見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

津和野小旅行:鴎外・西周旧居を訪ねる

2009-07-20 23:07:32 | 行ったもの(美術館・見仏)
 津和野に行ってきた。森鴎外の生家を訪ねたくて、自分の中では、この数年、ずっと気になっていた宿題を、ようやく果たすことができた。小さな家だった。向かいの土産物屋のおばあちゃんが、一応管理をしているらしかったが、ガランと開け放たれて、気持ちがいいくらい、何も残っていなかった。前庭には、佐藤春夫が撰し、揮毫した「扣鈕」の詩碑が建っている。



 ↓これは鴎外少年の勉強部屋だったという茶室(炉が切ってある)。部屋の隅に、むかしの和綴じ本を寝かせて入れる本箱がボツリと置いてあって、いつのものか、気になった。



 鴎外旧居から、津和野川を渡るとすぐ、西周(にしあまね)旧居である。これもまた、昔話のじいさんばあさんでも出てきそうな鄙びた一軒屋でびっくりした。「百学連環」のあの知性が、こんな藁葺き屋根の下から育っていったなんて…。小さな母屋の隣りには、これも小さな白塗りの土蔵がある。周はここに籠って勉学に励んだという。炎天下でも、ひんやりした空気が気持ちよかった。



 鴎外旧居に隣接する鴎外記念館にも寄った。小さな旧居とは、あまりに桁違いな立派な施設である。ちょうど今日(7/18)から特別展『鴎外と画家・原田直次郎』が始まっていた。原田直次郎? そういえば、ドイツ時代の鴎外を語るとき、しばしば耳にする名前だが、どんな画家だったっけ? 全く名前に記憶になかったのだが、展示室を覗いて、あ、このひとか!と納得した。代表作の『騎龍観音』が写真パネルで飾られていたのである。

 私は、同作を国立近代美術館の『揺らぐ近代-日本画と洋画のはざまに』(2006年)で見た。誉めていいんだか、笑うべきか、ちょっと呆気にとられるような、印象的な作品だった。同作が第三回内国勧業博覧会に発表されると、外山正一はチャリネ曲馬団を引き合いに出してこれを貶め、鴎外はハルトマン美学を援用して論陣を張り、原田を擁護したという。

 このほか、鯉のいる殿町付近、津和野カトリック教会、乙女峠のマリア聖堂、鷲原八幡宮(ターフの流鏑馬馬場あり)、SLの発着など、ひととおり観光して半日を過ごした。山裾の永明寺(ようめいじ、曹洞宗)には「森林太郎墓」と刻まれた鴎外墓があり、隣りに父母の墓が控えていた。やがて永い日が暮れると、津和野の町は、店も閉じ、外を歩く人の姿もなくなり、明治の頃もかくやと思われる闇の中に沈んでいった。津和野泊。

※補記。大谷晃一著『鴎外、屈辱に死す』(人文書院、1983)を探索中。読みたい本は本屋(または古本屋)で探す主義なのだが、これは図書館に頼らないと無理のようだ。

※補記その2。原田直次郎の『騎龍観音』は、現在(2009年6月13日~9月23日)国立近代美術館で展示中らしい。ゴーギャン展のついでに、忘れずに見てこよう!

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日中韓の女性たち/儒教と負け犬(酒井順子)

2009-07-17 00:06:16 | 読んだもの(書籍)
○酒井順子『儒教と負け犬』 講談社 2009.6

 2003年に『負け犬の遠吠え』でブームを呼んだ著者の新刊。日本と同様に晩婚化の進む韓国と中国を訪ね、ソウルの「老処女」(ノチョニョ)、上海の「余女」(ユーニュイ)たちの「負け犬」事情を探る、という趣向である。

 タイトルの「儒教」にあまり深い意味はない(らしい)。何しろ、東アジアの二国(韓国、日本)において、同じように晩婚化・少子化が進んでいることを知った著者は「考えてみたところ、思い浮かんだのが儒教の影響です」と、突然に思い当たってしまうのである(ここで「思いて学ばざれば即ち危うし」なんて茶々を入れるのは野暮というもの)。「儒教というと、封建的とか男尊女卑といったイメージばかりが浮かぶ」そうで、母親が外出すると父親の機嫌が悪くなるのも、飲み会でお酌をするように言われるのも、「儒教的な自己規制」の賜物だという。このへんは、厳密に理解しようとすると頭が痛くなるので、酔余のヨタ話(あるいは作文を知的に見せるためのお飾り)だと思って読み流すに限る。

