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見もの・読みもの日記

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関西・秋の文化財めぐり(1):正倉院展

2006-10-29 23:56:54 | 行ったもの(美術館・見仏)
○奈良国立博物館 特別展『第58回 正倉院展』

http://www.narahaku.go.jp/

 正倉院展には、5年連続の皆勤である。金曜の夜、新宿発の夜行バスを利用して、早朝、京都に到着。近鉄の車内で少し眠り足して奈良へ、というのが、恒例のパターンだった。ところが、昨年から、このブログにも書いたとおり、スポンサー導入の波及効果で、正倉院展の観客は、一気に倍増してしまった。

 これは、私の印象批評ではない。奈良新聞の記事(2006/10/24)読売新聞の広告事例によれば、2004年の入場者数は13万2000人。2005年は23万4000人に上ったという。スポンサーの読売新聞が「媒体力を証明」と誇らかに宣言するのも当然である。

 だが、私は、2004年以前の、比較的のんびりした正倉院展を懐かしむ。とりわけ、静かな期待に満ち足りた開館前のひとときを。当時は、この手の催しものが、本当に好きで好きでたまらない人だけが、列を作って開館を待っていた。見知らぬ者どうし、打ち解けた会話を交わすこともあった。「スポンサー導入」という降ってわいた大変革によって、あの至福の時間は、予告もなしに我々から奪い去られてしまった。そして、当分、もとに戻ることはないだろうと思うと、切なくて悲しい。

 しかしながら、悲しんでばかりもいられないので、今年は、30分ほど早い便の夜行バスに乗ることにした。これだと、7:30には近鉄奈良駅に到着できる。スタバで朝食のあと、8:00過ぎから奈良博で入場待ちの列に並んだ。私は1列目の中ほどに並ぶことができたが、開館が近づくと、列は2折、3折の折り返しになっていく。まわりを見ると、けっこう招待券らしきものを持ったお客さんがいる。あれ、どのくらい出しているのかなあ。やめてほしいよなあ...

 定刻より15分早く開館。会場に入ると、第1室の前半以外は、まだ人が溜っていない。私は、第1室奥の長い展示ケースに駆け寄った。地味だけど、今年の見ものの1つ『国家珍宝帳』である。冒頭に「太上天皇の奉為に国家の珍宝等を捨して東大寺に入るるの願文」とあって、「捨」の字に驚かされた。もちろん仏教的な言い回しであるけれど、そうか、これらの品々は「捨」てられたんだなあ、と思うと、古代の帝王家の信仰の深さに、しみじみ感じ入った。

 それにしても驚かされるのは『国家珍宝帳』の状態の良さである。汚損や虫損はほとんど見当たらない。白い料紙は近代のコピーか?と疑わせる。線の細い「天皇御璽」の朱印が隙間なく一面に押されているため、ピンクがかった印象を与える。

 仔細に見ていくと、「鳥毛立女屏風」など、よく知られた宝物に並んで、「大唐勤政楼前観楽図屏風六扇」なんて、初めて聞く屏風が記載されている。へえー。見たいなあ。伝わっているのかしら。他にも「大唐古様宮殿図屏風六扇」とか「古様山水画」「子女画」「古人画」など。この夏、西安の陝西省歴史博物館で見た唐墓壁画の数々を思い出し、想像をめぐらせた。

 また、聖武天皇愛用の袈裟『七条刺納樹皮色袈裟(しちじょうしのうじゅひしょくのけさ)』も出陳されている。青、黄、緑、茶などの平絹を不規則なかたちに切り重ねて刺し縫いしたものだ。手が込んでいるし、シックな色合いは、美しいと言えなくもない。しかし、今どきの高位の僧侶が身にまとうきらびやかな袈裟に比べたら、袈裟の本義「糞掃衣」にずっと近い。

 第2室以下では、馬具類が、ちょっとした特集展示になっていた。牛革、鹿革のほか、熊、アザラシの毛皮も使われている。そのあとも、鼓の皮、靴、ベルトなど、正倉院宝物に、皮製品は意外と多いんだなあ、ということを知った。

 それから、僧侶が托鉢に使うような鉢が3点。緑釉の掛かった磁鉢、黒漆の木鉢、銀鉢である。黒漆の鉢を見ていると、『信貴山縁起絵巻』さながら、正倉院がふわりと宙に浮いて動き出してしまうのではないか、と想像してしまうのは、私だけかしら。
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