の名残りなのかもしれない。1体は、イタズラなのか意味があるのか、頭部に両目と口が刻まれているのが面白い。隣りのケースには、西塔の周囲から出土した塑像の断片7件を展示。いずれも顔面片。埴輪を思わせるような赤土で、餡をつめたら人形焼になりそう。

 ほか、塔の修復・勧進に関係する文書など。薬師寺といえば、昭和40年代に高田好胤師が始めた写経勧進が有名だが、昭和初期と思われる写経巻が、最近発見されたとのことで、展示されていた。細い串に巻いた千歳飴のような経巻が100巻くらい(?)木箱に収まっていた。 

 なお、この日の法話はやや短め。「今日は芸大の先生が見えているんで、話しにくいんです」とおっしゃって、笑いを誘っていた。お抹茶(水煙の飛天を打ち出したお干菓子つき)、美味しかったです。
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比べて愉しむ/古筆手鑑 国宝『見努世友』と『藻塩草』(出光美術館)

2012-03-04 11:06:26 | 行ったもの(美術館・見仏)
出光美術館 『古筆手鑑-国宝「見努世友」と「藻塩草」』(2012年2月25日~3月25日)

 出光美術館蔵の『見努世友(みぬよのとも)』と、京都国立博物館の『藻塩草(もしおぐさ)』。2つの国宝手鑑を中心に、古筆の名品の数々を紹介する。ブログ検索をかけてみたら、『見努世友』は2009年の『文字の力・書のチカラ』展以来、『藻塩草』は2005年(※古今集完成1100年、新古今集完成800年記念の年だった)京博の特集陳列『和歌と美術』以来7年ぶりの対面になる。

 本展は、冒頭に「プロローグ」の章を設けて、古筆鑑賞の基礎知識を解説している。古筆とは、近世までに書写された写本類の総称であること。近世に入る頃から、古筆切(断簡)の鑑賞と蒐集が始まり、江戸時代には古筆を鑑定する「古筆見」という職業が誕生し、これを家業として受け継ぐ家(古筆家)も成立したこと。

 古筆見が鑑定する「○○筆」は「個々の古筆切の書風や料紙の様子等から勘案して、その古筆に最もふさわしい歴史上の人物を当てたもの」だという。伝承筆者は、古筆の書写年代と「大まかな時代区分」は合っており、「雰囲気や格」は釣り合っているが、”伝承筆者は、本当の筆写でない”ことは、むしろ当然の「約束事のようなもの」だという。

 こういうの、かつては粋人の常識だったんだろうなあ。私は、むかしから古筆が好きで、機会があれば名品を見てきたが、何しろ戦後の教育しか受けていないので、権威ある美術館が「伝○○筆」を掲げていれば、何らかその可能性があるのだろうと思い、あっちの「行成筆」とこっちの「行成筆」は、ずいぶん筆跡が違うのに、と真面目に悩んだこともある。伝承筆者に、三跡(三蹟)と呼ばれる「道風」「佐理」「行成」を当てるのは、「格の高い価値ある古筆」を示す記号のようなもの、と思っておけばよいようだ。

 古筆家資料として『新撰古筆名葉集』(安政5/1858)という版本が展示されていたが、これは「現実には作り得ない理想の手鑑」の貼りかたを示したものだという。コレクターの妄想って、いつの時代も変わらないな、と思って笑ってしまった。

 冒頭から、同館所蔵の名品『高野切 第一種』『石山切 貫之集』『石山切 伊勢集』などが並べてあって、テンションが高まる。あ~でも正直にいうと、私は、品格の高い『高野切 第一種』の魅力は、相変わらずよく分からなくて、少し癖のある『石山切 貫之集』(藤原定信筆と判明済み)や、温雅な『石山切 伊勢集』のほうが好みである。

 2つの国宝手鑑は、素人には『見努世友』のほうが華やかな印象がある。料紙が美しく(挿絵入りもあり)、仮名も平明で読みやすいものが選ばれているように感じる。基本的に高さを一列に揃え、台紙1枚に、行数の多い切なら1件、少なければ2件3件を詰めて貼り込んであり、無駄な余白がないのも、コレクター的にお得感があると思う。『藻塩草』は1枚に2件が原則。台紙の高さに比べて、小さい切が多いので、わざと高さを交互に散らして貼り込んでいる。ちまちまと癖のある書風が多くて(じっくり見ると面白いのだろうけど)華やかさには欠ける気がする。解説が、同じ古筆家編纂の手鑑であるが、『見努世友』は外に出す目的で、『藻塩草』は自家の鑑定の規準用にまとめられたのではないか、とすることに納得。

 ただし、以上は前期の感想。古筆手鑑は「勅筆」「公卿」から配列する約束なので、前期展示の表(オモテ)面には、「名人」の平安仮名はまだ現れない。図録の解説を読んだら、平安時代の美しい仮名書跡が集中するのは後期展示(3/13~)の裏面であると分かって、「しまった」と思っているところだ。

 このほか、前田家旧蔵の『濱千鳥』『はまちどり』、近代再編の『聯珠筆林』『墨寶』などを展示。注目は、美術蒐集家として知られる益田鈍翁が、古筆研究家の田中親美の助力を得て再編した『谷水帖』である。一見、古筆手鑑という伝統形式に従いながら、冒頭に「大聖武」を置く、というような約束事に拘らず、独自の鑑識眼に従って蒐集した平安の仮名の逸品のみを並べる。各古筆切の大きさにあわせて窪みをつけた台紙、台紙の裏面には貼らないなど、近代的な保存・鑑賞の便宜も考慮されている。逸翁美術館所蔵というところがまた、気になる(いいもの持っているなあ)。

 図録は写真も大判で、解説も丁寧で、とてもありがたいのだが、継色紙「むめのかの」「あめにより」は、表具を含めて、ひとつの作品という感じがするので、色紙だけが図版になっていると、なんとなく物足りない。邪道かしら。

※参考:根津美術館の鑑賞シリーズ『館蔵 古筆切』
…同館、2011年の『古筆切 ともに楽しむために』を見た折に購入。このとき『石山切 貫之集』の筆者として、藤原定信の名前を覚えた。
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