 実際にソウルと上海で女性たちに集まってもらって、恋愛・結婚について話を聴いている部分は面白い。サンプル数は少ないが、その分、親密な雰囲気の中で、かなり本音に近い意見が引き出せているのではないかと思う。たぶん多くの読者は、ソウルの迷える「老処女」たちに親近感を抱く一方、上海「余女」たちの強さと行動力には、目を剥くんじゃないだろうか。

 座談会調査を補完するかたちで、著者は韓国では女性開発院を訪ね、中国では上海市婦女幹部学校を訪ねて、有識者の話も聞いている。そして、最後に掲載されているのが、ソウル・上海・東京の30~45歳の独身女性、各200名を対象に実施されたインターネット調査の結果である。ここには、三都の特徴がくっきり現れていて興味深い。私も著者に同感で、いちばん希望を感じさせないのが、東京の「負け犬」ではないかと思う。

 「強さを身につけて上とか前に行くのは、とても負担と覚悟が必要なこと。しかし私達はいい加減、その覚悟をしなくてはいけない時にきているのでしょう」という著者のメッセージは心に響く。いや、われわれ「負け犬」世代より年長の女性たちに聞かれたら、何をいまさら…と叱られそうだが、現実問題として、日本の30~40代女性は、本質的には少しも強くなっていなくて、今なお、こういう親身な励ましを必要としているのである。

※中国女性の「強さ」の検証は、この本でも。→園田茂人『不平等国家 中国


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国学を離れて/「国語」入試の近現代史(石川巧)

2009-07-16 20:58:45 | 読んだもの(書籍)
○石川巧『「国語」入試の近現代史』(講談社選書メチエ) 講談社 2008.10

 学校入試に国語(現代文)があることを、私たちは当たり前だと心得ている。しかし、これは案外、新しい伝統なのだ。高等教育機関の入学試験に現代文が頻出するようになったのは、大正10年頃、旧制高校の共通試験を嚆矢とする。その背景には、リベラルな教養主義の跋扈に危機感を持ち、学生たちに、国策に沿った知識・思想を授けようとする文部省の思惑があった。ただし、設問の方式は、語句の解釈や大意の要約など、外国語試験の模倣に留まっていた。

 昭和期に入り、旧制高校が単独選抜に戻ると、地方の学校を中心に、独自色を打ち出し、新しい時代の空気を反映した試験問題が登場する。確かに、本書所収の昭和3年・山口高等学校の入試問題を見ると、今の高校生にも十分使えそうだった。その一方、エリート養成機関の頂点である第一高等学校は、古典に固執し続けた。そこには、現代文のリテラシー能力など考査するまでもなく、一高受験者なら身につけておいて当然、というメタ・メッセージが含まれていたという。

 同様に帝国大学においても、重要な役割を果たしたのは、新興の東北帝国大学や広島文理科大学であった。興味深いのは、「近代文学関連の授業が開講されている大学と入学試験に現代文的な要素が出題されている大学とがみごとに対応している」という指摘である。特に著者は、東北帝国大学における岡崎義恵の業績を高く評価している。入試問題には、どこにも「問題作成者」のクレジットは記されないわけだが、当時の教授陣や、行われていた講義内容を対比させてみることで、類推できるのだろう。同様の流れは、帝国大学の出身者であっても比較的若い世代(たとえば吉田精一)が講師として勤務していた東京近郊の大学、早稲田大学出身者の活躍(たとえば柳田泉)にも認められ、「文学を国民精神と接続させる」(帝国大学的=国学的)国文学の伝統とは別なところに、日本の近代文学研究が立ち上がっていく、初々しい姿を垣間見ることができる。

 しかし、同時期(昭和3年)に文部省は学生課と体育課を独立させ、学校現場における「思想善導」教育を本格化させる。このとき、正しい国民を育て上げる教育の両輪となったのは「現代文」と「体育」であった。うーん、私のように、学生時代、いちばん得意なのが国語(現代文)で、いちばん苦手なのが体育であった人間には、不思議な感じもするのだが、この両科目、最も遠いようでいて、国民の精神形成に及ぼす影響は、合わせ鏡のように似ているのかもしれない。

 さて、入試現代文が「迷走」を始めるのは、むしろ戦後民主主義教育の中でのことのように思われる。「自由探究の精神」や「批判的に判断を加えるという態度」を育てるという建前と、「試験第一主義」の本音の間で、現代文は、どんどんつまらないものになっていく。採点の公平性・客観性を重視するあまり、設問はステレオタイプ化し、問題文は「よりよい社会を展望しようとするスローガン的な言説だけ」となってしまう。この流れの果てにあるのが(昭和30~40年代の小林秀雄ブームをあだ花?として)今日の、殺伐とした入試現代文の風景であるらしい。著者はそれを「客観幻想」と呼び、「現代文の凶器性」とも呼んでいる。

 本書は、昭和54年の第1回共通一次試験問題と、これを批判した日教組編集の『国公立大学入試改革資料集』を論じて終わっている(以後30年間、入試現代文は膠着状態にあるというのが著者の認識)。日教組の主張は、既成の権力秩序を批判しているように見えて、それ自体が「国語教育」のあり方を画一的に捉え過ぎているという。同感である。私は、この第1回共通一次試験を実際に受けているので、30年ぶりに当時の記憶がよみがえり、そこはかとなく懐かしかった。受験当時も現在も、日教組の主張する通り、多くは「愚問」だと思ったが、「ことばの魅力」とか「国語教育の基本」とかを、オマエに(=現代文の「凶器性」を認識できていない教師に)教えられたくはない、と思う。
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巡回展の憂鬱/道教の美術(三井記念美術館)その2

2009-07-14 23:49:30 | 読んだもの(書籍)
三井記念美術館 特別展『知られざるタオの世界「道教の美術 TAOISM ART」-道教の神々と星の信仰-』(2009年7月11日~9月6日)

 上記のサイトに上がっている出品目録(総点数180点)を見て、これは大規模な展覧会だなと思った。「展示替を6回予定しております」という告知にはひっくり返りそうになったが、やむを得ないか、と思って許した。6回は無理としても、3回くらいは通ってもいいという気持ちだった。さて、会場を見た感想は別稿に譲り、ここでは、展示図録『道教の美術』(斎藤龍一編集・構成、読売新聞大阪本社/大阪市立美術館、2009)について語りたい。

 一目見て、あまりの厚さに呆然とした。400頁超。うち、カラー図版が300頁ほど。それでも、パラパラと中をめくったとき、写真が小さい!という不満を感じた。1ページに2~3点、写真を詰め込んだページが多いのである。何せ、掲載作品数は400点以上だから、こうでもしなければ全部を紹介し切れなかったのだろう。詰め込みに詰め込んで、2,500円。ポップなソフトカバーの表紙も私好み。この「安っぽさ」と「お得感」が「道教」かもしれない、なんて思った。

 この展覧会、私は「こんなところに、こんなものが!」と驚く作品がものすごく多かった。彫像では、徳川美術館の黄金製の『伏羲像』(011)、京大人文研の銅鋳金の『道教尊立像』(079)。絵画では、京都・萬福寺の『関聖帝君像』(魁偉なこまわりくんみたい~)(309)、神戸市立博物館の『関羽像』(洋風画タッチの関羽!)(314)、滋賀・宝厳寺(竹生島)の『北斗九星図』(垂髪・白い羽衣姿の星の精が7人)など。また、「これってどこ?」という寺社の名前も多くて、資料発掘のご苦労に、頭が下がる思いがした。

 拾い読みしている巻末解説によれば、別述した『正統道蔵』が、もとは九州豊後佐伯藩の領主が購入所蔵していたものであるとか、福井・瀧谷寺(たきだんじ)に伝わる『天之図』(室町時代。キトラ古墳を除き、日本最古の星図)が、越前朝倉氏から寄進されたものであるとか、資料の由来が分かると、さらに興味が増す。

 それはよいのだが、困ったこともある。同展は、東京の三井記念美術館のあと、大阪市立美術館長崎歴史文化博物館を巡回する予定だが、巻末の目録を見たら、東京では見られない作品がすごく多いのである。掲載作品400余点のうち、3会場共通で展示されるものは、ざっと数えたところ、60点弱しかない。ええ~こんなの、巡回展じゃないだろ…。

 先だって『国宝・三井寺展』で注目した『鎮宅霊符神像』とその類似品も、図録には5点も収録されているのに、東京で見られるのが1点だけなんて、悲しすぎる。展示替えどころの騒ぎではない。東京・大阪・長崎の3会場をまわって初めて、「道教の美術」を見たと言えるということか。ただいま、煩悶中。
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カオスを楽しむ/道教の美術(三井記念美術館)

2009-07-13 21:49:26 | 行ったもの(美術館・見仏)
三井記念美術館 特別展『知られざるタオの世界「道教の美術 TAOISM ART」-道教の神々と星の信仰-』(2009年7月11日~9月6日)

 この夏、いちばん楽しみにしていた展覧会なので、さっそく見てきた。どうやら展示コンセプトは「何でもあり」である。展示図録の冒頭で、大阪市立美術館の斎藤龍一氏が「あたかもインターネット上で『道教』という単語を検索するかのよう」と解説しているのが言い得て妙。地域は中国~日本を縦横に行き来し、時代は紀元前から20世紀まで。メディアは典籍、絵画、工芸など。精緻な芸術作品あり、難解な哲学原理あり、庶民の素朴な信仰の対象、趣味や風俗の味付けに使われた「道教の美術」もある。

 展示室1は、磁器、銅器、銅鏡などの小品から始まり、早くも典籍がお目見え。先日、サントリー美術館でも見た国宝『宋版史記』が、老子伝の箇所を開いて展示されていた(でも、直江兼続旧蔵という説明は無し)。私が感銘を受けたのは、宮内庁書陵部所蔵の『正統道蔵』。「道蔵」とは、道教の経典を集めた大蔵経(一切経)のことで、宋代に編纂されたが、今日存するのは明代以降のテキストだという。展示品は、明の正統10年の版木により、万暦26年(1598)に重印されたもの。世界に4セットしかない貴重品である。明刊本と聞いて、おしなべて軽視してはいけないのだなあ。形式は折本。

 途中をとばして、展示室4は、さまざまな絵画作品が入り組んだ順序で並んでいる。南画ふうの穏やかな蓬莱山図・武陵桃源図のあとに、岡山県立美術館所蔵の牧谿『老子図』(鼻毛の老子~!)が無愛想に掛けてあるかと思えば、明清時代の色のどぎつい天帝図や十王図と並んで、雪舟の水墨画『神農図』が登場。この「カオス」具合が道教の真髄と言えなくもない…。

 思わず目が釘付けになったのは、京都・知恩院所蔵の『蝦蟇仙人図』と『李鉄拐図』(元・顔輝筆)。2007年、京博の新春特集陳列(画像あり)に出陳されているようだが、私は見ていない。蝦蟇仙人の背中に、子どものようにおぶさった白いガマは、曽我蕭白の『群仙図屏風』を連想させる。ただ、顔輝の描く仙人は、蕭白ほど狂気ほとばしる表情はしていなくて、異相ではあるけれど「話せば分かる」顔つきである。1つおいて隣りが、奈良博の『辟邪絵』「鍾馗」(国宝・平安時代)というのは、この展覧会、贅沢なんだか、阿呆なんだか。じっくり見る価値のあるお宝を、ちょっと軽く扱い過ぎじゃないの? 鎌倉・寿福寺の伽藍神3体のあとに、奈良博の「走り大黒」が来ていたのにも、びっくりした。

 展示室5では、趣向を変えて、天文学と星宿信仰にかかわる資料が見られる。土御門家に仕えた皆川家伝来の文書資料が、京都の大将軍八神社から、多数出陳されていた。室町時代の『天文書口伝』は、「月中有楓并兎蟾蜍(月にはカエデがあり、ウサギとヒキガエルがいる)」なんて吞気なお伽話と、「月日行十三度、一月一回天」という科学的な分析が同居しているのが興味深い。江戸時代の『天球儀』には、中国の星座(星官)が記されているが、現代の(西洋の)星座との対比が、分かりそうで分からず、悩む。「天鈎」って、カタチから見て蠍座かな?と思って手帳に控えてきたのだが、ネットで調べたら、仙王座(ケフェウス座)だった。星座名の日本語と中国語の対応も面白いが、これは余談。

 『五星二十八宿神形図』(大阪市立博物館所蔵、中国梁代、6世紀)も貴重品。五星とは、木星・火星・土星・金星・水星だが、歳星・螢惑・填星・太白・辰星という名前で登場する。歳星はネコ顔(豹頭?)の獣神が黒っぽいイノシシ(?)に乗り、螢惑は六臂の馬頭神が赤いロバ(?)にまたがるなど、奔放で幻想的なイメージに興奮する。ほかにも、さりげなく『辟邪絵』の「天刑星」あり、安倍晴明を描いた『泣不動縁起』あり(意外と見る機会のない東博本)で、「あやしい美術」好きの私は、感動に震えるほどの充実ぶり。

 最後の展示室7では、7人の人物を描いた『北斗真形図』に注目。文官姿の4人がひしゃくの桶をつくる4つの星で、武官姿の3人が柄にあたる3つの星なのだろう。6人目に小柄な従者が配されているのは「輔星」で、剣を掲げた7人目の武官は「破軍星」だな、と了解して、ひとり微笑む。私は星の神話が大好きなのである。気になったのは童子形の妙見菩薩像(木造、重文、鎌倉時代)。なぜに読売新聞社所蔵?と不思議だったが、図録を読んだら、よみうりランドに保管されているそうだ。最後に、『寿星図』(東博所蔵、元代)を見ることができたのも収穫。どことなく雪舟の『梅下寿老図』に響いているような印象がある。

 まだまだ見ていたかったが、気がつけば、入館して3時間近く、冷房にあたりすぎて身体が冷えてしまったので、やむなく外に出ることにした。あまりのボリュームに、苦笑をこらえて買って帰った「メガ」図録の感想は別稿としよう。
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歴史書の隠れた専門店/れきはくミュージアムショップ

2009-07-11 18:05:33 | 街の本屋さん
歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)のミュージアムショップ

 なかなか増えない「街の本屋さん」のカテゴリーに久々の投稿。最近、行くたびに感心しているのが、歴史民俗博物館(れきはく)のミュージアムショップにある書籍コーナーである。

 ミュージアムショップは、目立たないが、エントランスホール左手のエスカレーターを下ったところにある。同館のミュージアムグッズにはあまり魅力を感じないのだが(正直ダサい)、併設の書籍コーナーは気合いが入っており、歴史・民俗・人文地理に関する新書・選書・文庫・ムックなど、古いものまでよく揃えている。開館初期の頃に比べて、だんだん書籍の売り場面積が増えてきたんじゃないかと思う。

 さらにエントランスホール右手にも、いつの間にか書籍コーナーが進出してきた。ミュージアムショップが一般歴史書を扱っているのに対して、こちらは、れきはくの刊行物と、全国の歴史系博物館の図録を扱っている。先日、企画展示『日本建築は特異なのか-東アジアの宮殿・寺院・住宅-』(2009年6月30日~8月30日)を見に行ったついでに、この展示図録コーナーをじっくり歩いてみた。全国には、こんな博物館があるのかあ、こんな企画展があったのかあ、という感じで、時間を忘れて楽しめる。いや、売り物をタダ見で楽しんではいけないのだけど、これだけ大量の図録が一覧できる場所は、図書館でも思い当たらない。れきはくの図書室には揃っているのかなあ…。

 この1、2年は、戦国ブームを反映して「武将もの」が人気のようだ。仏像関連も多く見受けられるが、これは、どこでもできる企画ではなくて、力のある学芸員がいないと難しいんじゃないかと思う。

 ところで、れきはくのホームページには、ミュージアムショップおよび図録販売コーナーの情報はほとんどない。この充実ぶり、もっと宣伝すればいいのに、もったいない。
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唐美人の枕/唐三彩と古代のやきもの(静嘉堂文庫美術館)

2009-07-10 00:01:00 | 行ったもの(美術館・見仏)
静嘉堂文庫美術館 『唐三彩と古代のやきもの』(2009年5月30日~7月26日)

 前半は漢代とそれ以前の灰陶や緑釉のやきものが中心、後半は華やかな唐三彩を取り集めた展覧会。前半で目を引いたのは、上記サイトにも画像のある、後漢~西晋時代の加彩武人。いまもイスラム教徒がかぶるような、頭頂部の平たい帽子をかぶり、どんぐり眼の武人が、片膝をついて身構える。全く類例が思い浮かばない。→※参考:考古用語辞典「加彩武人」(誰がつくっているのだか、こんなサイトがあるんだなあ)。

 後半の三彩馬、三彩駱駝、神将などは、本場中国でもなかなか見られないような大型品ぞろい。加彩魌頭(一対)も逸品である(そうか、時代によって形式の異なる鎮墓獣のうち、唐代の作を特に魌頭と呼ぶのか)。上掲の辞典には「西安周辺の初唐の王侯墓出土品とみてまず間違いのないところだろう」とある。うーん、正確な出土先が分からなくなってしまったのは、今となっては、もったいない。

 小品では「三彩鴨形容器」2点がよかった。長い首を伸ばしたものと、首を背中に埋めて毛づくろいするポーズのものとがあり、特に後者は、どことなく間の抜けた顔つきが愛らしい。これも上掲の辞典によれば、「1935年のロンドンの『大中国美術展』にバロン・岩崎所蔵として出品され、世界でもっとも魅力ある唐三彩として知られているものである」由。まあ、西洋人ってカモ好きだものな。

 私がいちばん印象に残ったのは、4点のやきものの枕である。いずれも掌におさまるくらいの大きさで、厚切り羊羹のような、愛想のない直方体だった。三彩印花文1点のほかは、「絞胎(こうたい)」という作り(異なる色の土の板を、重ねて叩き伸ばしたもので形を作り、表面に縞模様を表す方法~大阪市立東洋陶磁美術館)である。シックで飽きの来ないマーブル模様は、いかにも実用品を思わせる。果たして唐の宮廷で、どのような佳人が髷を横たえたのか。日本の和歌文学でも「枕」といえば、人知れぬ恋を知るものとして詠まれたことを思い合わせて、想像を誘われた。

我が恋を 人知るらめや しきたへの 枕のみこそ 知らば知るらめ(古今504)
→評釈と鑑賞(古今和歌集の部屋

 追補。ロビーに飾られた、彫刻家・新海竹太郎(本展の展示品の一部の旧蔵者)に関する情報もお見逃しなく。空豆みたいな似顔絵の所蔵印がかわいい。
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愛される人生/美人好きは罪悪か?(小谷野敦)

2009-07-09 21:28:36 | 読んだもの(書籍)
○小谷野敦『美人好きは罪悪か?』(ちくま新書) 筑摩書房 2009.6

 立ち読みのつもりで手に取ったら、意外と面白くて、そのまま買ってしまった。どのへんにハマったかというと、第1章の「小説のヒロインはしばしば平然と美人である」という指摘。たとえば漱石の『三四郎』を論ずるのに、最近のフェミニズム批評などは、三四郎を「男」の代表にし、美禰子を「女」の代表のように見立てるが、「美人や十人並み以上の顔のヒロインと、ブスであるヒロインとでは、自ずと生きる様相も、周囲の男たちとの関係も違ってくるはず」であるという。確かに。

 『ジェイン・エア』の主人公は、原作では美人ではない。ところがこれが映画化されて、不美人が演じたためしがない。これも確かに。小説以上に映像作品では、「美人でないヒロイン」をわれわれは許容しかねるのである。

 ただし「男はやっぱりバカ女は嫌い」だという。国会図書館や大学のウェブサイトでしばしば好みの美人を発見する、というのは、かなり著者の趣味が特殊だとしても(笑)、女も大学に行く時代になって、得をしたのはあまり美人でない高学歴女性、損をしたのは美人の低学歴女性、というのは、なかなか真実をついているかもしれない。六本木のキャバクラで、無知なキャバ嬢相手に話題に困った、という体験談には微笑を誘われたが、どこまで真に受けていいんだか。

 「美人の人生」も面白い章。山崎朋子を皮切りに、犬養道子、朝吹登水子、諏訪根自子など、裕福な家庭に育ち、しっかりした教育を受けた、豪胆で逞しい「美人」たちが紹介されている。彼女たちの人生の節目には、「美人でなければ起こらなかっただろう」展開が現れる。やっぱり「美人の人生」は、「十人並みの人生」より面白いのかもしれない。だから、小説や映画のヒロインは美人に限るのだろう。いちおう、学者の上野千鶴子もこの仲間に分類されているが、著者の態度はかなり冷笑的である。

 歴史上の美人と美人文化を論じた章は、表層的で少し飽きたが、分量にして半分くらいは楽しめる。ただし、電車の中で読んでいると、突然、ラブドール(いわゆるダッチワイフ)の写真が出てきたりして慌てる。しかし、日本製のラブドールって美少女なんだなあ。
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次男と女性皇族/松本清張の「遺言」(原武史)

2009-07-08 21:10:38 | 読んだもの(書籍)
○原武史『松本清張の「遺言」:『神々の乱心』を読み解く』(文春新書) 文藝春秋社 2009.6

 松本清張の遺作『神々の乱心』について、原武史さんが語るのを読んだのは、保阪正康との共著『対論 昭和天皇』(文春新書、2004)が最初だった。このとき、一二度『神々の乱心』(文春文庫、2000)を探したのだが、小さな書店には置いていなくて、そのまま諦めてしまった。

 いま、Amazonで同書の内容紹介を見ると、「昭和8年。東京近郊の梅広町にある『月辰会研究所』から出てきたところを尋問された若い女官が自殺した。特高課第一係長・吉屋謙介は、自責の念と不審から調査を開始する。同じころ、華族の次男坊・萩園泰之は女官の兄から、遺品の通行証を見せられ、月に北斗七星の紋章の謎に挑む」云々とあって、典型的な社会派推理小説のようだ。私もむかしはこういう小説を読んだっけなあ、と懐かしく感じた。

 著者の「読解」作業は、『神々の乱心』に現れる地名や人名を現実のものに比定することから始まる。たとえば、上記の「東京近郊の梅広町」は、東武東上線の東松山であろうと当たりをつけて、実際に調査に赴いている。さらには、秩父、足利(およびその隣りの佐野)、吉野へも。いかにも、空間の政治学にこだわる歴史学者らしいと思った。

 そのうえで、著者は、書かれなかった『神々の乱心』の結末について、3つのシナリオを提示する。最も蓋然性が高いのは「秩父宮を天皇にするクーデターが起こる」だという。そして、皇室における「次男」の重要性に注目した松本清張は、今日の皇太子と秋篠宮の関係を予見したいたのではないかと説く。え?と思ったが、『神々の乱心』が公表されたのが、1990年から1992年。秋篠宮は、1990年に結婚、1991年に眞子内親王が誕生している。兄・皇太子徳仁親王の結婚はまだ先(1993年)であるから、何割かの確率で、今日の皇位継承問題を見通していてもおかしくはない。

 いっそう興味深いのは、宮中祭祀と女性皇族の問題。現皇太子妃の病気が長引いているのは、宮中祭祀に適応できないためではないかともいう。かわいそうになあ。でも、日本の皇室からシャーマニズム的伝統を取り除くことに、私は積極的になれない。ちなみに現天皇・現皇后(幼少期からキリスト教の影響を強く受けた方だが)は、受け継がれた「伝統」以上に祭祀に熱心だという。

 天武系-天智系、南朝-北朝の対立を経て、昭和天皇の「弟」に擬せられた満州皇帝・溥儀まで、大胆に時代を超えて広がる連想は、茫漠として、やや説明足らずの感もある。今後の研究の深化を期待して待ちたい。

  

NHK「解説委員室ブログ」(2009/5/29 原武史氏出演)
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茶懐石の小宇宙/向付(五島美術館)

2009-07-07 00:05:33 | 行ったもの(美術館・見仏)
○五島美術館 特別展『向付(むこうづけ)-茶の湯を彩る食の器-』(2009年6月27日~7月26日)

 あまり期待せずに行ってみたら、意外と面白かった。「向付」(むこうづけ)は、茶の湯の食事「懐石」に用いる器である。私は「懐石」と聞くと、次から次へとお皿が並ぶ高級コース料理を思い浮かべてしまうが、本来「一汁三菜」が原則で、その最初に供されるのが、折敷(お盆)に載った飯椀・汁椀と向付である(※参考:茶の湯のお遊び「朝茶事」)。

 展覧会では、私のような茶事の約束事に疎い観客のため、冒頭にこの状態が再現されていた。闇夜のように冷ややかな沈黙を湛える、黒漆塗りの折敷・飯椀・汁椀の3点セット。必然的に見る者の目は、向付に吸い寄せられる。華やかで大胆なデザインの京焼を用いるか、控え目で調和的な黄瀬戸や志野か。向付の色と形が、その日の「懐石」のイメージを決めると言っても過言でない。なるほど。本来の使い方を学んでみると、展示ケースの中で、五客とか十客揃いの向付を鑑賞していたときとは、ずいぶん印象が違ってくる。

 「向付」のひとことで括られているけれど、その内実は千差万別。織部、絵唐津、高取など、それぞれの味わいがあっていい。さらには中国産や東南アジア産、阿蘭陀藍絵まであって、どんな料理を盛り付けたのか、想像力を刺激される。器形もさまざまで、マグカップか?と思うような背の高い「筒向付」は、どう使うんだろう。器形の面白いものは古染付に多い。牛、馬、駱駝、桃、木の葉、琵琶(楽器)の形なんてのもある。これらは、日本からの注文を受けて中国で焼かれたものだが、日本の陶磁器との影響関係もなく、中国の他の陶磁器にもあまり例がないそうだ。

 尾形乾山の『色絵氷裂文角皿』(京都国立博物館所蔵→画像)はクレーの絵画を思わせる色遣いで、私の大好きな一品であるが、この元ネタかもしれない、中国製の『南京赤絵羅漢氷裂文角皿』という伝来品があることを初めて知った。赤と緑を基調とする素朴な氷裂文の真ん中に、敷物に座った羅漢の姿が描かれている。ちなみに個人蔵。この展覧会、日本全国の美術館・博物館からの出品の中に、相当数の「個人蔵」が混じっている。

 楽宗入の『赤楽百合皿』にはびっくりした。なんと華やかな! 三井高保の好みで組んだ「寄せ向付」(風合いの異なる器をセットに組んだもの)五客の一品であるとのこと。むろん三井記念美術館所蔵。楽焼って茶碗だけではないのね。また、道入の『青釉割山椒向付』の迫力には息を呑んだ。3つに割れたミカンの皮のような「割山椒(わりざんしょう)」といわれる形態には先例があるが、破裂した球体のようなふくらみが、器であることを通り越して、シャープで近代的な造型である。ちょっと、ご当代・吉左衛門氏の作品を思わせる。

 参考資料として、京都市考古資料館から出品されていたのは、京都市中の三条通で発掘された桃山時代の陶器50点余り。多少欠けているのもあるが、完全形を保っているものが多い。美濃、唐津、中国産、東南アジア産など産地はさまざま。三条中之町あたりは「瀬戸物屋町」とも呼ばれる陶磁器問屋街だったそうだ。この話、どこかで聞いたなと思ったら、2007年の出光美術館『志野と織部』でしたね。私は、最近ようやく織部の面白さが分かるようになってきたように思う。

■参考:asahi.com:小野公久のやきものガイド「志野と織部 風流なるうつわ」(2007/03/18)。
http://www.asahi.com/shopping/yakimono/ono/TKY200703180059.html

■京都市考古資料館:2009年9月30日まで、特別展示『京焼の萌芽』開催中だそうだ。行ってみよう!
http://www.kyoto-arc.or.jp/

 最後に、五島美術館にはめずらしく、展示室の中央に吊るされた半透明のスクリーンが会場に華を添えていたことを付け加えておこう。
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